揺れるスカート【①】
暗闇が嫌だ。
顔が見えないのが嫌だ。
人の「重さ」が………怖い。
自分がそこそこモテると気付いたのは、中学生になってからだった。
小学生のときは、あまり定期的にスポーツとかもしなくて、体型はふくよかだったし、なんでもそんなに苦労しないで出来る性格上、上から目線で嫌われることが多かった。
中学になると、先輩・後輩の縦社会がしっかりすぎるほどあった。1年生はスカートを短くしてはいけない。ジャージの上着の前開きを開けてはいけない。部活の先輩には立ち止まって挨拶…。そんなくだらない裏校則のおかげで、私は謙虚さを学び、親友に誘われて入部したソフトボール部で簡単にダイエットに成功し、他人から『かわいい』や『かっこいい』と思われる対象に変化した。
そこから、見た目を気にしだして、性格を知らない人からも、声をかけられたりした。街角スナップみたいなのの撮影を依頼されて、雑誌に載ったことも数回ある。そんな私はとてもビビりだ。かっこよく強く、堂々と見せているけど、本当は嫌われたくなくて怯えてるだけのただの女の子。
性的なことは興味はあるが、挑戦したいなどと思ったことすらなかったし、なにせ、モテたこともなかったのだから、まだまだそういったことには無縁だった。母は父と結婚するまで生娘のままだった。そこまでは生娘でいるつもりもなかったが、まだまだ先のことだと思ってた。早くても高校にあがってからかな…なんて漠然と思っていた。
あれは中学2年。13歳…9月末の日。
私の人生観は大きく変わってしまった。
いや、変えられてしまった。
その日は朝からひどい雨だった。学校の奥まで通勤する母に、一つ上の姉と一緒に学校まで送ってもらうことになった。「帰りは歩いて帰ってね、きっと間に合わないから」と、申し訳なさそうに言う母。滅多に歩かない道を歩くということもあり、私は全然嫌じゃなかった。買ったばかりの真っ青な傘をくるくる回しながら帰る自分を想像した。姉も同じだったのか、全然嫌そうではなかった。
「帰り、一緒に帰る?」車から降りて、校門近くで姉に聞くと、「やだ!」とはっきり断られてしまった。別に一人でも構わなかったのだが、なぜか失恋したような気分になった。少し悲しそうにする私に「好きな人と帰りたい。彼、あるき通学だから…」と照れながら言う姉。そんなの応援するしかないぜ!と言葉にこそしなかったがニヤニヤして、姉に向かって親指を立てた。姉も同じポーズを返してくれて、笑いながらそれぞれの教室に向かった。
昼過ぎには雨もだいぶ小雨になり、空も少し明るくなっていた。傘は必要だったけど、歩いて帰るには問題ない程度の雨になっていた。姉も居ないし、のんびり帰ろう。そう思って、青い傘を広げ、学校を後にした。
1年のころより短くなっていたスカートは、道路から跳ね返る雨水にも濡れず、私の膝の上をユラユラ揺れていた。リズミカルに歩くとふわふわするスカートと、ピチャピチャなる靴音がなんとも心地よく、水たまりを見つけては、無駄にジャンプして飛び越え、スカートがふわふわするのを楽しんでいた。歩いて帰ることは滅多にない。久々にゆっくり見る通学路は小学生のとき以来ですごく懐かしくて、なんだかとても新鮮に感じていた。
「ねぇねぇ」と背後から声がした。青い傘は、透明度がないので、体ごと振り返らないと後ろを確認することができない。くるっと後ろを振り向くと、そこには黒い車の助手席から窓だけあけて声をかけてきたであろう人の姿があった。「20号に出たいんだけど…」私の返事を待たず、その人は質問を続けた。通学路のこの道は、大きなバイパスと国道をショートカットする抜け道で、地元の人がよく使っている。しかし、曲がる箇所に目立つものがないので、初見の人は迷子になりやすいんだ、と父が話していたのを思い出した。この人、迷子になったんだ…。
「大きな枝垂れ桜のある家のところを右。その家の屋根は赤っぽいです。で、そのあとは突き当りを左手20号に出ますよ。右に行けば東京方面だし、左に行けば駅に行けるよ!」ありったけの笑顔と愛想を振りまいて答えた。中学生ながら素晴らしい回答をすることが出来た!これは母に自慢して、さらには褒めてもらわないと!なんて、心の中でニンマリしていた。「ありがと」とだけ言って、窓をしめる車。私はいいことをしたぞ!と青い傘を見上げ、清々しい気持ちになっていた。話しかけてきたのは当時の私からしたら、だいぶお兄さんである。黒い帽子をかぶって、すごく笑顔で、かっこいい感じの人。大きな黒いワンボックスの後ろの窓は黒塗りで、車内がどうなってるかをうかがい知ることは出来なかったけど、当時の車の流行りのスタイルであることもあり、あまり気にもしていなかった。
次の瞬間、視界いっぱいの青が急になくなり、うかがい知ることも出来なかった車内が目の前に広がった。と思ったら、すぐにまた真っ暗になった。口と鼻を押さえつけられ、息ができずに苦しくて、手足を力いっぱい動かそうとしたが、手は重くおしつけられ、足を閉じたくても間には誰かがいた…。音楽は大音量で流れ、視界は真っ暗。何かで拘束されている両手は、力を入れるたびに酷く痛んだ。「声出すなよ」と男の声が聞こえた。私はとにかく息をしたくて、大きく何度もうなずいた。今度は口だけにガムテープを貼られた。鼻呼吸だけでも苦しく思っていたが、それでも我慢するしかなかった。何をされるのか、理解した。私は今からおかされる。少しでも被害を抑えたい。殺されたくない。心がいやだいやだと叫ぶのを、別のことを考えて頭で抑えこもうとした。何度も何度も心が勝ちそうになる。……姉のデートはうまくいっただろうか、また母に会えるだろうか、恐怖に支配されたくなくて、必死に色んなことを考えた。頭の中が冴えてきたとき、痛みがどんどん開放されていった。最初は股。そのあとは手足、そして口元。車のドアが開く音がして、『降りて』とだけ聞こえた。ふらつく足で、まだ真っ暗な世界の中を、手探りだけで降りた。ドアが閉まり走り去る車の音が聞こえてから少しして、私の世界を真っ暗にしたのは黒い布きれだったと知る。布を取り、知らない街で私は膝から崩れ落ちるように道端に座り込んだ。膝の上をゆらゆら揺れていたものは、雨なのかなんなのかわからない液体で濡れて私の肌にべっとりくっついていた。