かっぱとの遭遇

先日、たまたま曲がって入った人目につかない路地裏で、僕はかっぱに遭遇した。

かっぱは一目につきたくないんだと言わんばかりに、ひっそりと、けれど堂々と佇んでいた。

「かっぱって本当に存在していたんだ」と心の中で呟いた。
それは奇跡的としか言いようがない不思議な出逢い方で、まさに遭遇という言葉がしっくりくる、そんな出逢いだった。

路地裏には、僕とかっぱ以外に人影はなく、世界がまるで僕とかっぱだけになったかのような、そんな重みのある時間が刹那的に流れた。
僕はかっぱに「ずっと待っていたよ」と、そんなようなことを言われているような気がした。


僕がそのかっぱの存在を知ったのは2017年の夏の終わり頃だったと記憶している。
高校を卒業し、大学生になった僕に、高校のサッカー部の恩師から合宿の手伝いをしてほしいと連絡が入った。
バイト代も出るということだったので、渋々だが、だけどどこか喜んで、行くことにした。
1泊2日(2泊だったかもしれない)の合宿の晩、夕飯を終え、他校の監督の方々と僕の恩師と僕を含む四人で、大きな皿いっぱいに、まるでフグの刺身のように綺麗に並べられた、馬刺しをつまみに晩酌が行われた。大人たちが酒を酌み交わす中で僕は烏龍茶を片手に新鮮な馬刺しを頬張った。ニンニクが効いた新鮮な馬刺しは美味しく、遠慮などせず頬張ってしまった。

残念だが、一緒に馬刺しを頬張った方々の名前もどこの高校の監督かも今では覚えていない。ただ千葉県にある公立高校、しかも古豪と言われるチームだったことだけは覚えている。そこの監督の歳は60歳半ばくらいの貫禄がある方で、食通と言わんばかりの立派な体型をしていた。

僕はその監督に大学はどこに行っているのかと聞かれた。

「駒澤大学です。」
「駒澤か。駒澤ならかっぱにはよく行くだろ?」
「かっぱ?何ですかそれ?」
「知らないのか。かっぱっていう煮込み屋があるんだよ。俺も学生の頃、駒沢の近くに行く旅に仲間と必ずそこの煮込みを食って帰ったよ。駒澤大学を超えて、駒沢公園を超えた先にあるから今度行ってみるといい。行けばわかる。」
「わかりました。」

なぜかこの時の名前も知らない監督の言うかっぱの話は印象に残っていて、そこのシーンだけは明確に思い出すことができる。

しかし夏休みも終わり、大学に戻った頃、かっぱを捜索したが、見つけることはできなかった。そして何故か、ネットに頼ることもせず(恐らくこれには、行けばわかるからという監督の言葉が関係している)、捜索は早々に断念し、かっぱになど遭遇することなく、月日は流れ、卒業してしまった。
正直、今のいままでかっぱのことなど忘れ去ってしまっていた。


先日、仕事の関係で久しぶりに駒沢大学駅に降り立つ機会があった。
先方のオフィスは駒澤大学を超え、駒沢公園を超えた先にあった。
しかし遅刻しないように時間に余裕を持って行ったせいで、1時間ばかり時間が余ってしまった。
ひとまずオフィスの位置だけ確認してから、カフェにでも入って準備をすることにした。
その時、何故だか千葉の高校の監督と話したことを瞬間的に思い出した。そういえばかっぱってここら辺って言っていたよな、と。
そしてそれらしきオフィスを確認し、通り越し、路地裏に入った。
路地裏に入ると、かっぱがあった。

僕はかっぱに「ずっと待っていたよ」と、そんなようなことを言われているような気がした。

仕事が終わったら絶対に食べて帰ろう、そう決心した。

それからカフェに入り、準備をし、先方との予定の時間の少し前にもう一度かっぱの前を通ると数人が列をなしていた。
結構な時間待つことになるかもしれないと覚悟し、商談に臨んだ。


商談後、早速かっぱに行った。
しかし、並んで待つ人は誰一人としておらず、もう終わっちゃったのかなと恐る恐る引き戸を開けた。
店内はカウンター七席だけの小さなお店で、一番手前、入り口側に一人お客さんが座っていたがそれ以外に人影はなく、カウンターの前に置かれた椅子たちは、誰の体重も支えなくていいからか、どこか嬉しそうに見えた。

「一番奥に座ってください」と店主に指示され、言われた通りに腰を下ろした。
それと同時に牛すじ煮込みが僕の前に置かれた。
ここにメニューなどは何もない。
牛すじ煮込み一本勝負。
そして携帯電話の使用は禁止。
主語も原則禁止らしい。

「ご飯は?」と店主に聞かれ、顔を上げ、店主を見ると、「並、大、小」と立て続けに言われた。
「並で」
僕の前に並盛の白米が置かれた。

ここまでの一連の動作で十秒ほどの時間を要しただろうか、とにかく素早かった。
白米が置かれると同時に戸が開き、また別の一名が入ってきた。その人は文字通り七席ある内のど真ん中に通され、その人と僕と最初からいた人との間にはしっかり二席分の、綺麗な一定間隔が保たれた。

その20秒後、今度は女性が「四人です」と言いながら入ってきた。
店主は「二、二で別れて座ってください」と指示した。
店内はすでに店主だけしか話さない、シリアスな雰囲気を醸し出していた。
「はい」と女性が返事をし、二、二に別れる。
しかし全員女性なのかと思いきやそうではなく、残りの三人は全員男性だった。こんなにもシリアスな空気が流れる店内に男三人を引き連れて入ってくる女性がすごくかっこよく感じ、心の中ですごく尊敬した。
彼らは当然、入ってきた順番で席に着いたわけだから、僕の横にその女性が座った。
そして店内は僕が入ってからわずか一分ほどの間で席はすぐに満席になった。

ラッキーだったなと思った。

かっぱとの七年越しの奇跡の遭遇。
長蛇の列を成す店に瞬間的に入れたこと。

これらの要因があって、これは神からの啓示なんじゃないかなとそんな思索にさえ耽った。

最後、大根の漬物が置かれ、僕の前に役者が揃った。

店主は四人組にご飯の量を聞いている。
女性は「私、小で!」と注文している。

こんなシリアスな店で空気感に蹴落とされず、大きな声ではっきりと、「私、小で!」と、「私」という主語までつけて返答できる彼女に脱帽した。
かっこいいなこの女性。

僕はシリアスさに負けて、その女性のことは一度も見れなかったけれど、きっと端麗な容姿をしているのだろうと思った。
自分を持っている人って女性に限らず、人間として、かっこよくて、美しいよね。

肝心な牛すじ煮込みはというと、もちろん、当然なのだが、美味しかった。
かなりうまかった。

そして名前の知らない千葉の監督に思いを馳せた。
「監督、おっしゃる通り、相当にうまいですね!」と。

途中から出てきた女将に会計をお願いした。

「ご飯の量は何でしたか?」
「並です」
「一千円になります」
僕は財布を開き、丁度あってよかったと心底安堵しながら、一千円をカウンターに置いた。
そこにはレジなどなく、手渡しが基本の昔ながらのスタイル。
小心者の僕はこれまたシリアスな雰囲気に呑まれ、「領収書ください」のたった一言が言えなかった。

かっぱには、
お酒もない。
携帯も使えない。
会話もない。
メニューもない。

あるのは、白米と牛すじ煮込みとお新香だけ。

ものと情報に溢れ返った忙しい現代社会において、久々、純粋に「飯を喰う」ことだけに集中した気がする。

かっぱとの蜜月は、しばらく続きそうな予感がしている。

1950年創業のかっぱ。店主は3代目(お婿さん)らしい(全てネット情報)。


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