見出し画像

何のために「人に好かれたい」のか

「人は一人では生きていけない」
とそもそも思っていて、何をするにも必ず他者の存在を抜きには考えられない、買い物一つとってもスーパーやコンビニでレジの人とやり取りをするわずかな時間が生まれる。

ネットが発達して置き配も当たり前になって、自己完結でやり過ごせる場面は確かに増えたけれど、それでも、人と関わらずに生きていくことは困難だと思う。

私なんかは元来臆病者なので、コンビニの店員さんとのささいな会話ですら心が緊張する、「なるべく丁寧に」「失礼がないように」と、自分の見られ方を意識する。どっと疲れる。

半年以上前のことだが、「ゼルダの伝説」の新作が発売になったとき、プロモーションとしてあるコンビニで「指定のお菓子を300円以上買えばクリアファイルを一つプレゼント」っていうのをやっていた。
息子が欲しがるので食べられるお菓子を選んでもらってレジに行き、「クリアファイルをいただきたいのですが」と店員さんに伝えたら、きょとんとした顔で「あ、棚にあるものを自由に取ってもらえたら」と返されて真っ赤になった。

説明をよく読んでいない、棚には確かにクリアファイルが並んでいた、「自分で取ってレジに持っていく」やり方を私が知らないだけだった。

こんなときに「あ、バカな客って思われた」と”勝手に”決めてしまい、そこから「店員さんにネガな印象を持たれた:が生まれ、それが「迷惑な客」まで発展する。「嫌われたかも」と胸がずんと重くなる。

アホかと思う。
そのかたの実際を知る由はないがこの程度の「すれ違い」にいちいち大きな意味を置くのはおかしくて、接する人間すべてに己の存在の価値を考えるなんて、生きづらさでしかない。

相手の好悪をその都度考えるような狭い視野は自分の振る舞いに自信がないからで、吃音症の私は「話す相手に迷惑がかかる」ことを極端に恐れるせいもあるが、いちいち「嫌われた可能性」なんかに注目しても仕方ないのだ。
相手は仕事でありこんな対応など常に可能性はある、何人も接客するのにたった数秒話した相手のことなど、覚えているかもあやしいのが現実だ。

どうして些細な触れ合いですらここまで好悪に過剰になるか、結局は「全方位で人に好かれる自分でいたい」の欲がある。
笑顔で、スムーズに会話ができて、常に「いい人」である自分。
それ以外に思われることがひどく不安になる、価値はないと思いつめる、「相手にとってメリットのある自分」にしか正解はないと決め込む。

こんな意識で人と接していると、相手に対しても等しく「価値の有無」を考えるようになる。
こちらはフラットな感情で接しているのに、嫌な振る舞いをされて心がぎゅっと傾くと「無価値でくだらない人間」の札をすぐ貼る、やり返したくなる。
「やり過ごせない」心の狭さは、相手の意思に関係なく「私をないがしろにしたこと」の罪ばかり負わせようとする。

窮屈だよねぇ。
だからやめた。

何のために人に好かれたいのか、その人間に好かれることに大きな意味はあるのか、”好かれてどうなりたいのか”。
道端の標識にまで「私に価値を感じろ」と念じるような過敏な自意識になってないか。

「好かれないこと」で何か損害が生まれるのか、デメリットがあるのか。
そもそもその人は自分にとってどんな意味のある存在なのか。

そのコンビニの店員さんは私の日常にどれほどの意味があるのか。
こう考えたとき、その男性は私が行くときは滅多に見るかたではなく、つまずきがなければそもそも記憶することすらないような、日常に流れていく存在なのだとわかる。取るに足らないとか悪い意味じゃなくてね、「通りすがりの人」のような気軽な存在というか。

その人にどう思われるかで私の日常に影響が出ることなどないのだ。

全方位で好かれるなんて絶対に不可能で、何でかって違う人間同士なら合わない部分があって当然で、等しく自分だって受け入れない他人が出てくる、お互いさまなのだ。

人は一人では生きていけない。
だからこそ、過剰な好悪は易く生きていくことの邪魔になる。
「易く」は簡単にではなく「落ち着ける」ことで、生き易さは己と他人の境界線を守ることで生まれると思ってる。

「好かれたい」の強迫観念がどこから来るのか、はまた別の問題だが、全方位で人に求めると自分が窮屈になる。
自分が損をする。
この「損」は具体的な損失になることもあれば、感情面や精神面で無駄に傷つくことでもある。
「いちいち好かれなくてもいい」人は日常で確実にいて、それは相手を軽んじるとかないがしろにする意味ではなくて、対等であるからこそ好悪を持ち込まずに済む存在だと思う。
おそらくこういう存在の人のほうが多いはずなのだ。
好き嫌いが「ない」からこそ己が易く生きられる場面は多い。

目に見えない境界線は、二本ある。
自分が引くものと相手が引くもの、操作できるのは自分の線だけで、守るべきなのもその一本だけ。
みやみに超えていかないこと。
意味もなく「こちらを好きになるかどうか」を考えないこと。

「何のために人に好かれたいのか」、自分の存在の価値を他人に委ねるのは余計に自信をなくして「損」を負うよねぇって話。
とりとめもなくて申し訳ありません。


いいなと思ったら応援しよう!

ひろた かおり
読んでいただき、ありがとうございます!  いただいたサポートは執筆の必需品、コーヒー代にあてさせていただきます!