最近の違和感に対する自分なりの想いを書いてみた.
最近,ニュース記事やSNSへの投稿についての違和感を徒然なるままに書いてみました.
Give and Take の意味
コロナ禍において,教育の分野では子供たちの「学びを止めない!」という合言葉のもと,Facebookなどで様々なページが立ち上がった.そのおかげで,“オンライン授業”に関心が向けられ,新しい学びの形も見られるようになった.Before コロナの教育には戻れない雰囲気も出てきている.個人的にもとてもいい傾向とは思っている.
しかし,反面心配なことも...元に戻らないために,一体どのくらいの人たちが“自分事”として,本気で考えているのであろう?
Facebookのあるページの管理者が,ICTやオンライン学習に関するアンケートを実施した.それを丁寧にまとめデータ化し,公開することを決められた.データが欲しい人には配布するという大盤振る舞いをしてくださり,そのデータを欲しがる方の数の物凄いこと.しかし,そのデータをどう活かして自分が所属する学校にどう反映したのか?そのページを見る限り,フィードバックを共有するシーンは見られない...
別のページにおいて,zoomを利用したオンラインセミナーやオンライン授業の仕方をまとめてくださった方がいた.欲しい方にはそのデータを無料で配布するとまで言ってくれている.手が挙がったのは200名近くの人.200名近くもいることに驚きだし,その人たちはこれまでどうZoomを利用していたのだろう?自分なりの使い方とか改善法みたいなものはなかったのだろうか?
“Give and Take”という言葉がある.“Take and Give”ではない.なんでも欲しがる人って,“Give”が最初に来ていることを理解しているのだろうか?いつも「くれくれ」言っている人は貰った時点で満足し,その後思考停止している人が結構いるのではないか?とFacebookを見ながら,なんとなく感じている今日この頃である.せめて,「○○さんから頂いた資料を基に,こんな取り組みをしてみました」みたいなコメントが溢れるようになれば,もう少し教育の現場が良くなるのにと思う.
家庭の通信環境を言い訳にしてオンライン授業に取り組もうとしない件
分散登校や一斉登校が始まり,休校期間中に進められたオンライン授業をなかったことにしようとする動きや,休校期間中にオンライン授業を取り入れなかったことに対して逃げ切りを図ろうとしている人たちがいる.
「家庭に通信環境が整っていないところがある以上,平等な教育を与えられない」とか,「通信費がかかるので,家庭にこれ以上負担がかけられない」,「Zoomでホームルームをやろうとしても,途中で通信が切れてしまいストレス」など,とにかく“できない”理由(というよりも“やらない”理由)をここぞとばかりにあげまくる.
しかし,そもそも何故そんな環境が生まれているのかということを考えているのだろうか?例えば,「家庭に通信環境が整っていない理由は何故か?」という問いに対して,「収入格差があるから仕方がない」と結論づけていないだろうか?もし,日本が諸外国並みの通信費に抑えることができたとすれば,その問題は解決できるはず.となれば,「何故日本は諸外国に比べて通信費が高いのか?」という別の問いが浮かぶはず.
つまり何を言いたいのかと言えば,これまでの教育が「正解を出す」ことが主眼となっていて,「答えのない課題」に向き合う姿勢を養えていないからだよね?って話.もし以前から「答えのない課題」に向き合うような学びの場を作れていれば,通信環境を整えてくれる人材がもっと育っていたはず.要するにそう言う人材を育てられていないのは,僕も含め教育に携わってきた人の責任だから,家庭環境や通信環境のせいにしてはダメだよね.
OECDの資料によると,日本の理工系の学生の比率は,全体の23%程度で主要先進国の中でもダントツに低く,韓国やドイツには3分の1程度しかない.つまり,中等教育時に数学に興味関心を示す授業ができていないと言うことでもある.これは明らかに生徒の能力というよりも,興味関心を持ってもらう工夫ができていないということであり,明らかに教育現場に責任があるということ.
だから,もし現在も通信環境等を理由にICTの利活用を推進しなければ,将来の学びの遅れをまた教育現場が作ることになるということを肝に銘じて生徒に向き合って欲しい.
今回は,気になることを2つほど挙げてみましたが,これからも思いついたら書いてみたいと思います.