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病気が先か、病名が先か
「今日はどうされましたか?」の質問はなるべくしないようにしているのだが、その理由の一つに、日本語を正しく使うというのはとても難しい、というのがある。
僕らがつける病名のうち、本当の病名とはなんだろうか、と、考えさせられることもしばしばである。そして、その傾向は田舎に行けば行くほど強くなりがちである。
例えば、「めまい」「むくみ」といったことばであっても、100人いたら本来の使い方をしている人は半分以下だろう。そういった言葉であれば、まだ統一性をはかれるが、「えらい」「こわい」「おそろしい」はどうだろうか。他言語と比べても(といっても英語一つとってもロクに話せない僕がいうのもなんだが)こんなにニュアンスにまみれていて、それでいて全く統一性のない言葉は少ないのではないか、とときに思う。
でも、時に「こわい」しか言ってくれない人は来る。そうしたときに
「みんなこわいっていうので僕らは何がつらいかわからないんです。こわいってどんな感じですか?」と聞くと、よく教えてくれる…はずもない。
「そんなの、こわいっていうのはな、なんかからだがだるくて、動いたら…こわいんだわ。」というまったく進まない外来の完成である。
しまいには「こわいってわからんのかい」とか言われる始末である。
そんなことはないでしょ、と思った若い人。「めまい」はどうだろうか。
日本人の使うめまいは、本来の意味としての「目の前がぐるぐるまわったりふらつきがあるような感じ」以外にも「立ちくらみ」「貧血」「吐き気」「気が遠くなる」「冷や汗が出る」などなど、いろいろな言葉を示している。それを医学的に統一していく、というのが我々の仕事だったりする。
ただ、最近こんなことを繰り返していくうちに、症状や病名は僕らが理解しやすいようにつけているだけの分類で、本質的には「こわい」で治療ができるのもまた技術なのではないか、とまで思うようになってきた。割とスピリチュアル寄りなのだが、ふと、東洋医学にも通じるところがあるな、と思うようになった。つまり、「病があって、そのあとに病名がある」という状態である。そうであるならば、これまでのアプローチとは全く異なってくるのではないか。
カルテ記載をするのに「S:こわい」これだけでは、少なくとも研修病院の上司にはぶん殴られるし、部下からはとりあえず半年は笑いものになるだろうから、それをかみ砕いていく必要はある。
ただし、初めましてでなければ、そこには我々外来で言葉を交わした間柄にしか生み出せないニュアンスというものがはぐくまれてくる。そういった、言葉にはない「風合い」や「おかしさ」をおもんばかるのも、また大事なのかもしれない。
そう感じながら、また「こわいっていうだけじゃわからないんですよ」と言い続けていきたい。
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