【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 17
宴は、その日鹿の角を一番獲ったものを称えることからはじまった。
肴は、獲れた鹿や猪の肉である。
ほかの皇族や氏族たちは、自分たちの腕を自慢しながら酒を飲み、肴に舌鼓を打っている。
安麻呂といえば、胸がいっぱいで水物でさえ喉を通らない。
兄の御行を見ると、やはり緊張しているのか、酒や肴に手をつけていない。
じっと大王や大友皇子の様子を伺っている。
一方の馬来田や吹負たちは、ぐびぐびと酒を煽っている。
それでも眼光は鋭い ―― さすがは激戦を勝ち抜いてきた大伴家の長老連中だ。
さて、我らが首領となる大海人皇子は………………こちらも酒を浴びるように飲んでいる。
―― 大丈夫だろうか?
やがて酒宴は、葛城大王の「大友、お前、今日のために歌を作ってきたというではないか。どれ、俺に聞かせてみろ」の言葉で、歌詠みとなった。
「お恥ずかしいですが……」
と、断ったうえで、大友皇子は葛城大王の前に進み出て、良い声で歌い始めた。
漢詩である。
皇明(こうめい) 日月(にちげつ)と光(て)り
帝徳(ていとく) 天地に戴(み)つ
三才(さんざい) 並びに泰昌(たいしょう)
万国 臣義を表す
(大王のご威光は、日月のようにこの世の隅々まで照らし
大王の聖徳は、天地に満ち溢れている
天、地、人、ともに太平で栄え
四方の国々は、臣下の礼を尽くしているよ)
(『懐風藻』)
詠い終わった大友皇子は、葛城大王に深々と頭を下げた。
場は、焚火の音が響くほど静まり返っている。
余韻に浸っているのか、それとも上手いかどうかの判断に困っているのか、誰一人拍手しない。
安麻呂も、判断に迷うところだ。
漢詩は得意ではないが、一応知識は得ている。
そのぐらいの知識で判断すると、葛城大王を称えた詩だと分かるのだが、いささか大仰すぎる。
文体もよく言えば素直で、悪く言えば簡素で、大友皇子の性格を良く表している。
宴席なのだから誉めてもいい技量なのだが、宴席だからこそ、もう少し遊び心のある詩できないものかと思ってしまう。
うむ、それでも一応は大王への賛歌なので拍手をしておこうかと思ったところ、百済の旧臣の席から拍手がわいた。
「さすがは大友様、素晴らしい。三国や唐にも、これほど詠み手はおりますまい」
賞賛の嵐だ。
なるほど、本場に近い人が聞くと、やはりいい詩らしい。
それを機に、ほかの皇族や氏族たちも誉めだした。
大王も満足顔だ。
なんとか大友皇子の面目は保たれたようだ。
「けっ、ご機嫌取りが!」
と、辛辣なのは馬来田たちであった。