記憶を失くす経験をした僕がようやく前に進もうとしている話 〜G's ACADEMY卒業〜

※この記事は、5,000文字以上あります。
前半はほぼ全て筆者の過去の経験なので興味がない方は最後まで飛ばしてください。



2019年の暮れ、親友が自ら命を絶った。

僕はフィリピンに留学中だった。
フィリピン時間で、日曜日の朝5時、カナダに留学していた時の先生から電話があった。設定したアラームの時間よりも早く鳴った携帯に腹を立て、こんな朝早くに電話をかけてくる先生に憤怒しながら、もう一度眠りにつこうとしていた。
二秒後、再度携帯が鳴った。
ただ事ではないなと感じ、電話に出た。こんな朝早くに電話かけてくるなと怒るつもりで電話を取った。
僕が話し出すよりも先に、彼女が話した。

「Hi Hiro, Juan is committed suicide.」

太陽の天敵であるカーテンは壊れていて、陽射しを遮るものが何も無かったからか、約八分前に太陽を旅立った光が部屋中でキラキラ踊り回っていた。

一方で僕に降り注ぐ陽射しは、僕の肌を突き抜け、僕の海馬を溶かしていた。


眩しすぎる太陽に照らされてか、僕は二週間ほど記憶を飛ばした。記憶損失は存在する、と身をもって学んだ瞬間だった。
記憶喪失というか、全てがうろ覚えで、自分の精神が自分から出ていったような、そんな感じだった。
僕が行動しているのを上からもう一人の僕がそれを見ている。
そんな不思議な経験を二週間ほどした。もっと長かったのかもしれないし、短かったのかもしれない。
浮いている感覚に近かった。


その日の夜は数日前に一目惚れしたフィリピン人の女性と初めてデートをする約束だった。バーでビリヤードをする約束をしていた。
当然ながら彼女とデートをする気になどなれず、今日は会えないと連絡を入れた。
事情を説明すると彼女は快諾してくれた。

気が付けば朝の七時だった。訃報を受けてから二時間、何もしていなかった。ただただ僕の体から抜けた精神だけが、椅子に座っている僕をぼーっと眺めていた。

日曜日だったこともあり、現地で出会った友人たちは誰一人として、連絡が取れなかった。
仲が良かった日本人たちは期間を終えて帰国してしまっていたし、留学中はできるだけ日本人と話をしないように自分に課していたせいで連絡できる人がいなかった。

だから仕方なく、もう一度、デートをする予定だった女性に連絡を取った。
これもまた、彼女は快諾してくれた。

夜までどうやって時間を潰したのかは覚えていない。
もしかすると、彼女とビリヤードをしたのは次の日だったかもしれない。
兎にも角にも、あまり覚えていない。

約束通りビリヤードを終えた僕らは、カラオケに行った(初っ端からカラオケに行くのもどうかと思うが、フィリピン人はカラオケが大好きだから仕方がない)。

僕は、自分が何を歌ったかも、彼女が何を歌ったかも覚えていないが、彼女が最後に歌った歌だけ覚えている。

AdeleのWhen we were youngだった。

It was just like a movieという歌詞だけが、僕の心を掴んで離さなかった。

この女性とはその日から(これもまた正確なタイミングを覚えていないのだが)、一緒に暮らすことになった。


僕が幽体離脱している間に起こった出来事はあまり覚えていないが、
・宿舎から二回飛び降りようとしたこと(なんで飛び降りなかったのかは覚えていない)
・同じマンションの知らないフィリピン人の方とその方々の部屋で騒ぎ散らしたこと
・次の日自分の部屋の風呂場で目を覚ましたこと
・タトゥーを彫ったこと
以外はほとんど何も覚えていない。


彼女との暮らしは楽しかった。
初めて、結婚したいと思った。そんな女性だった。

フィリピン留学中に、某米コンサルティングファームで現地インターンをしていた。
インターン初日、Juanが死んだ日と同様、これでもかというくらいに太陽はカンカンに照っていた。

インターンに行く途中に彼女にメッセージを入れた。しかし、休憩時間になっても返信がない。暮らし始める前は、メッセージを入れたらすぐに返信が来ていたからおかしいと思った。
そして一緒に暮らし始めた次の日だったこともあり、僕は彼女に飛ばれたと思った。
部屋にある荷物とか、金目の物とか、全て盗んでいなくなられたと感じ、慌ててオフィスビルを出た。
正午の日差しは、さらに激しさを増していた。

急いでマンションに戻った僕は、部屋がある階に着くと、ゆっくりドアを開けた。

彼女は、オレンジのシーツをカーテンレールに被せて、即席のカーテンを作り終えたところだった。

彼女が僕に振り返る。

オレンジの光に照らされた彼女が、輝いていた。

天使がそこに舞い立ったような、なんとも神秘的な瞬間だった。

僕はきっとこの人と結婚するんだ、と、そう思った。


彼女は僕のことを支えてくれた。
落ち込んでいた僕を積極的に外に連れ出してくれた。
次はここに行こう、といつもいつも僕を連れ出してくれた。

留学中でお金がなかった僕は、ご飯をご馳走することさえできなかったけれど、彼女はいつも半分以上払ってくれたし、ご馳走してくれることも多かった。
とにかく支えられまくった。
彼女がいなかったらと思うとゾッとする。

彼女の出身地である離島にも連れ出してくれたし、旅費は僕のために従姉妹からお金を借りてくれた(僕も日本にいる友達に数万円借りた)。
離島に行く船の中ではまた幽体離脱をしていた。
この時期は何かと自分を上から見ていることが多かった。
本当に不思議な感覚だった。

離島の夜空には今までで見たことがないおびただしいほどの無数の星が広がっていた。
僕らは小さいブランケットを奪い合いながら、気が済むまで星空を眺めた。


彼女との生活も数ヶ月経ったある日、彼女から話したいことがあると言われ、IDカードを渡された。
日本でいう身分証明書だ。
そこには、日本人の苗字が記されていた。

「何かわかる?」
彼女が言った。
「うん。結婚してるんでしょ。」
「そう」

不思議なことに素直にそれを受け止めた。


「旦那さんは今どこにいるの?」
「日本」
「私ね、彼との子供流産したの。」
「そうなんだ。」
「うん。」
「彼はなんて?」
「何も。フィリピンにさえ来なかったよ。」
「そうなんだ。」
「離婚したいと思ってるの。」
「すればいい。」
「フィリピンは宗教的な問題で離婚ができない法律があるの。」

「日本の法律ならできるから、日本で離婚すればいい。」
「日本に行くお金もないし、旦那もそれを出してくれないの。」
「そうなんだ。」

当時僕はガーディアンエンジェルのネックレスをしていた。
亡くなったJuanがカトリックだったこともあり、カナダでJuanに勧められて購入したものだ。
ネックレスには皮肉にも、
Our Guardian Angel Protect Me(我らの守護天使よ、私を守護せよ)
と書かれていた。 

守護天使は、去ろうとするものには寛容ではなかったみたいだ。

It was just like a movieの歌詞だけが、僕の頭の中をぐるぐる巡っていた。

今思うと彼女がWhen we were youngを歌った瞬間から、僕はパラレルワールドに行っていたのかもしれない。
間違いなくあの歌は、僕を映画の中に引き摺り込んだ。
そんな力を持った、呪文のような歌だった。


実はこの話にはまだ続きがある。
この時点では、僕の心もまだギリギリのところで踏ん張っていた。
僕の精神が崩壊したのは、正確にいうとこの後だ。

だけど、長くなってきたし(ここまでで既に約2700字)、ここからのことを詳細に書き記すと、僕の心は再び、持っていかれる気がするから、簡単に羅列する(もし、聞きたかったら酒の席で聞いてほしい。お酒があれば、話せるから)。

ちなみに、この期間の間は、人生で一番酒を飲んだ。
逃げるものが酒くらいしかなかったから。
元々お酒は好きだが、自分でも引くくらいに酒を飲んだ。

日本に帰国する日、彼女は空港まで一緒に来てくれた。
「またバイトして3ヶ月後くらいに会いに来るよ」
僕は別れ際、ガーディアンエンジェルのネックレスを彼女の首にかけながら言った。
「これ、友達との思い出なんじゃないの?」
「そうだけど、これは僕を支えてくれたあなたに値すると思う。」
「もらえない。」
「じゃあ3ヶ月の間だけ預かっておいて。次会うときに返してもらうよ。」

それから、結局ガーディアンエンジェルは僕の元に戻ってきていない。

コロナが世界中に広がり出したから、会えなくなった。

コロナに引き裂かれた僕らの運命。
だけど連絡は毎日取り合っていたし、たまに電話もしていた。

そのときに衝撃のことを言われた。
「ヒロ、私妊娠した。」

ガーディアンエンジェルが守るべきものが、また一つ増えたと思った。


もうそろそろ苦しいので羅列する。
・彼女との間に子供ができたこと
・でも結局それは嘘だったこと(僕の気を引こうと発せられた虚言だった)
・実は彼女には既に二人の子供がいること
・その子供は、今の旦那と結婚する前に授かったこと


嘘で創られた彼女の人生。
僕は人のことが信じられなくなった。


それからというもの、私の心はどこかに行ってしまった。
幽体離脱もしなくなった。
昔から僕を知る人には、留学行ってから変わったねとかあんた落ち着いたねとか色々なことを言われた。

何もかも頑張れなくなった。

以前までは、生命力の塊で、何をやろうにもエネルギッシュに活動していた。
それができなくなった。
現実から逃げるようになった。

新卒で入社した会社は、9ヶ月で辞めたし、次に転職した会社は、コロナにクラスター感染し、次の日に出社しろと言われた。39.7の熱があった。
だからそこからも逃げた。わずか1ヶ月のことだった。

そこからはフラフラしてきた。
社会に属することができないと感じ、組織に属することができないと感じ、個人事業主という道を選んだ。
そして最低限の収入で生活することを選んだ。

何より、休憩する時間が欲しかった。
自分と向き合う時間が欲しかった。
仕事とは何か考える時間が欲しかった。

あんなことがあったから、働く準備なんてできていなかったし、働く覚悟なんて当然ながらできていなかった。
今思うと、あの時から僕の時間はずっと止まってしまっていたのだと思う。

G's ACADEMYが僕を一歩前に進めてくれた

G's ACADEMYに入学して、止まっていた僕の時間が動き出した。

「自分の目標に向かって走る」ということを長らくしていなかったから、当たり前にそれをやっている人たちのコミュニティに入って、僕も前に進もうと思えたのだと思う。

進みたい、と思ったのだと思う。

だって、すごく居心地が良かったから。

G's ACADEMYの良さを感じる場面は人によって様々だと思うが、僕が感じたことは「人間として成長できた」点である。

G's ACADEMYに入ると、否が応にも自分がどれほど浅はかな人間かを思い知らされる。
もちろんそこでドロップアウトしても良いのだけど、そこからだけは逃げたくなかった。自分で選んだ道だったし、散々逃げ回って、傷付いた羽を休めていたわけだし。
だから逃げずに戦った。
周りに支えてくれる同期がいたから、戦えた。
サポートしてくれるスタッフの方々がいたから、戦えた。
活躍している卒業生たちを見ていて、俺もそうなりたいと心から思った。

だから、戦えた。

話は少し逸れるが、プログラミング初心者だった僕がG's ACADEMYを卒業してめちゃくちゃ簡単なコードは書けるようになった。

でもG's ACADEMYを卒業しただけで、エンジニアにはなれない。

世界を変えることはできない。

だからここからが本当の勝負だと思う。

羽の傷も癒えたから、翔ぶ準備はできている。
翼は既に授かっている。


ようやく、前に進もうとしている。



Our Guardian Angel Protect G's ACADEMY.
God Bless You.





あとがき

お世話になったG's ACADEMYにそして同期の皆さんに対して、本当の気持ちを伝えないのは何か悪い気がして、今回辛かった過去をカミングアウトしてみました。
この経験から学んだ教訓は、人は誰しも、言いたくない過去や辛かった過去を抱えているということ。

だから、精神が崩壊してしまう人もいるし、そういう人に出会っても、こちらは待っていてあげれば良いだけなんだと学べたことが、この経験をして良かったことだと感じています。

元気に見える人間も、おかしくなってしまうこともある。

僕もその一人だったのかもしれません。

自分でもおかしかったと感じるし、周りの人に聞いてもおかしかったと言われるし、身内には心配され、精神科に連れていかれた。

本当に不思議な経験をしました。
幽体離脱が実際に自分の身に起こるとは考えたこともありませんでした。

だからできるだけ、幽体離脱の詳細を伝えたかったので、今回物語として書かせていただきました。

是非、今後とも僕を仲間に入れてくれると嬉しいです。

今度は主観ではなく、客観的な視点も入れてG's ACADEMYに感謝のnoteを書いてみたいと思います。

改めて、ありがとうございました。


ちなみに僕を支えてくれた彼女は、今では日本で旦那さんと暮らしているみたいです。
僕の精神を崩壊させた張本人だけど、僕を支えてくれた人でもあるので、幸せになってくれていることを願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?