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道中お気をつけて

もし、地獄を突き進む友人がいたら、あなたはなんて声をかけるだろうか。

ヒトラーから世界を救ったイギリスの首相ウィンストンチャーチルは、生前こんな言葉を残している。
「If you're going through hell, keep going.」
地獄を経験しているならそのまま突き進め。

この言葉に出会ったのは、2023年の10月頃だったと記憶している。
東京の街は陽が短くなり、秋から冬へ、景色が移ろい始めている。
街ゆく恋人たちの目の奥からは、しっかりとした未来が感じられ、互いに身を寄せ合っている。
イルミネーションこそまだ始まっていないものの、彼らからはそれにも負けない輝きを感じられた。
その時僕はまさに地獄の真っ只中にいた。

2019年の暮れ、友人が自ら命を絶った。
知らせを受けた時、僕はフィリピンのセブ島にいた。
その日の空は悲しいくらいに快晴で、壊れていたカーテンの間を縫って太陽が燦々と僕の海馬を溶かしていた。
数週間ほどかかって僕の海馬は通常の機能を取り戻したものの、心にぽっかりと生成された空洞は、今まで埋まったことがない。
それ以来、僕は毎夜、懺悔する。
離島へと航行する船の中で、精神は分離し、上から横たわっている自分を眺めている。
夢の中では見ず知らずの女性が連れさられ、パイプのようなもので顔面を殴られている。
出会ったこともない彼女は僕にこういう。
「どうして助けてくなかったの」

小さい頃、高熱が出ると必ず決まって見る夢があった。
真っ白な病院に僕一人。
青いドレスを身に纏った女性がヒールの音を響かせ、僕の名前を呼びながら近づいてくる。
窓は開いていて風が走り抜ける。
ベージュのカーテンがひらひらと揺れる。
声はどんどん近づいてくる。
ヒールの音が足早に僕に近づいてくる。
彼女が僕の肩を叩く。
僕はここで決まって目を覚ましたから、その人の顔は見ていないし、それが誰だったのかはいまだにわからない。
もうあの夢は見なくなってしまったから。

幼い頃からよく好んで本を読んだ。
しかし読書好きのイメージとは真逆の性格をしていて、学校行事の真ん中にいたし、騒ぎの渦中には決まって僕がいた。
夢は必ず叶うものだと信じて疑わなかったし、眠れないほど夢を見た。
一方で一人になるとよく、人はなぜ生きているのだろうとか、空はなんで青いのだろうとか、葉っぱはなぜ木から落ちるのだろうとか、人生の目的についてとか、そういったことをよく考えていた。
物心つくと詩を書き、ノートにまとめたりもした。

変わった性格をしていたと思う。
めんどくさい性格をしていたと思う。

自分の気の向くこと、やりたいことだけをやり続けてきた。
俺はどうしたいか。に従って生きてきた。
その上、嬉々として自分はこうしたいを他人にぶつけ、鬼気として他人の価値観を否定しては敵を作った。

大人になってからもこの性格は変わらなかったから、そばにいてくれる友達も次第に少なくなった。
僕のエネルギーの高さに、周りがついて来れなくなる。

少年の時から仲良くしている友人たちと飲み会をした。
本当は学生時代に一緒にバックパッカーをした友人とサシで飲むはずだったのだけど、お前とサシはエネルギーを消費するからサシは嫌だと断られた。
僕はあの時から何も変わらない。
夢みがちな少年で、これからの人生について熱く自分の意見を展開する。
グラスの中の氷はとっくに溶けて無くなっている。
水滴がグラスの縁を滴る。

中島みゆきは、少年たちの目が歳を取ると歌った。
「お前ら全員目が老けたな。」
僕らは年老いて無くなった氷を他所目に店を出た。
12月の寒空の元、駅前のイルミネーションが輝いていた。

ドリーマーと言われて育った。
恐らくこれは読書好きが転じてしまった結果だと最近になって考えるようになった。
世界には自分の知らない世界がたくさんある。
世界なんて、自分が今いる場所、話している場所、している仕事、目の前の現実以外に、無数に存在している。
だから自分の世界を飛び出して、日本を、そして海外を旅した。
けれど大抵の人たちはこれに気づかない。
目の前のことだけを現実世界だと思い込み、自分に言い聞かせる。
逃げたら負けという概念は、日本社会を取り巻く、悪の概念で人々を追い詰める。
そこから逃げ出そうとする奴らを、社会からの外れ者と嘲笑し、それを肴に安い酒を飲む。
夢を諦めた弱者どもは、現実主義のふりをして生きる。

ハンガリーのことわざで一時期ドラマのタイトルにもなった「逃げるは恥だが役に立つ」は本当にその通りで、笑われるけど、役に立つ。
結局僕らはどこまで行っても自分の人生を生きているのであって、他人の人生など送る時間などない。
人生の意味、自分が一生かけて叶えたい夢だけ見えていればいくら逃げたって、他人になんて言われようたってかまわない。
だからそれさえわかっていればいくら逃げたってかまわない。

しかし戦略なきドリーマーは人生を破滅へと追い込む。
僕は就職してから4年もの間、地獄を彷徨い続けた。

同世代の仲間の例に漏れることなく、足並みをそろえて就職活動をした。

就職した先は、情報商材を売る会社だった。
僕はこの会社で抜擢を受け、新卒でプロダクトの統括をするポジションについた。
そして初めてのプロジェクトで1億2000万を売り上げた。
数字だけ見るとすごいかもしれないが、実際は周りの先輩たちが助けてくれたし、ついていくことに必死だったのでこの数字に見合った活躍はしていない。
このプロジェクトの後、僕は会社を辞める。
相場を読むのが好きだったから楽しさもやりがいもあったが情報商材を家族に売れるかを考えた時に答えは否だったからだ。

その後再就職をするも、これまた自分に合わずに1ヶ月で辞めた。

そこからはオンラインで英語を教える塾を起業したものの、気持ちの良いくらいに失敗して、生活するためにバイトを3つ掛け持ちした。
いつしかバイトの方がメインのフリーターへと転身した。
朝は牛乳配達をして、夜は居酒屋、土日はトラックの積荷のバイトをした。
この当時は、友達に会うのも、知り合いに会うのも嫌で嫌でたまらなかった。
友人たちからは笑われ、友人の父までもが、大人なんだからちゃんと働けよとありがたいアドバイスをくれた。
借金も膨れ上がったし、なかなかに地獄だった。

同級生たちは、一般企業でそれなりの生活を送っていたし、結婚も、子供も産まれたり、家や車を買ったりで普通の暮らしを送っていた。
あれほど、「普通の生活」に憧れたことはなかったし、「普通に働ける人たち」を羨んだことはなかった。
自分が不甲斐なくて、悔しくて悔しくてたまらなかった。

けれど、決して、自分の夢を、人生を諦めたことはなかった。

その時に冒頭のチャーチルの言葉に出逢った。
しかし当時は、早く地獄から抜けたい一心で、この言葉の本質を理解することなどできなかった。

それからプログラマとして再就職を果たすも、給料が20万に満たず、土日はバーベキュー場でバイトをした。
夏の熊谷の炎天下は、容易に人を殺める。
休みなく数ヶ月働き続けるのは本当に辛かった。

地獄にいた時、働くことの意義について考えたことがある。
僕はその答えを持っている。
足並み揃えて就職をし、人生を送っている同世代の子たちは、この意義を見出せているのかはわからない。
ちゃんと働けと言ってくれた友人の父がこの意義を見出していたかはわからない。
だけど、働くことについての自分なりの答えを持っている人は少ないのかもしれないと思う。

再就職を果たした時、誓ったことがある。
「もう絶対に個人事業主なんかにならない」
それが面白いことに、就職して半年も経たないうちに僕は再び個人事業主となった。
人生は不思議だなと思う。

先日、小学生の同級生たちと小さいながら同窓会をした。

「こいつはめちゃくちゃ稼いでるんだぜ」
名指しされた同級生がウイスキーの入ったグラスを口に運ぶ。
「こんな仕事していて、〇〇くらい稼いでるよ。仕事というのは如何にうまくサボるかだと思うんだよね。サボることだけ考えてお金もらっているよ。」
同級生たちから笑いが起こる。
僕は笑わなかった。

働く意義なんて千差万別だと思うけど、僕はそんな働き方などしたくない。
ワークワイフバランスなんて言葉はクソ喰らえで、ワークイズライフだし、ライフイズワークだと思っている。
俺はどうしたい。に従って生きてきたし、そのおかげで地獄を見たけど、今がある。
人生の大部分を占める「仕事」において、好きなことを仕事にできたら、好きなように仕事ができたら、もっというと、人生の目的と仕事が重なり合っていたら、人生の幸福度なんて他とは比べ物にならないくらい上がると信じている。
だから、ずっとそのために社会から逃げ回った。
そしてありがたいことに今はその夢を実現できた。

「どれくらい稼ぐの」
とその子が質問してきた。
この質問に対して、大変大人気なくて、小さい話なのだが、
「お前より稼いでるよ」
と包み隠さずに言ってしまった。

「今年はもっともっと上がるよ。もうその世界も見えてる。」と続けてしまった。

ウォルトディズニーは、「夢見ることができればそれは実現できる」と言った。
この言葉は、無責任なくらいに言葉足らずだと思う。

幼い頃にこの言葉を知った僕は、自分の身体一つで空を飛ぶことを夢見た。
だけど、今まで空を飛べたことはない。
「夢見ることができればそれは実現できる」は嘘だったと小学生の僕は、この言葉を否定した。

しかし最近になってようやくこの言葉に意味を理解した。

ライト兄弟は、人類で初めて動力飛行機を発明し、空を飛んだ。
「夢見ることができればそれは実現できる」
彼らは夢の見方を変えたのだ。
恐らく、ライト兄弟は空を飛ぶことがどういうことか見えていたのだと思う。
彼らにしかなしえなかった解像度で人類誰もが夢見た空を飛ぶ夢を再定義した。
その結果、彼らは夢を実現させ、人類のレベルを一段階引き上げた。

ディズニーは、エンターテインメントを再定義し、人類を引き上げ、ライト兄弟は空を飛ぶことを再定義し、人類を引き上げた。
ジョブズもゲイツも、ジェフベゾスも、イーロンも人類を一段階上へ引き上げた。

ディズニーがいう、「夢見ることができればそれは実現できる」はライト兄弟のようなことを言っているのではないかなと最近感じるようになった。

夢の解像度が上がれば上がるほど、100%に近づけば近づくほど、実現の可能性は上がる。
夢の解像度が100%になれば、夢は実現できる。

だから僕は同級生に、来年はもっと上がると平然と啖呵を切った。
なぜならもうその解像度は100%だから。
けれどその先の夢の解像度はまだ低い。
今やることは、目の前の見えている夢を全力で追いかけていこうと思う。

「フリーランスはね、大変だよね。」
とそいつはいう。
これに対しては、「仕事が楽しくて仕方ないよ」と返した。

プログラマになってから続けていることがある。
毎週日曜日に今週の目標を立てることと前週の目標の反省を行うことだ。

これを始めてから少しずつだけど前に進んでいる実感がある。
だから仕事が楽しくて仕方ないし、今が、未来が楽しみで仕方ない。

夢に近付いている実感を持つと世界の見え方が変わってくる。
例えば、友人の目が年老いたと感じるように。

冒頭の質問だが、地獄を進む友達に会ったら、僕は迷わずこういうと思う。
「道中お気をつけて」

個人事業主として再び独立を果たした時、給料の上がり具合に有頂天だった。
ようやく地獄を抜けたと周りの仲間に会う度に豪語していた。

だけど、それを数ヶ月続けると、地獄を抜けることなど不可能だと気付いた。

地獄というものは不思議で、進み続けると小さなオアシスに出くわす。
そこはあたかも僕らに天国かと誤認させるが、そんなものは天国でもなんでもなく、地獄にあるオアシスに過ぎない。
このオアシスが厄介で、僕らをさらに地獄の奥地へと誘う。

無論、僕はまだ地獄にいる。

しかし実は、地獄を抜けるためのたった一つの方法も知っている。
夢を諦めれば良い。

夢を諦めれば、地獄などすぐに出られる。
けれどこれまた厄介で地獄を抜けてしまうと歳を取る。

僕にとってはそっちの方が地獄だ。

次の夢に向けて、目標に向けて、地獄を進み始めてしまっている。
暗くて苦しくて、辛くて孤独だけど、楽しかったりもする。

ただやはり、怖い。

同窓会の最後に同級生たちにこう質問された。

「で、結局ヒロキの夢はなんなの?」
同級生たち全員が僕を見る。

「人類をもう一段階引き上げる」

同級生たちから痛快な笑いが起こる。

地獄だ。

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