エンジニアになりたい理由 中
上編
自分で言うのもなんだが、僕はかなりめんどくさい性格をしていると思う。
その上、不器用だから難儀なものである。
生きづらい。
好奇心が他の人に比べて旺盛であるという自覚がある。
これが話をややこしくしている。
全ての物事や事象に対して根底にある理由や答えを知りたがる。
物事の仕組みがどうなっているのか、
成り立ちはなんなのか、
起源はどこなのか、
など、理由や答えが気になって気になって仕方ない。
おもしろい映画を見つけると、「なぜおもしろいのか?」が気になって、その答えを探ろうと、何度も何度も繰り返し観てしまうし、小説に関してもそれは同じである。
そして自分なりの答えを見つけたらわかったような気になって、あーだいたいわかったわと次に進む。
一度気になることがあると、それが頭から離れなくなる。
これは思考が深くなるという良い面もあるが、前に進むスピードが圧倒的に遅くなるというジレンマもある。
だから、僕は何事も成長スピードが他と比べ遅い。
僕はずっと答えを探して生きてきた。
中学1年生の頃、数学のマイナスの概念につまづいた。
「なぜマイナスの概念が存在するのか」の意味がよくわからなかったから。
ましてや、マイナス×マイナスがなぜプラスになるのかも意味が不明だった。
マイナスの概念がよくわからず、先生になんでそうなるのかの意味がわかりませんと質問した。
答えは、「そういうものなんです」だった。
割り切って考えることが苦手な僕は、ここから前に進めなくなった。
周りの友人に質問しても答えは同じかもしくはわからないの一点張り。
誰に質問しても同じだった気がする。
その結果、テストの点数もすこぶる悪かった。
いや、本当は悪くなどなかったのかもしれない。
マイナス×マイナスがプラスになるというのは授業で習ったし、答えを書こうと思えば書けた。
だけど書かなかった。
なぜなら理解していないで答えだけ書くのは、如何にもこうにも納得がいかないから。
それが僕なりの社会に対する抵抗だった。
もしかしたら僕なりの自己表現だったのかもしれない。
高得点を取った同級生や他の友人に聞いてみても、答えは変わらず「そういうものだから」だった。
そこから僕は同級生たちを見下し始めた。
こいつらクソだ。と。
割り切って考えることができる人たちは、生きやすいのだと思う。
僕はそれができないから生きづらい。
何か気になることがあると、止まってしまう。前に進むことができなくなってしまう。
そこからは勉強をしなくなった。
それなりにグレて、友人とトイレで授業をサボったりしていた。
先日、ふとマイナスの概念について気になった。
もしかしたら、今なら理解できるんじゃないかと。
答えを見つけるべく中学生向けの数学の本を買ってはみたものの、僕の探している答えは載っていなかった。
なぜなら、僕が気になっているのは計算式の答えなんかではなくて、概念そのものだったから。
こうなったらもう文献を漁るしかない。
たどり着いたのが哲学の本だった。
そして驚いたことに、中世のヨーロッパまではマイナスの概念なんて存在していなかった。
インドではすでに負の数が証明されてはいたが、ヨーロッパではまだだった。
証明する学者もいたらしいが、他の哲学者たちによってそれは否定されたらしい。
虚無のその先の数字などこの世には存在しないと。
そうだよね!存在しないよね!
ちなみにマイナスの概念はなんとなく理解できた。
でもそれを言語化してうまく人に説明することは難しい。
だからそういうもので割り切っている。
あー、大人になっちゃったな、俺。
「でも今ならテストで良い点取れるよ、大塚先生!」
今もそうなのだが、中学生の頃は特にこの世がわからないものだらけであった。
なぜ空は青いのか。
なぜ葉っぱは落ちるのか。
なぜ言語が存在するのか。
頭の中はなぜでいっぱいだった。
そして中学生の頃からつい最近までずっと考えていた永遠のテーマがある。
人はなぜ生きるのか。
その答えが知りたくて知りたくて仕方なかった。
中学生の僕は大人、子供問わず色々な人にこの質問をした。
でも答えられる人はただの一人もいなかった。
正確にいうと、答えをくれてもどうもしっくりくるものがなかった。
生きるために生きているんだと訳のわからない答えをする大人もいたし、愛する人に出会うためにとか、好きなことをするためにとか、そもそもわからない、なんでだろうね、とか、
当てつけの、その場しのぎの答えにしか聞こえなかった。
僕は大人ってカッコ悪いなと思った。
大人ってバカなんだなと思った。
大人ってダッセー。
当時の彼女にもこの質問をした。
返ってきた答えは、「またその質問?」だった。
彼女はそう言うと、少し前を歩いていた同級生たちの元へと走っていってしまった。
一人取り残された僕はどこかにその答えが落ちていないか周囲を見渡した。
でもそんなものどこにも落ちていなかった。
なんでみんな気にならないんだろう?
一番大事なことじゃない?
そういえばこの間、Instagramで彼女が結婚したという投稿を目にした。
心の底からおめでとう!
ところで生きる意味って見つけた?
先日世界同時発売されたイーロンマスクの自伝を読んでいた。
イーロンも幼い頃に同じことを考えていたらしい。
あー、よかった。他にもいたわ、同じこと考えてる人。
そんなわけで大学生の頃は哲学にハマった。
世界の真理を教えてくれる気がして。
ソクラテス、アリストテレス、プラトン、カントなどなどとにかく文献を読み漁った。
これは僕の中で大事な資産で、物事を深く考えることの大切さを教わった。
話は逸れるが、なぜ古代から中世において哲学者はあんなにも偉大な職業としてもてはやされたか。
それは哲学がすべての学問の祖だからだ。
数学もここから派生した。
だから、英語圏で博士号を取るとDoctor of Philosophy(Ph.D.)の称号をもらえる。
哲学が一番大事な学問だから。
ここまで書いて思うのだが、やはり生きづらい。
細かいことや概念そのもの自体が気になってしまう。
気にしない人たちは生きるのが上手なんだろうな。
もちろんそれはそれで色々と悩むことはあるんだろうけど。
こんな生きづらい僕だが、大人になるともっと生きづらくなった。
新しいテーマができたからだ。
「なぜ人は働くのか」だ。
日本だけに存在する新卒一斉採用の文化。
この文化が、なぜ働かなくちゃいけないのかを探していた僕にとっては重荷だった。
でも社会は待ってくれないし、無情にも時は過ぎ去る。
僕は周りの学生同様、就職活動をして就職した。
でも就職してもこの問いが僕の頭から消えることはなかった。
それから色々あって僕は個人事業主として個人で仕事をすることになった。
それからこの決断は果たして正しかったのか?
と考えるようになった。
個人で仕事をしていると、周りから色々言われたりする。
「自由でいいよね」とか
「楽そうでいいよね」とか
逆に「就職しろよ」とか
一つだけ言わせてもらうが、決して楽ではない。
地獄だ。
就職して普通に働く方がずっとずっと楽だ。
でも僕にはそれができなかった。
なぜならその答えが見つかっていなかったから。
僕からすると、割り切って考えられるあなたたちこそ、楽でいいね。
もちろん上司に怒られたり、取引先に怒られたり、人間関係に苦しんだりと大変なことがあるのは重々承知している。
でも税金払えないかも、と考えたことないでしょ。
社会から逸脱することだからね、なかなかに辛いよ。
個人で仕事をすると見えてくるものがある。
なぜ働くのか、の理由も見えてきた。
僕が出した答えは、世界にインパクトを与えたいから。
これが一つの指針になった。
え?そんな単純なことなのと思うかもしれないが、そう、至ってシンプルだった。
結局僕らは社会と繋がっていたい。
社会に対する帰属意識なのだろうか、僕らは誰かと繋がっていないと生きられない。
新卒一斉採用の時はこんな単純な答えが見つからなかった。
頭がいい人たちは、この答えをすでに見つけていたのだろうか。
それとも、そもそもそんなことなど考えなかったのだろうか。
先日駅で友人の父にばったり再会した。
「大人なんだから、しっかりしろよ!」と言われた。
彼からしたら、背中を押したつもりだったのだろうか。
聞けばよかった。
働いている意味ってなんですか?って。
もちろん人それぞれなんだろうけど。
割り切れる人たちが羨ましい。
自分なりの働く意味を見つけられたことは大きな転機となった。
生きていく指針が僕の中で見つかったから。
あの時、個人事業主になったのは間違いだったのかなとよく考える。
でも間違いなんかではなかった。
なぜなら働くことについての根底にある概念を知れたから。
あとはその指針に沿って、それに合う企業を探せばいいから。
根底にある概念自体は見つかったから、あとはそれをうまく組み合わせていくだけ。
なんだか前に進めそうな気がしている。
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