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名詞化と現代社会


名詞化と個人

昨今,オタク文化が日本全国で広まり,もはや日常の一部となって久しい.この文化は20年前と比較して大きく市民権を得ており,個々人が何らかのオタクであることが求められる時代になった.一方で,私はオタク化が個人性の名詞化にほかならず,この行為が現代社会におけるアイデンティティ喪失の一因となり,生きづらさを助長していると考える.

名詞化の由来

人の行為に与えられる名詞は,本来動詞に誘発される傾向がある.たとえば,よく走る人や走ることを職業とする人は「走者」,絵を描くことを生業とする人は「画家」,研究を行う人は「研究者」と呼ばれる.このように名詞は動詞の延長線上に存在している.

江戸時代に遡ると,士農工商など身分によって個人に与えられる名詞が決まっていた.その名詞に基づいて生きることが求められていたため,動詞が名詞に先立つことは少なかった.しかし,現代社会では身分制度が撤廃され,職業選択や行動の自由が保証されている.したがって,個人が社会的に生活するためには,自らの行動に基づいて「走者」や「画家」,「研究者」などの名詞を得る必要が生じた.この結果,個々人の行動は名詞によって抽象化され,解釈されるようになった.つまり,現代社会においては動詞が先行し,その動詞を基盤にした名詞が与えられるという構図がある.

名詞化と現代

戦後の男女共同参画社会の進展や「一億総中流」社会の到来により,ほぼすべての人が働くようになった.その結果,名詞はさらに多様化した.これらの名詞化は職業のみに留まらず,日常生活や趣味にも及ぶようになった.その典型が「オタク文化」である.

オタクとは,特定の趣味や関心に深く没頭する人を指す言葉である.当初は引きこもりや社会的孤立を連想させる否定的なニュアンスを含んでいたが,令和の現在ではポジティブな文脈で用いられることが増えた.また,単に熱中する人を指すだけではなく,「鉄道オタク」や「アイドルオタク」といったように接頭語をつけることで,個々人の関心をさらに細分化し,より具体的に名詞化してきた.この過程により,個人は自分の趣味や熱中する対象について簡潔に説明できるようになった.

オタク文化の影

一方で,オタク文化は若者を中心に広がり,何をするにもオタクであることが半ば暗黙の要請となっている.ゲーム,映画鑑賞,音楽といった分野においても,オタク的な熱中が求められる場面が多い.これにより,同じ興味を持つ人々が集まり,互いに安心感を得ている.この現象は,自己のアイデンティティを維持するためにオタクというコミュニティに安住している状況とも言える.

しかし,この行為は本来的なオタクの形成過程とは逆方向である.現代人は行動(動詞化)による個人性の発露を行う前に,オタクという名詞に自らを閉じ込め,そこに依存することでアイデンティティを維持しようとしている.その結果,自らをより名詞化するための制限された行動を繰り返し,本来のアイデンティティを問い直す機会を失っている.こうした自己の形成は,砂上の楼閣のように脆く,一度崩れ去ればアイデンティティの喪失という問題に直面することになる.すなわち,安易なオタク化は長期的には悪手であると言わざるを得ない.

名詞化から脱するには

名詞化の呪縛から脱するには,次の2つの方法が考えられる.

1つ目は,自らを名詞化する前に普段の行動をよく見つめ直すことである.外部からの圧力により,普段していないことを急に始めるといった状況に陥ることがある.この場合,形から入るのではなく,自らの過去の経験や日常生活と照らし合わせる時間を確保する必要がある.日常的に自己と向き合うことで,安易なオタク化を避けることができるだろう.

2つ目は,マスな名詞化に流されないことである.広く知られた名詞には,多くの情報が含まれ,同様の考えを持つ集団が存在しているため,安心しやすい.一方で,こうした名詞に依存すると行動が制限され,自己を見失う可能性が高まる.少人数,または自分だけが持つ特性を名詞化することで,アイデンティティを保ちつつも,オタク化のリスクを軽減できる.

どちらの場合でも自己との対話は不可欠である.このような取り組みができる人にとっては,名詞化そのものが必要ではなくなるのかもしれない.しかし,現代社会が抱える病理から脱し,自己を保ちながら生きるためには,これらの行動を避けることはできない.



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