生きづらいと感じてる君たちへ
今日は僕の経験から感じたことのお話です。
偶然の出来事
僕には出会って40年の友達がいます。
いやっ、正確に言うと間が30年以上空いているので、実質は10年程度なんですが。
再開したのは、本当に偶然の出来事でしたが、その出来事はまたいずれかの機会に。(こういう時、(汗)とか書きたくなるけど書きません!書かなくても感じさせられる人は、本当に文章が上手いと思います。)
まあ、とにかくなんやかんやあって、中学時代の同級生に30年以上の時を挟んで、偶然再会した訳です。
それは、もう驚きだった訳なんですが、話をしてびっくりですよ。
お互いに覚えている場面が全く違う。
それは、もうきれいに違ってました。
僕から見た友のイメージは、
頭が良くて、
運動ができて、
リーダーシップがあって、
人気者で、
一体この人の悩みってなんだろうと思わせる。
こちらは、劣等感で一杯になるぐらいの人でした。
隣の席になることも多くて授業中も喋っては、先生によく怒られる。
当時の僕は、親のあれやこれやがあったり、いじめや嫌われたりもあって、一時期学校に行けない時もある状態でした。
そうなの?
が、
が、
が、ですよ!
再会して話をしてみると、僕が学校に行けなかったことなんて、ちっとも、これっぽっちも覚えていない。
僕には大事件だったし、すごく嫌な思い出であるんですが、ちっとも覚えていない。
いじめられてたことや嫌われてたことなんかも全くです。
えっ?
仲良くなかっただけでしょって?
そんなことないです!
久しぶりに話しても、そんなことなかったし。
忘れてなかったし、忘れられてなかったし!
だから、仲は良くて、でも覚えてる場面が違う。
そして友は、
僕からキラキラしているように見えた友は、
当時は暗黒の時代だったって言うんです。
思い出したくもないって。
誰からも好かれてたと思ってましたが、嫌な思い出ばかりだと。
えーーーー!
こちらはそれに驚き!向こうも僕の話に驚き!
お互い初耳。
そんなものかと、すごく心が軽くなっちゃいました。
当時の僕から見えてた嫌な場面なんて、実は大した場面じゃなかった。
そう、僕も同じ。
友が感じてた嫌な場面は、僕にとっては、大した場面じゃなかった。
本人が思っているほど、苦しい場面じゃないんだと。
助言はできないけど願ってる
それでも当事者にとっては、苦しいし、お先真っ暗だし、何もする気力が湧いてこない。
もう、このまま消えることが世の中で一番に思える夜が続く。
今、本当に嫌なことをされている。
ただその身をすくめて、時が早く過ぎてほしい。
いっそ、朝目覚めないでいたい。
消えてしまいたい。
心の底からそう願っても叶えてもらえない。
ツライ、ツライ、ツライ、ツライ、ツライ
気にしないでとは、言えない。
この先どうなるんだろう?と思う人へ。
逃げましょう。
ツライことからは、逃げて良い。
逃げて、また少しずつ外に出られれば良いと思います。
ツライことや嫌なことは、目をつぶって見えない。
耳をふさいで、身をすくめて。
あなたの見えている辛い現実は、真実なんかじゃない。
他の人は、違う世界を見てる。
逃げて、ああ、今日も自分は生きてしまってると思ってしまったとしても。
今、生きてることってすごいことだと僕は思います。
うまく生きられなくても、生きてるのは素晴らしいことだと僕は思います。
僕の言葉は幼くて、すべての苦しい人へ向けた言葉にはならないけれど。
もうしばらく生きてみませんか。