ディズニー映画とジブリ映画から考えるアメリカンカルチャーと日本文化の違い
G's ACADEMY DEV25期のHiroです。
今回はG's ACADEMYの企画G's ACADEMY 脳内アウトプットしてみた編 Advent Calendar 2023の記事(13日目)です。
Advent Calendarの執筆にあたり、何を書くかは結構迷った。
当初はG'sの企画であるから、G's Lifeについて話そうと思っていた。
しかしこれはもうすでに別の記事で書いてしまったから2回目を書くのもくどくて気が引ける。
次に考えたテーマが「開発途上国と宗教」。
これはなかなか面白そうなテーマではあるが、話が重くなる可能性があるし、宗教や政治についての話はセンシティブな内容になるのでこちらも却下。
(このテーマに関してはまたどこかで書くかもしれない)
次に映画が好きなので、個人的な「映画の見方」についての記事を執筆しようと思った。しかしこれも自分の中でまだ言語化しきれていないので書くことが難しいと判断。次回に譲る。
ところで私はよく妄想をする。
大抵はドライヤーで髪を乾かしているときにする。暇だからだ。
私の妄想は、真面目なものから、くだらないものまで幅広い。髪を乾かしているときは、暇なのだ。
例えば、
「もし徳川幕府が今も存在していたら今の日本はどうなっていたのだろうか」
「もし大東亜帝国が築けていたなら、今の世界はどのようになっていたのだろうか」
(極右発言ですが単なる妄想に過ぎません)
(※もしもの世界線を妄想してみただけで、そうなって欲しいといった考えは一切持ち合わせておりません)
「もし日本の首都が京都のままだったら関西弁が標準語になったのだろうか」
その場合、「東京弁はカッコいいとかといった感情は生まれるのだろうか」
といった割と真面目な妄想から
「もし屁が音しかならず、すかしっぺしか存在しない世界だったら、”屁フェチ”などといった、好きな屁の音色は存在するのだろうか」
といった本当にくだらない妄想まで幅広い。
以前、珍しく妄想ではなく、とある気付きについて真面目な考え事をした。その日は金曜ロードショーで「コクリコ坂から」が放映されていた。
何気ない気持ちで眺めていたら、こんな気付きがあった。
「ジブリって描写を切り取るのがめちゃくちゃ上手だよな」
その日から数日間、「なぜジブリは描写を切り取るのが上手なのか」が私の考え事、妄想のテーマになった。
いつになく楽しい、妄想になった。
私の妄想は広がり続け、たどり着いた先がディズニー映画とジブリ映画の比較だった。
そして、その比較からアメリカ人と日本人の文化の違いまで妄想を膨らませた。
そこで今回は私の膨らみ続けた妄想に終止符を打つため、この場をお借りして、脳内をアウトプットしてみることに決めた。
まさしく今回の企画、脳内アウトプットしてみた編のタイトル通りの展開になっている。
キャラクターが強いディズニー
キャラクターが弱いジブリ
いきなりだが、ディズニーキャラクターを好きなだけ挙げてください。と言われたらあなたは何を答えるだろうか。
ミッキー
ミニー
ドナルド
グーフィー
アリエル
シンデレラ
ラプンチェル
エルサ
アナ
オラフ
スティッチ
プーさん
ベル
ティンカーベル
ピーターパン
ジャスミン
アラジン
ジーニー
アリス
ダンボ
ウッディ
バズ
レックス
ポテトヘッド
マックイーン
そしてMARVELはディズニーに買収されたから、
アイアンマン
キャプテン・アメリカ
ソー
スパイダーマン
ドクター・ストレンジ
などに代表されるMCUのヒーローたちも広義で言うとディズニーキャラクターに分類される。
スターウォーズもそれにあたる。
スーパーパワーを持っているヒーローもいれば、プリンセス、人間、動物、妖精など、どれも個性的で魅力あふれる、キャラクターたちだ。
一方で、ジブリキャラクターを好きなだけ挙げてください。と言われたらあなたは何を答えるだろうか。
トトロ
さつき
めい
ネコバス
まっくろくろすけ
ハウル
ソフィー
カルシファー
アシタカ
サン
モロ(もののけ姫に出てくる犬)
ポニョ
ソウスケ
千尋
湯婆婆
銭婆
坊
カオナシ
鎌爺
カエル
良きかなの神
こちらも個性的で魅力的なキャラクターばかりである。
しかし注目してもらいたいのが、このキャラクターたちが出てくる作品である。
上で挙げたジブリ作品のキャラクターは、
・となりのトトロ
・ハウルの動く城
・崖の上のポニョ
・千と千尋の神隠し
のわずか4作品の中のキャラクターたちだけだ。
いやいや、キキもジジもトンボも、バロンもブタも出てきていないし、マルコも出てきていないじゃないか!とジブリファンから怒られそうなので、それらを組み込んでみるがそれでも6作品(バロンに関しては耳をすませばで出てくるので正確には7作品)だ。
いやいや、ジブリのキャラクターを挙げろと言っているのに、ナウシカも出てきていないし、シータもパズーもドーラも、ムスカも出てきてないぞこのにわか!とまたまたファンに怒られそうなのでナウシカとラピュタも入れてみる。それでも2作品増えただけだ。
ジブリキャラクターもたくさん存在しているじゃないか!
と言われそうな勢いである。
さて、上の例だけではディズニーキャラクターのインパクトが強くて、ジブリキャラクターの方が弱いという私の説の説得力が欠けてきた。
それでは視点を変えてみよう。
キャラクターがあまり強くない、マイナーな(マイナーと括ってしまい申し訳ないのだが)作品同士を比べてみることにする。
ディズニーからは、
「ターザン」(ヘラクレスと迷った)。
そしてジブリからは、
「海がきこえる」(こちらは耳をすませばと迷った)。
この2つの作品からキャラクターについて考えてみる。
語弊を恐れずに言うと、海がきこえるは、何の変哲もない物語だ。
主人公の拓と里伽子の高校〜大学の淡い恋愛を描く青春ストーリー。
スーパーパワーを持った人間も、プリンセスも、魔法使いも、人語を話す動物も出てこない。至って普通の物語だ。
耳をすませばもそうである。
登場人物は一人として特別な能力を持っていない。
ターザンは、どうだろうか。
ターザンは、人間がゴリラに育てられるというストーリー。
魔法使いやスーパーパワーを持った人こそ出てこないが、人語を話す動物(正確には逆。人語を話す動物ではなく、ターザンが動物の言葉を話す。)は出てくるし、ターザン自身も人間離れしたパワーや身のこなしをする。
そしてヘラクレスに関しては、魔法使いが登場する。
つまりディズニーはキャラクターに何らかの能力を付与する力が圧倒的に長けている。
普通では考えられない能力をキャラクターに与え、そのキャラクターを唯一無二のものとして映画の中に登場させる。
オラフも人語を話すし、
美女と野獣のビーストことアダム王子もキャラクターとしては100点満点。
人間がいない間に話すオモチャたちも、
蒸気船を航行するネズミも、
人間に憧れる人魚も、隣の海藻が青く見えているロブスターも、
魔法のランプから出てくるウィルスミスも(ここだけ実写版)、
どのキャラクターたちも個性に溢れ、魅力的である。
ディズニーキャラクターたちは個性のオンパレードなのだ。
世界観の対比
マジョリティのディズニーとマイノリティのジブリ
キャラクターの定義を何らかの能力が付与されている者たちとするのであれば、意外にもこの定義に当てはまるジブリ作品は多くある。
・ナウシカ(虫が巨大)
・ラピュタ(巨大ロボット、空から舞い降りてきた飛行石を持った少女)
・トトロ(もはや説明不要)
・魔女の宅急便(魔女キキの存在、人語を話す猫ジジ)
・紅の豚(飛べる豚)
・平成狸合戦ぽんぽこ(喋るたぬきたち)
・もののけ姫(モロ、こだま、その他神々)
・千と千尋(八百万の神たち)
・猫の恩返し(話す猫たち)
・ハウル(説明不要)
・ゲド戦記(竜、魔法使い)
・ポニョ(説明不要)
・借りぐらしのアリエッティ(小人)
などほとんどの作品で何らかの特殊能力を持ったキャラクターが出てくる。
しかし、世界観についてはどうだろうか。
ディズニーはファンタジー要素が強い。
言い換えると「ありえない世界」が展開されている。当然、ありえない世界において、ありえない能力を持ったキャラクターは平然と受け入れられる。
ピーターパンのネバーランドはなんでもありだし、
アリエルのように海の中に国があるのも普通では考えられない。
だから、ピーターパンが空を飛べるのもなんら不思議なことではないし、ティンカーベルの存在もアリエルの存在も不思議ではなくなる。ディズニーの中のキャラクターたちはファンタジーの中に存在しているため、キャラクターが持つ特殊能力がマイノリティではなくなるのだ。
つまり、ディズニーキャラクターたちはマジョリティの中に存在している。
動き出すおもちゃたちはいっぱいいるし、
人魚も複数人いるし、
不思議の国に迷い込んだアリスも世界自体が何でもありの世界線だ。
MCUで考えてみても、アベンジャーズは複数人で構成される。それぞれのスーパーパワーは違えど、能力を持っているという点ではマジョリティである。
一方でジブリはどうだろうか。
キャラクターはマイノリティの象徴である。
なぜならほとんどのジブリ作品の世界は現実世界が前提になっているからだ。もちろん例外はあれど、基本的にはリアルの世界が中心だ。登場人物が全員特殊能力持ちの作品は、千と千尋の神隠しくらいである。
しかし、千と千尋の主人公「千」も逆にいえば、マイノリティに当たる。湯屋ではほとんどのキャラクターが特殊能力持ちだからである。
では、マジョリティのディズニーとマイノリティのジブリ、この2つのプロダクションが重きをおいているポイントは何だろうか。
まず、ディズニーは「1番になれ」というメッセージを伝えることに重きをおいている。
世界線を確立させることで、主人公をマジョリティの中に属させ、主人公が傑出した存在というのを視聴者に植え付ける。
映画と日常を半ば完璧に切り離し、非日常感を大切にしているのもアメリカ映画の特徴だ。
ジブリは「共感」に重きをおいている。
キャラクターをマイノリティの中に属させ、他と違うという心の葛藤を描くことで主人公の心の成長を描く。
そして私たちをノスタルジーの世界へと誘う。
人間誰しも悩みの一つや二つ持っていて、主人公と共感できるよね。という具合に。
目に見えるものを解決していこうというディズニーの姿勢に対して、
ジブリは目に見えない課題を解決していこうという姿勢だ。
文化の違いがよく出ていると感じる。
ディズニーとジブリの悪役の違い
ディズニー映画には必ずと言っていいほど悪役が登場する。
分かりやすく「悪の象徴」として描かれ、映画を通して倒すべき存在として作中に君臨する。
容姿からして、悪そのものである。
ジブリはどうだろうか。
もちろんジブリにも悪役は存在する。
しかし、分かりやすい悪かと聞かれると疑問が浮かぶ。
ムスカなどに代表される悪は存在するものの、ディズニーに比べ分かりやすい悪党が出てくる数は圧倒的に少ない。
もののけ姫に出てくるエボシは果たして本当に悪だろうか。
そもそも日常を切り取ることが多いジブリにとって、分かりやすい戦闘シーンはあまり出てこない。それ故、比較することが困難ではあるが、ジブリの戦闘シーンを考えてみると、正義と正義のぶつかり合いだ。そしてそれは対比構造として描かれる。
自然を守りたかったアシタカ vs 国を発展させ、守る義務があったエボシ
どちらが正義でどちらが悪であるかなんて、観る人の価値観次第でいくらでも異なってくる。どちらも正義なのだ。
では分かりやすい悪とは何なのであろうか。
それは私利私欲のために行動するキャラクターたちだ。
ムスカはそれに当たる。
そして面白いのが、ディズニー作品を挙げれば、悪役の名前までは浮かばなくとも悪役の顔が浮かぶという人は多いのではないだろうか。
・白雪姫
・アラジン
・ピーターパン
・リトルマーメイド
・101匹わんちゃん
これが悪役が悪役として視聴者の頭にしっかり刷り込まれている証拠である。
ディズニーから考えるアメリカンカルチャー
言わずもがな、アメリカは個性をある程度は尊重される国である。
少なくとも日本よりは。
それがディズニーからも見て取れる。
先の例から、ディズニーはキャラクターに何らかの能力を付与する力に長けていると述べた。
アメリカ人たちは、ディズニーを見て育つ。
プリンセスに憧れる子供たちもいれば、スーパーヒーローに憧れる子供たちも多くいることであろう。
アメリカの子供たちは、個性が尊重されることをDNAで理解している。
人と違うことが魅力的であると細胞レベルで理解する。
だから人と違うことがある程度許容されるカルチャーが根付いているのだ。
アベンジャーズのような個性のバッティングによる超爆発が平気で起こっている映画もアメリカ人らしい。
ディズニーではないが、DC映画に出てくるバットマンやジョーカーもこの例に当たる。
とにかく、強いキャラクターが必要なのだ。
彼らからすると強い個性があれば映画が成立するのだ。
「世界を変えたかったら、お前が力を持て」
この考え方をディズニーは実に見事に表現していると思う。
「1番になれ」
というメッセージからは、これまたアメリカンカルチャーが伺える。
世界一の経済大国アメリカは、1番でなくてはならないのだ。
軍事力も経済力も全てにおいて1位である。
詰まるところ、「1番になれ」というのは、「圧倒的競争社会」と言い換えることもできる。
だから、シリコンバレーに代表される競争の中心街的なものが生まれたのだろうと勝手に解釈している。
日本人は何の能力に優れているのか
では日本人は何の能力に優れているのであろうか。
冒頭で述べたが、私がこのテーマを考えるにあたっては、金曜ロードショーのコクリコ坂からを視聴したのがきっかけだ。
残念ながら、ジブリは動画配信をしていないため、視聴したかったら金曜ロードショーのような地上波放送を待つか、DVDをレンタルしてこないといけない。しかし、これほどまで視聴するハードルが高いジブリであるはずなのに、我々日本人の心の中に根付いている。誰しも好きなジブリ映画の一つや二つは存在するだろう。ちなみに私は、耳をすませばと紅の豚、魔女の宅急便が好きである。
ジブリは心の葛藤、小さな変化を描写するのが得意であると述べた。
私はわずかながらに海外経験があるが、海外にいると稀に、日本人はテレパシーが通ずるという表現を目聞きすることがある。
外国には自己主張をするカルチャーが展開されている。要は、主張してくれないとわからない、伝わらない。損したくないなら、自分の口で意見を伝えてね。というカルチャーがある。
日本にそのカルチャーはあまりない。「空気を読む」「相手の気持ちを考える」「伝えない美学」「暗黙の了解」「阿吽の呼吸」が存在している日本において、自己主張というのはかなり高いハードルなのである。
これは良し悪しだと思う。スポーツやビジネスなどに代表される、分かりやすい競争の世界では自己主張はどんどんしたほうがいいと思う。でないと、激しい競争に取り残される。
しかし、この世は競争ばかりではない。
我々日本人が持つ他人を思いやる、周りの人たちに配慮する、小さな変化に敏感という能力は、間違いなく世界でトップであると思う。
宮崎駿をはじめとするスタジオジブリの人間たちは、こういった文化の中で育ったからこそ、あそこまで細かい描写にこだわれるのだと思う。
コクリコ坂からを観ているときに、「うわ〜、これをアニメで表現できちゃうのすげえわジブリ。アニメを通り越して、もはや映画だわ。」となった忘れられない描写がある。このテーマを考えるきっかけになったワンシーンだ。
コクリコ荘を切り盛りする16歳の主人公 海。
学校が終わればすぐに帰宅し、買い物からご飯の支度までを基本的に彼女一人で行う。
しかし、彼女は16歳。青春真只中である。
学校の行事に参加もしたいし、恋愛もしたい。
とある日、学校の友達たちが行事に盛り上がっていた日のこと、学校の友達に誘われるがいつものように帰って夕飯の支度をしなくてはいけない海はこれを断る。
行きたかったなと思いながら、買い物を済ませ、コクリコ荘のドアを開ける。
それまでは海がフレームに収まっていて主人公の海を客観的に映し出していたが、ドアを開けた瞬間に、カメラワークが切り替わる。海の主観、つまり海が見ている景色にカメラが切り替わる。
映し出されたのは、誰もいない静かなコクリコ荘。数秒間それだけが映し出される。
この描写は、受け取る側で如何様にも変わってくる何気ない描写であるが、海の心の中を実にわかりやすく表現してくれた描写だったと思う。
海の寂しさがダイレクトに伝わってきた気がした。
しかもすごいのが買い物を済ませてから、海の視点に切り替わるまで、セリフは一才ない。
これは言葉ではなく、空気感で自己主張をする日本的な文化を見事に表現しているシーンである。
(※この細かいコンテキストは定かではない。なぜなら何となく観ていた金曜ロードショーのことだったし、確認しようにもジブリはDVDレンタルしかやってない。ただこのワンシーンだけは確実に覚えている。)
描写だけで表現するのは実に日本人らしいなと感じた瞬間であった。
興行収入から見るジブリ
やっぱりみんな強いキャラクターが大好き
注目したいのは、1位〜4位まで。
冒頭に紹介した、キャラクターがたくさん出てくる作品は軒並み、興行収入が高い傾向にある。
先日鬼滅の刃に抜かれてしまったが、千と千尋の神隠しについては、今まで日本映画興行収入ランキングトップを独占していた。
結局私たちが映画に求めているものは、非日常感なのかもしれない。
そして不思議なことに、ジブリ映画興行収入ランキングトップをひた走る千と千尋の神隠しは、先に述べた
日本的描写とマイノリティ × 強いキャラクターたち
という構図になっている。
ジブリ最高傑作であるのは、この構図からも興行収入からも自明の余地である。
新海誠作品も結局のところ世界を獲れないのかもしれない
最近よくジブリと比較されることがある新海誠作品。
「君の名は。」は国内のみならず世界中で圧倒的な支持を得た。
新海誠作品もジブリ同様、描写に重きをおいている。
日本人的描写を高次元に展開し、こちらも強い個性持ちキャラクターは存在せず、前提は現実世界である。
では、近い将来、新海誠作品が世界を獲ることはあるのだろうか。
一映画好きがこのような評価をしてしまい大変恐縮なのだが、答えはノーだと思う。
君の名は。が世界で流行ったと述べたが、国をよく見てみると、アジア圏が中心。
要は、我々日本人と文化的背景が似通った国々で人気を博した。
タイ、香港、台湾で興行収入1位を獲得した他、中国、韓国でも人気だったという。そして以前、フィリピンを訪れた時、フィリピン人からYour Name.好きと言われたことがある。
やはり、アジアでは人気なのだろう。
なぜなら我々アジア人は歴史的に文化的に近い考え方を有しているからだと思う。
ジブリも中国をはじめとしたアジア圏で人気である。
日本が世界を獲れるもの
では最後に、何だったら日本が世界を獲れるのかを考えてみる。
結論から申し上げると、マンガ及びアニメだ。
私は、アニメに詳しいわけではない。
根っからのジャンプっ子で小さい頃からジャンプヒーローズに憧れて育った、男の子だった。
だからこの説はジャンプを前提にしているのだが、
・強いキャラクター
・日本的な描写
この二つが合わされば、まず間違いなく世界を獲れる。
ドラゴンボール、ワンピース、ナルトなどは既に世界中で人気で世界を獲ったと言っても過言ではないだろう。
そして最近北米を中心に流行っているジャンプ作品、僕のヒーローアカデミア。
この作品は、魅力的な「個性」に溢れた強いキャラクターが無数に存在している。
これからアニメがもっと世界に出ていくことは言うまでもないだろう。
最後に
最近ではディズニーは苦戦を強いられている。
先日公開されたMARVELSも振るわなかったし、その他の作品群も軒並み興行収入が落ちているという記事を目にした。
私たちは、強いキャラクターやスーパーヒーローに疲れたのだ。
スーパーヒーローに慣れてしまったから、スーパーヒーロー離れが起きている。
もしかしたら、これからの数年間はスーパーヒーローを超える「何か」が重要になってくるのかもしれない。
そして、その一つが日本人が持ち合わせている「描写」であると私は思う。
謝辞
今回のAdvent Calendarの執筆に当たっては同期であるDEV25期のコスゲさんとのぶさんにお世話になった。
Advent Calendarの存在をご教授くださり、書こうよ!と誘ってくださったコスゲさん。
文章を書く難しさに理解を示し、近くで半ば上司のようにけつを叩いてくれたのぶさん。
本当にありがとうございました。
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