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文武両道校伝説① 暗中模索事件

ラグビーは紳士のスポーツということになっているが、それは金持ちの子供がやるスポーツという意味だ
ワールドカップで日本を下したアルゼンチンでは、貧乏人の子供はサッカーをし、金持ちの子供はラグビーをするという

しかし「紳士のスポーツ」を掲げる以上、本気でやるとなったら大変だ
紳士たるもの勉強もできなければならないのだ
「スクールウォーズ」の影響で、ラグビーは偏差値の低い学校が強いと思われがちだが、実際は進学校が強かったりする
そこには文武両道を掲げ、その崇高な理想の実現のために邁進している先生と生徒がいる
これから話す「暗中模索事件」は、そんな理想と現実の狭間で起きた、我が母校に伝説として伝えられてきた話である

我が母校は県立高校でありながら、毎年東大へ何人も合格者を出し、ラグビーでも全国大会へ出場するという文武両道を絵に描いたような学校だ
入学すると新入生は教室で担任の先生の話を聞くより前に体育館に集められ、学ランを着た男たちに取り囲まれる
そこに何の説明もない
学ランを着た男たちは壇上へ登り、大声で聞いたことのない歌を歌い出す
どうらやそれは応援歌らいしのだが、応援団が一節歌うと応援団は「はい」と言って手を新入生の方へ向け、それに続いて新入生が歌うように促す
皆、初めて聞く歌だ
歌詞カードを渡されているわけでもない
歌えるわけがないのだが、応援団は容赦しない
新入生一人一人の前に立ち、声が出ていないと、「貴様、何で歌わんのか」と罵倒する

そうやって軍隊のような高校生活がスタートするのだが、教室に戻ると応援団の方がまだ優しかったと実感する
担任は黒板に138という数字を書き、これが何だかわかるか、と問う
当然、何のことかわからない
実はこれ、地元の国立大学へ合格した人数だ
400人中138人
つまり3人に1人しか合格しない
担任はこの数を一つでも増やすためにこの3年間はある、と宣言する
そして、そのためには勉強しかない、として、0時限目の存在が知らされる

通常、学校は1時限目の朝8時30分くらいからから始まるものだ
しかし我が母校はそれではヌルいと1時限目の前に、7時30分から始まる0時限目を設定していた
最近になってこれは強制ではなかったことを知ったが、当時はそんなことはわからない
翌日からは朝7時30分までに登校しなければならなくなった

そんな中での部活である
当然、授業中は眠い
これが伝説の「暗中模索事件」が起きた背景である

ある日のこと、あるラグビー部員が英語の時間、寝てしまった
文武両道を掲げているので、通常なら叩き起こされるのだが、その英語の先生は、ラグビー発祥の地がイギリスということで、ラグビー部には理解があった
その時寝ていた生徒がスクラムにおいて重要なロックというポジションを任されていて、最近、レギュラーとして試合に出たことを知っていた
なので、英語の先生はラグビー部員を叩き起こすことなく、そのままにしておいた

そのラグビー部員はよほど疲れていたのか休み時間も眠り続け、次の国語の授業が始まったことにも気づかなかった
国語の先生は戦国武将が大好きで、中でも織田信長は大のお気に入りだ

山岡荘八の「織田信長」という歴史小説の中で、今川義元を破った田楽狭間の戦いを前に、それまでうつけを演じてきた信長が、突然立ち上がり、「けー」と奇声を上げる、というシーンがある
家臣たちは、それが「馬を引け」ということなのか「ホラ貝を吹け」ということなのかわからなかったが、信長のあまりにも鬼気迫る声に怖れ慄き、馬を引き、ホラ貝を吹いた、というシーンなのだが、国語の先生はそのシーンが大好きらしい
先生は、生徒のひどい回答に接したり、または素晴らしい回答を得た時、気が触れたかのように「けー」と奇声を上げる習性があった
生徒は、「けー」が出ると、それがどちらの意味なのかわからないが緊張した
どちらであったとしても、その後の時間はとても濃厚なものになるからだ

その国語の先生は戦国武将が好きなだけあって、文武両道という理想について誰よりも厳格だった
なので、国語の時間に居眠りするというのは生徒にとっては自殺行為に等しい
だから、本来ならば国語の時間が始まる前に、誰かがそのラグビー部員を起こしてあげるべきだった
だが、そのラグビー部員は身動ぎもせず眠り続けていたので、誰も起こすことなく国語の時間が始まった

国語の先生は教室に入ってくるとすぐに、ラグビー部員が眠っていることに気がついた
しかしそのことについて何も触れないまま授業は始まった
生徒は、そのうち突然「けー」が出るものとして皆、身構えていた

驚いたことに、授業はそのまましばらく続いた
もしかしたら、国語の先生はラグビー部員が自ら目覚めるのを待っていたのかもしれない
しかし、彼は眠り続けた
そして、その時が来た

国語の先生はラグビー部員の机の横に立ち、しばらく静止した
嵐の前の静けさとはこのことだ
生徒は固唾を飲んで成り行きを見守った

バーン
机を叩く音がした
その音に驚き、ラグビー部員は体を起こした
国語の先生は感情を抑え「暗中模索の意味を答えよ」と言った
ラグビー部員は起きたばかりで、明らかに状況が把握できていなかった
国語の先生は再度言った
「暗中模索の意味を答えよ」
ラグビー部員の口がモゴモゴと動いたが、何を言っているのか誰も聞き取れなかった
国語の先生が「聞こえん」と一括すると、ラグビー部員は椅子から立ち上がり、直立不動で一点を見つめ、小声でこう言った
「あなたはモサクではないのですか?」

教室は静まりかえった
そして皆、恐る恐るラグビー部員の表情を盗み見た
彼は一点を見つめたままだった
ついに頭がイカれてしまった
皆、そう思った
国語の先生からの「けー」は出なかった

ラグビー部員はしばらくして何かに気づいたのか、視線を国語の先生の方へ向けた
彼の顔から血の気がひいていくのが見て取れたという

国語の先生は、何かを確かめるように、何も言わずラグビー部員を見つめていた
そして、ジェスチェーでラグビー部員に座るように促し、何事もなかったかのように授業を進めた

国語の先生はラグビー部員が正気かどうか確認したのではないか、と言われている
そして、少なくともすぐに病院に運ばなければならない状況ではないと判断し、授業を進めたのではないか、と

教室はしばらく不穏な空気に包まれた
国語の先生がラグビー部員の答えに対し、何も言及しなかったことで、生徒たちの不安はかえって高まった
誰もこの状況が飲み込めなかった

ここから先の展開は、実は諸説ある
何しろこれは伝説なのだ
語り部の数だけストーリーがある
以下、最も代表的とされる「黒板編」を記す

しばらくして、この状況を理解した奴が現れた
(我が母校は偏差値が高いのだ)
そいつはノートの切れ端に何かを書き、それをみんなに回し始めた
それを見たやつは皆、一様に大きく頷き、しばらくすると教室がざわつき始めた
国語の先生は異変に気づき、回されていたメモを取り上げ、ほう、と感心したような声を出し、メモを見ながら黒板に文字を書き始めた
それは、おそらく国語教師としては一度も黒板に書いたことはないであろう文字だった
最初に「A」と書いた
次に「r」と書いた
その次に「e」と書き、最終的にはこう書いた
「Aren’t you Mosaku?」

先生はラグビー部員に、黒板の文字を読むように命じた
ラグビー部員は恐縮しながら「あーんちゅうもさく?」と言われた通りに読んだ
その瞬間、すべての謎が解明された
ラグビー部員は、英語の時間から眠り始めたため、まだ英語の時間かと思っていたのだ

国語の先生は「なら、正解」と言った


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