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鹿児島蔵元アーカイブズ 2002〜03(4) 国分酒造
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2002.12.22 by 牛山 護
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■笹山さんと2月以来の久々の再会! 瓜二つぶりを再認識!
12月18日に鹿児島への出張の用事が、急遽勃発したんである。そこで、せっかく芋焼酎王国に潜入するなら、やはり時間の許す限り蔵元さんを覗いてみたい・・・。というわけで、空港に近い国分酒造協業組合(当時)さんにお邪魔してみた。
今回は仕事の流れということもあり、わてが勤める会社の後輩営業マン・F君も同行しての見学である。
空港からしばらく車を走らせる。わては土地勘が無いのでどこを走っているのか、さっぱり見当がつかない。しかし鹿児島での生活経験があるF君のお陰で、国分市内の山間部の奧に蔵を無事発見することが出来た。
おお! ここがあの『いも麹芋』の故郷、ですたい!
わては“いも芋”の熱烈なファンであり、また同社の伝道師とも言える笹山護氏には人間的に親近感を、また外観・容姿的にも極めて親近性を覚えておるんである。つまり、世上に名高い「笹山氏&猛牛双子説」であるが、同行したF君にもそれを“実感”させてやろうという腹づもりもあった。
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事務所にご挨拶に伺う・・・と、いらっしゃった、笹山さんが!
猛牛「な、F君。似すぎやろう? もう瓜二つちみんなから言われるったい。この品の良さ、明るさ、にこやかな笑顔・・・な!」
F君「はぁ~?(@_@;)。牛さん、そりゃ超誇大虚偽表現ってヤツです! JARO物っすよ!」
猛牛「むっ(-"-)」
審美眼を持たぬ者はまったく困ったもんである。
というわけで、今年2月に博多・中洲でご一緒させていただいて以来の再会。笹山さんの清々しいスマイルぶりは相変わらずである。F君も「笹山さんって、モテるでしょうねぇ」と後刻感想を述べていたが、然り。あやかりたい。
さて、今日はじっくり蔵を見ていって下さいとのありがたいお話。蔵での芋焼酎の仕込みは終わって、現在は麦の生産に移っているという。いつかは拝見したいと思っていた国分さんなので、一も二もなく突入させていただくことに・・・。
■ほぉ~、ここで『国分』や『いも麹芋』などが生まれるんですな。
わてらが蔵にお邪魔した時分、ちょうど大阪からも見学者が来ていた。笹山さんの話では酒販関係者では無く、一般の観光客だそうだ。人気と関心の高さの一端が見える。
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蔵に設置された各種設備からご覧いただこう。上記画像は芋切り場。作業する場合は円陣に座って、流れてくる芋の両端を落としていく。その作業用の包丁が壁に並んでいた。一回でいいから、この作業をやってみたかった。
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大型の自動製麹機。ふたつのドラムが設置されている。地元数社が集まって誕生した協業組合なので、規模はデカい。しかし量産品だけでなく、独自の味を追求した特化製品にも新しい境地を拓いているところが、さすがだと常々思っている。
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上記左は仕込みや貯蔵用のタンクが居並ぶ蔵の内部。そして右は芋粉砕機の歯の部分である。12月14日に大分県の蔵元さんで敗戦直後の木製芋粉砕器を拝見したが、このスティールで出来た歯を見ていると、なんだか時の流れというものを感じてしまった。
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左は発行中のもろみのタンクと、中身をチェックしている笹山さん。
麦のもろみだったが、1日目、2日目、3日目と徐々に発酵が進んで熱を発散している様子が見学できた。それにしても甘い香りが鼻をくすぐる。
蔵見学初体験のF君は「いいっすねぇ~、ほんと。甘い香りがたまんないっすよぉ!」
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蒸留機は、大型の物が2基設置されていた。
普段の蔵見学だと、どちらかというと小規模な蔵元さんにお邪魔することが多いため、やはりこのデカさにはびっくりしてしまう。改めて、大きいなぁと思った。
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一通り、蔵内部の見学をさせていただいたところで、笹山さんが「じゃぁ、ちょっと飲んでみますか?」とおっしゃるではないかぁ~。
同行二人のF君もキライな方ではない。さっそく4つの瞳がキラキラと輝き始めた。
というわけで、蔵内において怒濤の試飲大会が開始されたのであった。
■怒濤の無濾過麦! 『いも芋』の連打!にノックアウト!
まずは、お邪魔した前日に蒸留したという麦の無濾過を、笹山さん手ずから柄杓で注いでいただいて、まずは一口。まだガス抜きも終わって無く、色も白濁している・・・。
猛牛「う・・・・うめぇ!(~Q~;)」
F君「こ、これ、美味いっすよ!(@_@;)」
麦常圧の無濾過は初体験のF君、さすがにこの香ばしさと分厚い後口の甘さに驚いたようだ。実際に麦らしいいい味わいの原酒である。ほんと美味しいったいねぇ、これが!
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次に飲ませていただいたのは、1999年以来の歴代の『いも麹芋』のタンクですやすやと眠っている貯蔵酒。 『いも芋』ファンとしては、極めてタマラン状況です、はい。
あのキレのある独得の風味を、タンク貯蔵の状態で味わえるとは、冥利に尽きますばい。 次々に舐めさせていただく・・・。いい味ですたい。
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蔵内試飲の最後は、老(ひね)麹で造った限定品の『大正の一滴』の原酒。まさに至福の連続、怒濤のいも芋攻撃。あ~~、生きていて良かったと実感のひととき、ぬぅあんである。
蔵元さんの現場で実際に味わうのは、何ものにも代え難いですにゃ。
■蒸留粕の再利用に向けて。
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試飲の後は、蒸留粕の再利用についてのプラントを見学させていただいた。上画像がそれ。これはある大学との共同研究で来年の1月から実験を行うという話である。
法律が改正され、海洋投棄が出来なくなったため、各蔵元さんでも様々な再利用についての取り組みが行われている。
■“芋”の美しさを再認識。
出荷前の『いも麹芋』のダンボール箱が見えた。 この箱については、別にコンテンツを立てているほど、とにかくこの“芋”のカリグラフィーが素晴らしく、気に入っておりますにゃ~。
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ほんと惚れ惚れとするほど、ええ書体だ。ちゃんとした顔を持っている商品はやはり強い。
■安田杜氏が語る、『いも麹芋』の発見、杜氏としての視点。
事務所に戻った時、笹山さんからお引き合わせいただいたのが、同社製造部長で杜氏の安田宣久氏。発案者の意向を受けて挑戦した『いも麹芋』の生みの親である。製造年で違う個性をそのまま楽しむことが出来る“いも芋”の商品性についてまず伺ってみた。
猛牛「“いも芋”は年によってそれぞれ違いがあって面白いなぁと、さっき試飲させていただいて、再認識したとですが・・・」
安田杜氏「普通ですと、味を一定にするために、前年のものとブレンドしたりしますよね。ある時、私が1年違いのものを飲み比べたら、それぞれ別の個性があって面白いじゃないかと思ったんです。別にブレンドして味を合わせる必要な無いじゃないかと、ハタと気づきまして。それで、『いも麹芋』については、そのまま年度毎に出荷することにしました」
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猛牛「東京で、『春雨』の宮里さんとお会いになられたと伺いましたが」
安田杜氏「はい。もともと『春雨』を飲ませてもらった時に、これは絶対に甕貯蔵だと信じていたんですよ。だからこそあの味が出ているのだと・・・。ところが実際にお会いして伺ったら、タンク貯蔵だったんですね。驚きました。あの味を醸すということは、設備だけの問題ではないということです」
猛牛「安田さんが気になる蔵元さんは、どちらですか?」
安田杜氏「意外かも知れませんが『○い○○』さんです。あそこは、この樽に貯蔵するためにはどんな原酒を造ればいいか、ということに対して数値的にもちゃんとしたデータを持って、実際に造れるところです。そういう底力を持っていらっしゃる」
わては驚いた。実は以前訪問したある蔵元さんも同じように『○い○○』の凄さを語っていらしたからである。技術力と研究の深さについては、一目も二目も置かれていたのだった。
猛牛「今後はどのような方向性で、造られるご予定ですか?」
安田杜氏「昔、親が飲んでいた、本当に昔ながらの焼酎を造ってみたい、と思ってます」
再現したいという安田杜氏の製品がどのようなものか、話を聞くだけでも楽しみだった。製品化はまだまだ先のようだが、登場の日が待ち遠しい。
◇ ◇ ◇
さて、蔵を失礼する時間となった。
それからは国分市街に場所を移して、薩摩焼酎界・不世出の酒豪横綱・笹山関に胸を借りる焼酎稽古の修羅場と化したが、それはまた後日に・・・。どすこい!
(了)
■2022年追記:この訪問の5年ほど前から開始された国分酒造さんの革新的歩みについては、その詳細なレポートである「焼酎イノベーションの系譜」をご覧いただきたい。
この時、安田杜氏は「昔、親が飲んでいた、本当に昔ながらの焼酎を造ってみたい」とおっしゃっていた。今振り返ってみれば、タイミングとしては”本当に”という問題意識で原料自体に疑問を持ち、大正期に栽培されていた芋を探すことが頭にあったのだと感じる。
上記レポート「蔓無源氏」の稿には「2003年7月、鹿児島県農業試験場(現:農業開発総合センター)に足を運び、ほぼ絶滅状態にあって品種保存のための種芋だけを栽培していた「蔓無源氏」の芋の苗を、10本だけ分けてもらうことができた。」とあるので、芋の在りかを探していた時期だと思える。
それにしても、ブームが最も過熱した2002~05年という時期に銘柄を乱発した蔵が多かったが、国分さんはじっくりと商品開発に注力し、その結果がいま「香り焼酎」という新基軸を打ち出して業界をリードしているわけである。
やはり地道な努力こそが肝腎なのだ。