御存知鈴ヶ森
鈴ヶ森刑場に行ってみた
![鈴ヶ森刑場跡](https://assets.st-note.com/img/1730573035-jUaEsZSlKTxc9RLq7JFQpeIG.jpg?width=1200)
以前から気になっていた鈴ヶ森刑場跡に行ってみました。しながわ水族館近くの旧東海道沿いにある、江戸時代の処刑場です。
200年ほどの間に、ここで10万人から20万人が処刑されたと言われています。一年あたり1000人ペース、一日3人です。ほかに、甲州街道沿いに大和田刑場(八王子)、日光街道沿いに小塚原刑場(南千住)がありました。街道沿いに刑場を配置することで、江戸に入る人々を威嚇する意味があったと言います。「市中引き回しの上磔獄門」の時代です。隠密裏に執行する今と違って、当時は処刑の様子をわざわざ見せつけていたのです。
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八百屋お七の火刑
八百屋お七が処刑されたのがここ鈴ヶ森。大火で避難した先の寺で小姓の吉三郎と恋仲になり、家に戻った後も忘れられず、また火事になれば愛しい吉三に逢えると考えて放火して捕まったとされています。同じ死刑でも放火は火あぶりです。鈴ヶ森刑場跡には火あぶりの際に身体を固定した石が残っています。
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恋人に逢いたくて放火をするあたり、そもそも責任能力に疑問があります。「その方はまだ十四であろう」と奉行が助け舟を出しているのに、自分は十六だと言って死罪になるあたりも、ちゃんとした弁護人がいれば結果は違っただろうにと思います。当時十五歳未満は死罪にはなりませんでした。今の少年法の51条1項、自由権規約6条5項と似たようなものです。
お七の放火はボヤ程度で消し止められたという説もありますし、そもそも放火はしておらず、火事でもないのに火の見櫓の太鼓をたたいただけというストーリーもあります。浄瑠璃の「伊達娘恋緋鹿子」は後者です。歌舞伎でも浮世絵でも、お七の衣装は緋色がお約束で、袂を風になびかせながら櫓の梯子を昇っていくところが見せ場です。
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御存知鈴ヶ森
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恋で人生を踏み外したと言えば、白井権八も鈴ヶ森で処刑されています。吉原の遊女に本気で惚れこみ、逢うための資金稼ぎに辻斬りを繰り返して処刑されました。
その白井権八と、侠客の元祖、幡随院長兵衛が出会った場所もまた鈴ヶ森でした(実際は時代が違うので二人が会うことはあり得ないのですが、そこは作り話の世界なので何でもありです。)。「雉も鳴かずば撃たれまいに」「お若ぇの、お待ちなせぇよし」「待てとお留めなさりしは、拙者のことでござるかな。」と、まぁ、二人が出会うだけの話なのに、やたらかっこいい場面なわけです。これが「御存知鈴ヶ森」。御存知と言われても、歌舞伎に詳しい人でなければ御存知ではないわけですが、当時の人ならだれでも知っているお話だったのでしょう。
江戸の悪
![江戸の悪](https://assets.st-note.com/img/1730573955-vsgtJTdE6GanQyR0uO2cqBkK.jpg)
五人男の「白浪」もみな盗賊です。こうしてみると、放火犯だとか強盗殺人犯だとか、侠客の親分だとか、盗賊だとか、人気があるのは悪い人ばかりです。数年前に太田記念美術館が「江戸の悪」という展覧会を開催しました。大量の観客が押し寄せ、調子に乗って江戸の悪パート2まで開催し、本まで出版しています。みんな、悪い奴が好きなんです。考えてみれば「彼っていい人なんだけど…」と言われるより「あなたって悪い人ね」と言われる方がモテているわけですね。
「問われて名乗るもおこがましいが 生まれは遠州浜松在 十四の時に親に離れ 身の生業も白波の 沖を越えたる夜働き 盗みはすれど非道はせず」。白浪五人男の日本駄右衛門の台詞です。十四の時に親に離れた理由はわかりませんが、あまり恵まれた環境で育ったわけではないのでしょう。そのあたりの想像力が働くと、悪い奴への敵意も少し和らぐかと。不幸な生い立ちに焦点を当てるのは刑事弁護の定石でしょう。
昨今は「悪い奴」を徹底的に叩きのめす風潮が強くなっているように感じます。江戸時代は現代社会に比べて、「悪い奴」に共感できる程度の寛容さがあったのではないかと思います。