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お茶道楽

2023年4月14日(友引)18時25分、俺は本来なら妻となっていた女性とともに、地上45階へノンストップで上昇する高速エレベーターに乗っていた
エレベーターの扉が開くとそこは別世界、静かなジャズが流れ、窓の向こうには東京の夜景が広がっていた
受付で名前を告げると、俺たちは窓際の席に案内された
料理は事前に頼んでいたので、乾杯のシャンパンの銘柄を選ぶとウェイターはすぐにいなくなった
目の前には東京スカイツリーが灯りをともしていたが、見るに値するものはそれだけだ

俺は無理にテンションを上げていた
なぜならこの日は結婚記念日になるはずだったのだが、この日の朝、戸籍謄本が本籍地でしかとることができないことに気づき、結婚届を提出できなかったのだ
この日を入籍日として選んでいた妻になるはずだった女性からはめちゃくちゃ怒られた
しかし、ここで自分がしょげてしまっては次の危機に対応できない
気づいたのが当日の朝だったので、レストランの予約は取り消せない
レストランには来てしまった
いったいここで、これから何を祝うのか?
そのような根源的な問いを自分に問うてしまったら、そこでゲームセット
今日はとにかく祝うのだ
たとえそれが幻の結婚記念日であっても

その気合が功を奏し、2時間ほどの食事は楽しく過ごせた
気が緩んだところでウェイターが食後のお茶を薦めてきた
中華料理の店だったので、メニューには台湾茶が並んでいて、特に理由もなくプーアール茶を選んだ
味はかなり癖があったが、なるほどこれが本場のプーアール茶なのか、と納得した

会計を済ませ家に帰る途中、レシートを確認した
ネットで予約した料理の額と会計で支払った額が大きく違う気がしたのだが、無理に気分を上げようとしていたので、そこは問わずに済ませていた
確かに最初にシャンパンを頼んだが、他には何も頼んでいないはずだ
レシートに記載してある文字を上から読んでいると、そこに予期せぬ文字が並んでいた
プーアール茶?
あれは別注文だったのか、と値段を見たらびっくりした
一杯2600円
思い返すとそれほどおいしくないお茶だった
夜景もスカイツリーがあるからなんとか体裁が保てているが、なければただの東京砂漠
それで2600円

以来、2600円が価値を図る一つの物差しとなった
例えば焼き肉屋で普通の焼肉セットと特上の焼肉セットの差が2600円だったとする
普通なら高いと思うが、2600円はプーアール茶一杯の値段である
お茶一杯分と思えば安いものだ
お茶一杯の値段を払えば普通の肉が極上の肉に変わるのだ

例えば東京から熱海へ新幹線で行くとする
普通の指定席なら2290円
グリーン車は4560円で差額は2270円
高々45分程度の移動なのでどんな席に座っていようがあっという間に時は過ぎる
だがプーアール茶1杯分以下の差額で、あっという間の45分ではあるがリッチな気分が味わえる

そんなわけで、それからしばらくの間、プーアール茶一杯の値段だから、ということを理由に、それまで敬遠してきた様々なワンランク上のサービスや商品を経験することになった
しかし当然のことながら出費はかさみ、ふと気が付いた
これは、自棄になっているだけである
何も祝う対象がなかった4月14日に高級レストランで散財したことで自暴自棄になっているのだ、と

そこで方針を変えることにした
あの時、不覚にもプーアール茶一杯に2600円も払ってしまったが、低価格でおいしいお茶を飲めたなら、それがリベンジになるのではないか、と
そんなわけで台湾茶を勉強し始めた
台湾茶には4大銘柄があり、標高が高い山で作られているものが高級とされるらしい
そして、その標高が高い山で作られている台湾茶でも150グラムで3000円程度であった
一回に5グラム使え、と書いてあるので、150グラムなら少なくとも30杯のお茶が取れる
あのホテルで飲んだプーアール茶一杯の値段で30杯飲める
これであのホテルのプーアール茶より美味しかったら俺の勝ちだ

俺が勝負に選んだのは桂花烏龍茶
桂花とはキンモクセイのことで、ウーロン茶とキンモクセイをブレンドすることで、ミルクの香りがするらしい
そして勝負の結果、俺は大勝した
あのホテルで飲んだ一杯2600円のプーアール茶よりはるかに美味しい
味が上品で、お茶なのに確かにミルクの香りがする
今後、俺は一杯2600円のプーアール茶よりはるかに美味しいお茶を30分の1の価格で楽しめるわけだ

かなり曲がりくねり、ひねくれた道であるが、以上のような道を経て、俺のお茶道楽は始まった
そのお茶を飲むとき俺が思い出すのは、スカイツリー以外は見るに値するものがない東京の夜景
この街は要らないもので溢れていて、要らないもので金をとる

今日もポルシェは要らないな


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