広島の政治をどうとらえるか 広島大学名誉教授 田 村 和 之
統一地方選前半戦の投票日の前に、田村和之さんのコラムをせひ読んでください。
1 G7広島サミット翼賛体制
広島市大のホームページをみたところ、「広島市立大学は広島サミットを応援しています。」という文章に出くわした。学問の場である大学が、特定の政治的イヴェントを支持・応援するなど、あり得ないことだ。学問の自由はどこへ行ったのか。
G7諸国の首脳たちの宮島訪問が企画されている。これを批判するつもりはない。これに合わせて一般の人や観光客の宮島渡航の制限、島内の各種営業、宿泊予約の自粛、広島市内の企業の営業・操業の自粛、交通規制などが検討されている。集会やデモの制限も計画中とか。「自由と民主主義」を標榜する国で、このような規制・制限ができるはずがない。
法的根拠もなく憲法の保障する自由や権利を制限し、市民生活を規制し、補償もしない。いま広島で、こんなG7サミット翼賛体制がつくられつつある。
ねらい・効果は、現在の政治・統治を無批判的に肯定し、これを受け入れる市民・国民、社会づくりである。
2 中央官僚出身の知事・市長
現在の湯崎県知事の古巣は通産省(現経産省)、松井広島市長は厚労省、枝廣福山市長は大蔵省・財務省である。
中央官僚出身者が首長の地方自治体は、中央政府の政策を忠実に実施し、県民・市民の福祉を軽視する傾向が強い。これが顕著にみられるのが松井広島市政だ。広島駅周辺の再開発、次は中心部再開発、そして種々の大型公共事業(高速5号線二葉山トンネル、サッカースタジアム、アストラム延伸)など、湯水のように公金を注ぎ込んでいる。他方で、市民への福祉的給付の削減、市民からとれるものはとる(各種利用料・手数料の引上げ)。松井市長は、被爆者は「くれくれ」と要求をいうだけで「感謝の気持ちが足りない」と軽蔑し、「市長は国の手足として動かなければならない」と本音を語る。
4期目の湯崎知事は、レガシー造りを考えているようだ。数十億円の県費をかけて中高一貫のエリート養成校・叡智学園を開設し、県立の叡啓大学を新設する。「好み」の教育長を任命した挙句の果てが、官製談合防止法違反、地方自治法違反、様々な「ご乱行」である。
3 議会が役割をはたしていない
なんで、こんな体たらくなのか。首長だけが悪いわけでない。広島県内の自治体の多くでは、議会多数派が首長を支え、議会が翼賛機関化している。議会にはいろいろの役目があるが、自治体執行部を監視するという最低限の仕事すら行っていない。
議会で多数を占めてきた保守系議員の多くは、利権体質に染まっているようだ。自治体の政治行政が利権がらみで動かされているのでは、県民・市民の福祉が無視されて当然だ。
4 平和行政
広島市の表看板の平和行政はどうか。2021年6月、「広島市平和推進基本条例」が制定された。この条例は、「平和」を掲げながら、憲法の平和主義を無視し、憲法を具体化した広島平和記念都市建設法は復興財源獲得の手段として評価するだけであり、核兵器禁止条約の締結は求めない。こんな「平和」は、自民党政府の容認範囲内のそれである。
最近表面化した平和教育の問題(はだしのゲン、第5福竜丸)は、このような「平和行政」の中で起こっているとみるほかない。
5 県民・市民の動き、反省点
3月12日の「つどい」で確認できたように、各分野・課題で、市民・県民はよく頑張っている。だが、それらが1つにまとまるべきときにそうなっていない。原因として、各課題についての情報、認識が共有できていないことがあるのでないか。そのため、力を結集すべきときにできていない。
大きな力を持っている労働組合・労働運動が、市民の生活・福祉の課題に十分力を出せていないのでないか。労働者もまた市民であり、その要求は使用者だけでなく、地方自治体に向けられて初めて解決できるものが少なくない。労働運動が、市民福祉や平和の課題に一層力を発揮することを期待したい。