国情と、私情
ノートブログを書き初めて468日目になった。
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卑弥呼様に今世界で蔓延している、コロナについてのお考えを伺って見ることは出来るだろうか?
「其れは国を纏める人としての意見ですか?
それとも、自分ならどうするかですか?」
何が正しいか、何が正しくないか?そんな事は、神のみぞ知る事。
我らの時代は病は対処の仕方もなく、死を待つのみ、でした。生き残った者はその病に対して免疫を持つ者でしたから、病を更に広げ無い為に隔離しました。寄り強い免疫を持つ者という発想は難しく、集団恐怖が人間を捉えます。其れを抑える為の隔離です。
今の世は我らの世より病に対しては対処出来る物が有るだけマシでしょう。
統計的にでも其れを信じ対処するしかない、現状なら
国情としては、その薬を使うしか無いでしょう。
毒が毒を制した事もありました。
その薬に賭けざるを得ない体験をすることの辛さは
今も変わりはないのですね。
我らの持つ薬は極端に毒性が強い為、実際に緊急事にはかなりの死亡者が出ました。
体力の無い老人や子供の死亡率が高かったのです。
まずは自分の体力、健康な時に自分に合った薬を探す事、自分の家に病に勝つ常備薬を持つ者はシャーマンとなりました。その家独自のさじ加減がありました。
根本原因をしるため、まずは寝かせて様子を見るしかありませんでした。人間外側と内側があり、熱により、状態が判ります。人間の身体は穴が二つです。この管理が大切でした。又、水分の補給が重要でした。
我らの時代の話しをしてもしょうがありませんね。
国情的な話しでは、コロナウイルスワクチンは打つ事となるでしょう。
自らの命を守ると言う、私情から言えば、自分の納得が無ければ、自分の命を何方に掛けるか、任せるか。
自分なりの防備が有れば、悪くならないという自信が有れば、うたくても良い。全て自己責任。
国が保障出来るのはワクチンを打った人だけ。