力強さ、そして美しさ
もうかれこれ10年近く、仲良くさせていただいている友人に、知的障がい、肢体不自由の方がいる。ちょっぴり先輩なのだが、私は彼女を親しみを込めて「ちゃん」付けで呼んでいる。
これまで、おでかけしたり、ごはんを食べたりしていた、いわゆる地元の友人だ。
そんな彼女がこの度、脳の手術を受け(しかも数に数えると今年だけで11回もしたそう)、要介護度が上がり5となり、ベッドで横になる生活をしている。目も見えない状態だ。
仕事をしていたお母さんは24時間介護をすることになり、彼女につきっきりである。そんなお母さんをお父さんが支えている。
彼女が手術をすると言ってから、メールしても電話しても連絡が取れなくなっていたため、直接会いに行ってみて、ようやく会えた。
私は、彼女の生命力に感動した。
脳の手術をして、まだ傷口が治らないからと、人工頭蓋骨を入れられていない、3分の2の頭。
車椅子でおでかけしたら、誰かは奇異の目で見る
かもね。でも、そんなこと、私たちは気にしない。
目が見えないけど、彼女の意志で開かれるまんまるの目は、可愛らしく、光をたずさえていた。
おしゃべりだった彼女は、いま、気持ちが向いたら話すという程度までに落ち着いた。
だけどわかる。私には伝わる。
私が来て彼女は喜んでくれている。
緩慢ながら口数が増えたことを、全体的な動きが活発になったことをお父さんがおしえてくれた。
彼女は居ることで周りを和ませ、癒す存在だ、と、察するにはあまりあるのだ。
障がいを持つ親の言葉に、その子がいるだけでいい、と、よく聞くのだが、いうこういうことなのか、と体感出来た。
存在が、それ自体がすごいのだ、と。
彼女のお母さんが言う。
「この子がいて、色んな経験させてもらえて、感謝、感謝なのよ!」
「(手術に耐え、ここまで回復して)よく生きてたと思う、よく頑張ったと思うよ」
私は心の中で、泣けて、泣けて、仕方なかった。
現に、会いに行ったときは訪問時、泣いてしまった。笑
彼女も、お母さんも、美しい。
最高の彼女と、最高のお母さんだ。
この不屈の母娘を見守るお父さんもまた、強し。
なんでこんなに麗しいんだろう。
私はこの親子に今の時代のキーワード、「レジリエンス」的な力強さを見たのでした。
目には見えない美しさも、親子の愛に触れ、このとき強く強く、つよ〜く、感じたのでした〜。
※このお話は彼女のお母さんに了承を得て載せさせてもらっています。