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死んだら解ります
ノートブログを書き初めて492日目になりました。
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近頃、此の言葉を良く耳にします。
しかしながら、アセッションに着いても書きましたが
本当にその言葉の意味、深い意味を解って使っている人がどれほどいるのでしょうか?
私は此の言葉を卑弥呼様の聞き取りの時、うかがいました。既に亡くなられたと言う体験をなされたかたからの一言は大変重たいものがあります。
死んだら解る地球のシステムや、🌏大宇宙の中の自分と言うもの、ケシ粒も無い存在の我々の思念。
人間とは、地球にはびこる、カビのようなもの。
そんなちっぽけな私たちですが、
大いなる存在から愛でられる存在で有る生きかたが出来ているか?
その基準はまず人として、誰から見ても
間違って居ない生き方が出来ているか?
行動が出来ているか?
昨夜私と共にある、と私が勝手に思って居る、
有る医師と話をしました。
彼は必死で病いと言う物と、取り組んでいます。
しかし、ヤハリ3次元的な医療の限界を深く感じ、考えていました。
多次元的高次元医療の今を話しする事ができました。