些細なことでも心が救われることがある
こんにちは、ひろです。
今回は「些細なことでも救われることがある」というテーマです。
今から話すことは、高校時代にいじめられていた僕の経験を織り交ぜながらこんなことでも心は救われることもあるし、救えるという話をします。
もしこの記事を読んでくださった方の中で、落ち込んでいる人や弱い立場にいる人が身近にいて、気にかけているという方がいれば参考程度に。
結論から言いますと、「おはよう」と挨拶されただけです。
人がいない時にそっと挨拶されただけです。たったそれだけです。別に仲が良いわけでもない人でした。
その人に挨拶されたのは一回だけですし、その後も優しくされたということもありません。しかし、20歳になった今でもその日のことは鮮明に覚えています。
当時の僕は、まわりに味方もいない状態で身も心もただ消耗していくだけの日々でした。そんな時にかけられる一言ってかなり響きますね。
最終的には、そんな状況から立ち直れることができたのですが、それはまた別の機会に。
そして、僕がその「おはよう」に救われた理由がもうひとつあります。
それは、僕にあまり深く関わろうとしなかったことです。
聞こえが悪いかもしれません(笑)
もちろん、「良い意味で」です。
僕としてもあまり関わりをもつと、その人も巻き込まれる可能性もあると思っていたので、丁度良い距離感で楽でした。
もちろんずっと側にいて優しくしてくれたら嬉しいですが、一緒にいじめの対象にならずとも、巻き込まれたりでもしたら、それこそ一番嫌ですね。
人がいない時というのも良かったかもしれません。なぜなら、その人の「本心」であるというのが伝わるからです。
クラスメイトがたくさんいる中で、同じことされても冷やかしに聞こえてしまいますね。ひねくれているかもしれません。
しかし、追い込まれていると心に余裕がなくなってしまいます。
そういった意味でも、その人のたった一言の声掛けは絶妙でしたね。
今でも感謝しています。
ただ単純にポジティブに捉えただけと思われるかもしれません。
しかし、少なくとも当時の自分は追い詰められていましたし、その一声だけでも心が救われました。
改めて、身近につらい思いをしている人がいて、少しでも気にかかっているというのであれば、無理に「ずっと側にいる味方」になる必要はありません。
やさしい声で一言、「おはよう」と言ってみてください。それで救われる人もいるので。