見出し画像

わがコムデギャルソン

自分にとって、コムデギャルソンは特別なブランドである。

ここで特別なブランドの1つであるとあえて書かないのは、コムデギャルソンのかわりになるブランドが自分の中にはないからであり、大学時代にその存在を知ってからはや30年以上、自分にとっては「何者にも代えがたいもの」であり続けている。

コムデギャルソンのエピソードについては今さら語るまでもないが、私がそのアヴァンギャルドさに驚いたことが2つある。そしてそれはどちらも服のことではない。

1つめは、「黒い香水を作ろうとしたこと」である。黒い香水は服につくとどうしてもしみになってしまうため、その考えは頓挫したとのことである。コムデギャルソンといえば確かに「黒」ではあるが、誰が香水そのものを黒くしようと考えるだろうか。

2つめは「ここにおくか!」と思えるような意外な店に服(それはPLAYであったり、SHIRTSであったりするのだが)がおいてあることである。吉祥寺に昔roundaboutという素晴らしいお店があり、90年代から00年代にかけて足繁く通っていたのだが、そこにある日、PLAYの下着や香水が売られているのを見たときは本当に驚いた。もちろんそれは企業戦略の1つなのかもしれないが、世界的な企業であるコムデギャルソンが、そういった知る人ぞ知る、ある意味マニアックな店にアンテナをはっていることが驚きであった。そしてその感覚は極めて今日的であり、若いと感じたのであった。

コムデギャルソンの服はもちろん素晴らしいが、コムデギャルソンをコムデギャルソンたらしめているのは、服のアヴァンギャルドさだけでなく、その企業としての仕組みそのもののアヴァンギャルドさである。

我々は、コムデギャルソンのようにアヴァンギャルドな服はとてもつくれないが、コムデギャルソンのように既存の仕組みを疑い、アヴァンギャルドに思考することはできる。全く違う職種であってもそんなふうに思わせてくれるコムデギャルソンが常に自分のそばにあること、それこそが自分にとって大切なことである。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?