なぜ、TSの定義は曖昧なままにされるのだろうか?

このエントリを書こうと思ったきっかけはこちらのツイートだ。

https://twitter.com/mitim/status/1532274716840706048

僕のツイートに対するレスなわけなんですが、この手の話題を字数の制限が厳しいTwitterでやる、ということには本来かなり無理があってストレスフルなので、noteに書いて残しておこうと思った次第です。

このトランスセクシャル・トランスジェンダーなどの定義を聞くと、はぐらかされるというのは彼?だけではなく、また、他の人からも同様の経験を聞くので、トランスジェンダリズムに汎く見られる経口なんだろうなと思います。まあ、たしかに、自称・自認を優先する経口からそうなるのは分からないではないのですが、ただ、それは彼らの側の主張であって、種痘を事にする人間と対話をしたり理解を求めるのなら、相手の土俵に敢えて乗って説明すると言うのはときには求められることだと思います。
もちろん、説明しないのは自由です。でもそれはつまり多くの人に理解されないことであるし、その結果、彼らの求める社会の有り様の実現が遅れるということに繋がる可能性もあります。

そもそも、社会って、法律や制度で成り立っているし、そこには客観的な基準が必要です。

日常生活の多くの場面で基本的にはどういう服装・行動をしようが、どんな性別を自称する・装おうのも自由だと言う部分については僕は自認・自称の性別はそれはそれでいいと思います。

ポイントはそれは法律上の性別ではないし、その自称の性別が女性専用スペースに立ち入る権利を与えるわけでもないということです。そこは法律や制度、習慣というものを勘案してやっていかないといけないところです。だから、線引が、専門家によるGIDの認定なのか、SRS手術なのか、戸籍変更なのか、その中間の何処かなのかはわかりませんが、どこかに法律上のそして判例上の境界は作られるでしょう。
その際、「自認」「自称」が全てなのはおかしい、ということです。
例えば、在日感覚朝鮮人の人は聞かしない限り、日本国籍は持っていません。日常生活で、通名を使っている限り、彼らの国籍はわからないし、それはそれで別にいいんじゃないと思います。「(日本生まれ育ちという意味で)日本人」と自認・自称してもまあ、それもいいんじゃないと思います。
でも、選挙権などの問題になると、法律上の定義が優先されるというのと同じようなものだと思います。
この場合は、国籍という客観的な指標が制度・法律上あるわけです。

トランスの問題については、「客観的」というのは難しいのはわかりますが、それに近いものとして、専門家の診断や見解が求められるというのは一つの基準としてありで、逆に言えば、診断も性別変更も適合手術もしていないトランス「女性」が女性用のトイレやお風呂に入り込んで、建造物侵入罪で捕まっても、それはしょうがないなぁとしか言いようがないのです。

トランスの問題の扱いは将来的にはそれは変化していくのかもしれないし、変化するだろうけれど、どういうところに落ち着くかはまだわかりません。
それを現時点で「自称・自認が全て」と無理やり押し付けていくのは却ってバックファイヤする可能性もあり、長い目で見ると当事者のためになるとは限らないと僕は思います。

彼?の書き込みで理解できないのは「こっそりと「女装」という概念を持ち出す」という部分です。僕はツイッターというなかりオープンな場で堂々と「女装」の話題を持ち出しているわけで、まずどこが「こっそり」なのかさっぱり分からないし、同時に無関係だというのなら、一切専門家、医療の枠を通らないで「自称女性」の人と「女装」をする人と「何が違うのか?」「どう無関係なのか?」について何らかの判断の基準を示すべきだと思いまう。

そしてそれができていないのが今の彼らの主張をする人たちの最大の問題なのではないでしょうか?TG,TS界隈の実情を知っていればいるほど、トランス界隈は実は趣味的な、パートタイム的な「女装」が大多数であるということから目をそらすためにこの問題とは向き合わないようにしているのではないとしか思えません。

「女装」と「自称女性」は別な存在で、そこには一切にオーバーラップがないというのならそれはそれでいい。ただ、そういうことを言い出すのなら、何故そうなのかということをきちんと説明する責任はあるでしょう。でも、正直、彼の言説からは僕にはその差がわからりません。

個人的な経験で言えば、最終的に性別変更までした人でも、「自分が「女装」をしていた時期があるという人は多い気がします。つまり、自身のアイデンティティーを明確に自覚できないまま、感覚的にそういう方向に行くことはあるだろうし、実際に、すぐに診断、手術に至るわけじゃないから、過渡期的に肉体は男性のまま服装だけ「女装」をする人もいるでしょう。
そしてそれ自体は別に問題ではありません。「女装」だからだめ、という話をしているのではないのです。

「女装」というカテゴリが実は結構、セクシュアリティー、ジェンダーについての交差点的に色んな人が通ったり、立ち止まったりする場だから、その辺りのいろんなカテゴリの人の定義を明確にしようと言うだけの話。

「そこにいるだけ」というのはまあ、よく言ったものですが、では視覚障害がある人だって 、聴覚障害、精神障害がある人だって、「そこにいるだけ」といえばそこにいるだけです。
おそらく外観からはわからない人も多い中で、医療などの専門家の診断を受けて、障害者の認定を受けたり、支援を受けたりするわけです。

もちろん、中には敢えて診断を受けず、そういう社会や行政の支援の対象にならない生き方もあるわけで、それはそれでいいと思います。

でも、専門家による認定を受けないで、自称だけで障がい者認定を受けることや、様々な支援などを受けることはできないのは多くの人は疑問を抱かないところでしょう。

今回の話題で言えば、女性用のトイレやお風呂に男性が入ることは「建造物侵入」の罪に問われる可能性があるでしょうし、「自称・自認」だけで利用するのはそのリスクを犯すとになります。

専門家の認定や、さまざまな性別適合のプロセスを経ないで、自称・自認だけで女性スペースを利用する権利を主張するというのは、自称の「障害」をたてに障がい者認定や各種の支援を求めるくらい筋が通らないことです。

繰り返しますが、そういう部分を除いた日常でどう生きるかについては自称でも自認でもいいと思います。

でも、自称・自認だけでは済まない部分も有るというのがSRS手術まで受けているGIDの人はそれなりのリスクを負って自分にとって自然な性別で生きるためのコストを払っている。

専門家の診断も受けず、パートタイムの女装で「女性」を自称するだけで、彼らと同様、女性専用スペースを利用とするというのは筋が違うでしょう。

実際、過去しばらくを見ても、女装の男性が女性用のトイレやお風呂に侵入し捕まっているケースが有り、最初は自称女性を主張していたのが結局は単なるわいせつ目的だと供述しています。
だから、トランス女性が女性スペースへの足り入りの容認を求めるのなら、多くの人に理解できる専門家の診断やSRSなどの性別適合のプロセスを経るか、それがどうしても納得できない理由があるのなら、その合理的な説明と、さらに社会に受け入れられる基準や定義を明確にするべきでしょう。

このMitiMョなる人は、僕の定義をきいたい質問も、実際に彼が戸籍の性別変更まで済ませたようなGIDの人や、汎くTSと分類される人との交友があるのか?という質問も両方とも無視をして自分の言いたいことだけを行っています。

それじゃあ対話にならないし、もともと賛同するうちわの人間以外には理解は広がらないでしょう。

まあ、彼らがそこでチョンボをするのは彼らの勝手ですが、、その結果が当事者にバックファイヤしていくと、僕の知っている人たちにも迷惑がかかるかもしれない、という意味でもこういう独善的なやり方はどうなんだろうなと思わざるをえないですね。

結局、彼らのやっていることって「表現の自由」といえばすんじゃうと思っている表現の自由オタクと何ら変わらないのです。

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