ブーゲンビリア
ノートブログ書き始めて1131日目に成りました。
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宮崎空港はブーゲンビリアの花の名前をとってブーゲンビリア空港を名乗っていました。
宮崎空港を飛び立ち、疲れの為か、
行きに見た夏富士の山頂が雲の中に
現れた瞬間に目が覚めました。
飛行機はこちらから、羽田空港に向けて高度を下げて行きます。
私に着いて来てくださった、友人も、
疲れたのでしょう睡眠を取って居ます。
そういえば、彼女とも、コロナ禍以来の再会ですから、もう、6年も会って居ませんでした。四人の子供さん達も、三人は卒業し、最後の息子さんが、高校二年生に成りました。
受験生も大変ですよね。
3.11の時も災害支援ボランティアに家族全員で参加され、今だに続けています。
そんな彼女もズーット会って居ない間に、色々な経験から、私への質問が山積みの様です。
去年、旦那さまの叔母様が亡くなられたのですが、一人暮らしでいらした為に亡くなられた日付けが分からないと言う事です。
私は此の叔母様の事は知らないのですが、
透視すると、大変敬虔なクリスチャンである事。家の中が荒れて居る事から
「孤独死である事、」が解りました。
ただ、亡くなられた時はキリスト教徒が望まれるように、光のお迎えが降り注いだ。美しい姿でした。
また、クリスチャンはキリスト様との
結び着きを強く望む、亡くなられた日はクリスマスと言う事も解りました。
他にも、彼女の持つ宝石類のあり場所が分からなかった理由や、
大切な女王陛下からの勲章や、授与式の写真などの思い出の品々の話など少しの時間で終わるものではありませんでした。
人の死に様は色々有ると思います。
此の方はキリスト教徒として、教育者として、立派なしょうがいを示された
事が解りました。
自然豊かな綾の風景はもう一度来てみたいと言う思いにかられます。