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讃岐うどん屋「宮武系」とは
「宮武」とは何か?
讃岐うどんの話をするときに、時折登場するのが「宮武」という名前。実は大きく2つの系統に分けることが出来る。両者の間に「王将」や「丸亀」の例とは違うようだ。戦後の香川では、名字を屋号にすることが多く、加えて「宮武」姓がそこそこ多かっただけのコト。これが今も現役の「宮武」を冠するうどん系の商売筋が複数残っている理由。首都圏の民にはワカランよな。「ラーメン二郎」にまつわる系譜の話にも似ているかもね。素人には敷居が高い深みだけど、知った上で食べ比べると面白い。
「宮武」を(事実上)ブランド化したのは、田尾氏が手がけた書籍(?)「恐るべきさぬきうどん」といっても過言ではないと思う。「宮武ファミリー」なる造語はここから生まれたと記憶している。後述の開業ヒストリーでもそれは伝わってくる。これによって味による口コミだけで無く、メディア上でも「宮武」の名は一人歩き出来るようになっていた。素直に修行したいと考える者だけでなく、ビジネスで乗っかるアイデアの可能性も産んだのではないだろうか。
1つ目の「宮武」の系譜:宮武等(ひとし)、チェーン店の宮武
1つ目の「宮武」は、現在『宮武讃岐製麺所』としてやっている。宮武等氏が昭和23年(1948)に「宮武製粉所」を創業。そこからほぼ同時に始めたと言われる製麺業ビジネスは今も継続中で、都市部に向けて麺の卸しをやっている。一方で、自社の麺(うどん)を提供する直営のうどん店舗も運営。直営店(うどんセルフサービス店)を開店したのは1981年。
東京麺通団(オフィシャル)
製麺は新宿の店舗で行うが、うどん生地種は「宮武讃岐製麺所」から仕入れているとのこと。2003年9月開店。
2008年4月、三井アウトレットパーク入間に「宮武讃岐うどん」1号店がオープンした。大型商業施設をターゲットに「宮武」の冠で展開するセルフうどんチェーンで、まあ後発なのは間違いないし、後述の「2つ目の宮武」がその口コミで有名になった後にこの名称での出店だ。大人の作為を感じる。
・1990年代:第n次うどん巡りブーム。「2つ目の宮武」大ブレイク。
・はなまるうどん:2000年創業、2002年東京都初出店
・丸亀製麺:2000年創業、東京進出時期不明
仕掛けたのは、ピザーラやロブション(の日本での店舗運営の権利)を有するフォーシーズ。宮武讃岐製麺所からうどん生地種を仕入れて店舗で製麺する方式。横浜ランドマークタワーにある「うどん宮武」も同様。
現在に首都圏で見かける「宮武」の看板はコレだ。
「他の宮武」とは無関係である。
掲げている「昭和23年創業」はあながちウソじゃ無い。
丸亀製麺と香川県の関係性の薄さ問題よりはマシ(?)かも。
2つめの宮武:高松市仏生山の宮武製麺所
既に書いたように「宮武」姓の創業者が始めたら、宮武のうどん屋となるワケだ。そんな一つ。創業、昭和32年(1957)。現在の女性店主は3代目らしい。例によって「他の宮武」とは無関係。
さらにもう一つの「宮武」の系譜:宮武一郎、宮武ファミリー
こっちの「宮武」はレジェンド的な存在で、ウンチクな形容が多いので箇条書き。都市伝説的なものも含む。
讃岐うどん巡りブームの超人気店だった。もちろんS級店。(後述)
親戚や弟子、孫弟子を持ち「宮武ファミリー」と呼ばれる。
「宮武ファミリー」にもいくつかS級店。
師とされる「宮武一郎」は、実は2代目。
映画『UDON』(2006年公開)の「松井うどん」の大将のモデル。
初代は父の士郎さん。1953年に創業。上述の「1つめの宮武」の方が先。
士郎さんは「山神」でうどんビジネスを覚えたらしい。という意味で、ルーツは「山神」?
名物だった「げそ天」は初代が導入した。
同店名物の「あつあつ」「ひやあつ」という用語は訪問客が使い出したのが発祥とされている。
「宮武ファミリー」には、釜揚げは提供しないと言う鉄の掟があるという。掟を破ると破門らしい。あれ?あの店は・・・
宮武の基本は、手打ちで手切りだが、ファミリーの中には機械を導入している店舗もある。仁義的にどうなのかは不明。
2009年に体力的な限界を理由に、惜しまれつつ閉店。
意志を受け継いだ谷本和正氏がやっている、新生「宮武うどん」がある。(後述)
宮武一郎さんへのインタビュー記事
ところで、S級店とは
「恐るべきさぬきうどん」(ウィキペディア)
は、香川のタウン誌に連載されたコラムを書籍化したもので、5巻まで出た。その3巻において指定された10店。「山越」「山内」「宮武」「谷川」「あたりや」「長田」「山下」「田村」「彦江」「蒲生」のこと(太字が宮武ファミリー)。だがその第3巻は1996年に初版発行。元原稿がタウン誌に掲載されたのはもっと前だ。1990年代のうどん巡りブームの頃には大きな意味を持っていた格付け指標と言えた。皆がこぞってS級店ばかりに行列したものだ(メディアもそれを増長してた)。一方で、廃業した店舗もあるし新規の激旨店も台頭してきている2020年代においては、受け止め方は人それぞれでイイと思う。
宮武ファミリー
「恐るべき讃岐うどん」によって名付けられた「宮武ファミリー」には、「宮武一郎」の親戚関係だったり、師弟関係だったり、そのまた弟子だったりの系譜の総称(と外野が思っている)。「麺の質」「げそ天」「ひやあつ」等に共通点が見られることが多い。中にはインスパイヤ系とも言える店もある。
まあどれも僕の満足度には遠かったので、自分でも調べることにした。
宮武ファミリーの系譜(ダイジェスト)
ネット上から宮武一郎系の(いわゆる)宮武ファミリーの系譜を追ってみたら、膨大な情報量だったので詳細は別にまとめることにする(気が向いたら公開)。ココではダイジェストのみ掲載。識別の便宜上、地名等の枕詞を付記したお店もある。完全に表現できていない部分もあるケド、まあネスト構造での限界ってことで・・・。
・太字が現在も営業中
・☆印が宮武一郎に直接師事したとされる店主がやっているお店
本家:琴平町の「宮武」
☆山内
あたりや
綾
蓮
純手打ち讃岐うどん五郎
ふじや
無双
イーハトーボ ーー>土三寒六
山とも
☆松岡
☆丸幸
☆うどん冨永
☆いわい
こげら
うさぎ
讃岐うどん やまと
☆かがり火 ーー>おにやんま(各店)
こくわがたーー>Tokyo light Blue Hongo-3
つくつくぼうし
Tokyo Sunflower Iidabashi
☆円座の宮武うどん
饂飩じんごろう
いなせや
よしや(インスパイヤ?)
宮武ファミリー(詳細リスト)
(今のところ封印)