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大分+長崎+佐賀  蔵元アーカイブズ 2002〜05(1) 大分・四ツ谷酒造


2002年12月 サイト『九州焼酎探検隊』で公開
2002.12.21 by 赤木牛一郎

■麦焼酎の既成概念をぶっ飛ばした「嵐を呼ぶ麦」=『兼八』

♪おいらのトラウマ 麦のトラウマ
 『兼八』飲めば  嵐を呼ぶぜ
 喧嘩代わりに 一杯飲れば 別の宇佐も吹っ飛ぶぜぇ~

(セリフ)減圧、かかって来い! 
     最初は宇佐だ…… ホラ日出…… 
     おっと耶馬渓……  畜生、
     やりやがったな濾過、常圧で返すぜ 
     日田だ!、玖珠だ!、竹田だ!、大野だ! 
     ええい面倒だい 長洲漁港だぁい!!!

昨年の1月、横浜のいでさんと筑前で初めて会ったとき、麦ならコレですよとお奨めいただいたのが、『兼八』という麦焼酎。一口含んで、驚愕した!

これまでの麦焼酎の既成概念を一挙に転覆させた、麦の香ばしさ、深いコク、文字どおり陶然とする余韻。麦と言えばツンツンとした刺激が当たり前だと思っていたが、これこそが本来の持ち味だったのだと脳天をガツッと一撃されたのでありんす。あん時の感動は、いまも新鮮だ。

隊長以下、メンバーの中にも『兼八』のファンは多い。そこで以前から四ッ谷酒造さんにお邪魔したいという願望を、同社のご協力で今回実現できる運びとなった。

■女将さんに伺う、四ッ谷酒造・試練の日々。

蔵は、いかにも小さな港町らしく家屋が密集した中、狭い路地の奥にあった。まるで迷路ぬぅあんである

今年1月に同社を訪ねたけんじさんが同行してなければ、探すだけでも正直1時間は掛かったやろうなぁ~。

社屋を外から眺める。古い商家らしい佇まいだ。酒店も兼ねており、ビールやペットの甲類も置いていたりする。しかし『兼八』は無い。

お約束していた四ッ谷岳昭専務はちょっと外出中とのことで、女将さんにまず応対していただいた。

女将さん「昔は、それこそ、主人がトラックで運んで売り歩いたもんです。でも、売れなくてですねぇ・・・。帰ってきてトラックから荷を降ろすとき、二倍にも三倍にも重く感じるんです。二階堂さんもかつては同じでしてね。トラックで売り歩かれてたんですよ。皆さん、ご苦労されてますよ」

猛牛「あの壁に絵がありますばってん、あれはどういう謂われが有っとですか?」
女将さん「あれは福岡で『兼八』の集まりがあった際に、会場にいらっしゃっていた方が書いてくださって、頂戴したものです」
隊長「なかなかいい味が出てますよね」

元々が絵になるラベルデザインだが、この作品もいい味わいである。まぁ、そういう気持ちにさせる何かを持ってますにゃ、『兼八』は。

■代表および専務とご対面。隊長、懺悔の宿願を果たす(爆)

しばらくすると専務が戻られた。そして代表である四ッ谷芳文氏も事務所に入ってこられた。お二人から蔵の現況や『兼八』のことなどをしばし伺う。

けんじ「『兼八』は常習性というか(爆)、一回飲んだらもう一回飲みたくなるような感じですよね」
猛牛「わても衝撃を受けました。驚愕ち言う感じやったですね」
隊長「私も大分の麦は馬鹿にしてたんですよ。味もそっけもないって。壱岐の方が美味しいと思ってましたよ」

四ッ谷芳文代表

専務「大手の麦が、本格焼酎の市場を開拓したことは大きな意味があったので、それを否定は出来ないんですね。うちもそれに乗っていた時期がありましたもんで(^_^;)」
けんじ「ブームの時に、1000万円の減圧蒸留器を投入しようとされたのを、結局断念されたと、1月の時に代表から伺いましたが」
女将さん「結局お金が無くて出来なかったんですよ(笑)」

四ッ谷岳昭専務
左:隊長、右:けんじさん 於:四ッ谷酒造事務所

隊長「『兼八』のあの味というのは、どうやって出るんですか?」
専務「蒸留後そのままのものはクセがあるでしょう? 通常の場合、その後にイオン交換とか濾過を掛けて精製するわけですよね。でも、それなら蒸留工程からキッチリやって綺麗なものが出来れば、その後に何かしなくてもいいような状態にすればいいと。」
隊長「なるほど」

専務「よくあの味はどうやって出るのかって、聞かれるんですよ(^_^;)」
3人「でしょうねぇ」
専務「でも逆に質問したいんですね。どうして麦焼酎は麦の味がしないんですか? いも焼酎はいもの味がする、米は米の味がする。でも、麦焼酎は麦の味がしないことに何の疑問も抱かなかったんですか?ってですね」

隊長「その通りですね。実はいままで麦焼酎がキライだったんですね。これは四ッ谷さんにゴマスリでは無くて、『兼八』を飲むまでは・・・」
猛牛「ええ~、いままで大分麦を馬鹿にしていた隊長が、ぜひとも四ッ谷さんにお詫びがしたいと、今日は参ったわけでして」
隊長「そそそ。本当にすいませんでしたm(_ _)m」
一同「はっはっは!」

専務「やっぱり筋を通したかったというか。大きな流れに、一緒に流されるんではなくて、蔵の個性をしっかり出したかったんです」

小袋に入った各種原料を拝見する。

けんじ「原料は精麦65%のはだか麦と、前回代表からお聞きしたんですが」
専務「精麦は、精麦メーカーに頼んでいるんですが。これが原料の見本です」

専務「同じ麦でもこれだけの差があるんですね。はだか麦は国産しか無いんです。オーストラリア産だと、国産に比べて水分量が少ないという違いがありますね」
隊長「原料による差はどんな感じですか?」
専務「オーストラリア産だと、確かにアルコールはたくさん採れるんですよ」
猛牛「歩留まりはいいと・・・」
専務「ええ。歩留まりはいいんですけど、すこし味としてはすっきりした感じというか、表現が難しいですが、ドライな感じというか。で、順番としては、外麦、国内産の大麦、そして国内産のはだか麦で、だんだん日本人の好みに近づくという感じがしています」
けんじ「なるほど・・・」

専務「はだか麦ですと、蒸留直後でも柔らかさがありますよ。そこにも原料の差がでます」

■初代・四ッ谷兼八さん創業にまつわる伝説。

ふと事務所の壁を見ると、大正8年に出された焼酎製造免許が掲げてあった。そこに創業者である四ッ谷兼八の名前が記されていた。

初代の名を冠したその麦焼酎は、酒販店から愛好家へと広がり、今では全国メディアに登場するまでに成長して、ファン層を広げている。 兼八さんもきっと、草葉の陰で喜んでいらっしゃるに違いない。

その初代に面白いエピソードがある。

兼八さんは、長洲漁港で水揚げされた魚介類を行商する仕事をやっていたらしい。ある時、行商先で飲んだ焼酎の味が忘れられず、焼酎屋の開業を思い立った、というのである。

想像ではあるが、長洲に5軒ほどあった清酒蔵に隣接しての開業なので、当時は粕取か白糠で焼酎を造っていたのではないだろうか。

ま、どちらにしても、味が好きで焼酎屋に転業とは、面白い。

◇    ◇    ◇

■『兼八』誕生の現場へ。蔵内部に潜入する。

専務にご案内いただいて、『兼八』の現場を拝見した。まずはもろみ。とても甘い香りがする。ん~~ん、兼八は双葉より芳し、というところか。

蒸留器は、最も小さい方ではないかという。1日1回で1200リットルを蒸留できる能力。この蒸留器は代表がご自身で図面を書いて製作されたものである。

現在『兼八』の供給が逼迫しているため、来年は少し同品に比重を傾けて石高を増やす計画とのこと。

確かに福岡市内でも、『兼八』を置いている飲み屋さんが増えてきた。それも焼酎バーなどの専門的な業態のみならず、幅広い料飲店で見かける機会が多くなってきたのだ。

けんじさんの話だと、1月の訪問時には店売りの棚に『兼八』が並んでいたそうだが、今回は影も形も無し。注文で手一杯だといふ。

お邪魔した前日に蒸留された『兼八』の、まだフーゼル湯などを掬っていない原酒を試飲させていただく。

ん~~~~ん! 当然ながら荒いが、これがまた旨い! 甘さと深さとコク、よか味ですたい。

荒々な魅力にハマると、もうイケマセン。けんじさんも「ふぅ~~~」と喜悦の表情を見せる。蔵にお邪魔する最大の醍醐味、その瞬間だっ。

麹造りについては、三角棚と自動製麹機のふたつが稼働していた。

専務「製造の過程で、ちょっと違うことをやりたいと思った場合に、ふたつあった方が、作業の段取りが組みやすいんですね」

自動製麹機についても、小振り。石高にしても800石程度である。仕込みについては、かつては黒瀬杜氏に来てもらっていたという。しかし甲類ブームの頃は経営も厳しく、少しでも人件費を押さえるために、次第に代表自らが仕込みを行うようになった。

元々の麹室というと、現在は『古代』を貯蔵するための樽の倉庫となっていた。

専務「まぁ、お遊びという感じの量しかありませんが」

P箱を積んでいる倉庫のところで、見慣れない銘柄を見つけた。名は『栄花』。地元で供給されているブランドである。

■貯蔵20年、幻のデッドストックが・・・。

ところで。写真には収めなかったが、同じくP箱でドン!と積まれた、ラベルもボロボロになったデッドストックが眠っていたのである。もう20年前くらいに出荷されたものだが、返品されたまま寝かせているというのだ。

専務「親父と一緒に試飲したんですが、20年近く経って味も変わっているし、どうも気に入らないというので、そのままにしてます。良かったら、ちょっと飲んでみますか?」

飲ませていただいたら、悪い味ではない。けんじさんは買おうかどうしようか迷っていた。わては一升瓶だと帰りが大変なので、残念ながらパス。

◇    ◇    ◇

というわけで、お邪魔する時間が長くなってしまった。お暇せねば。事務所に戻って代表や女将さんにお礼を申し上げる。本当にありがとうございました。

と、店内の棚に並んだ徳利群を見ていたら、どこかで見たような・・・

あ!

ま、また「昌子様の舟とくり」ではないかっ! 「昌子さま ああ昌子さま 昌子さま」

港町の蔵・古澤醸造さんの製品が、遠く豊後の港町にも運ばれていたのである。宮崎県の秘境・諸塚村に続いて、今度は宇佐八幡で名高い宇佐市・長洲漁港での発見。豊後水道を挟んだ大堂津と長洲というふたつの漁港間における文化の交流を物語る、まさに歴史的と申し上げて過言ではない貴重な民俗資料が、この四ッ谷酒造さんにも収蔵されていたのだっ!

わてはこの時ほど、大分県の北と宮崎県の南に分断されながらも、昌子様と運命の深い絆でしっかりと結ばれていることを、またまたまたまた実感せずには居られなかった。嗚呼、焼酎版運命の赤い糸。

・・・というわけで、感動的に次章へと進む。

◇    ◇    ◇

とある酒屋さんに寄って『兼八』を購入後、高速道を今度は一気に南下、千歳村へと向かった。日も傾き始めた。時間も押している。とにかく急がねばならなひ!!!。


(了)


■2022年追記:港町は家々が踵を接しているので、とても細い路地を抜けていったことを覚えています。

とにもかくにも、『兼八』の味は衝撃でしたね。2002年前後のブームは芋焼酎がメインでしたけど、麦の『兼八』も牽引役としての存在感は大きかったと思います。

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