酒屋巷談 Narrative集(5)
【粕取幼年期と、その終わり】
わてが9月28日に、そして先日goidaさんが間一髪、最後の店頭在庫一本を無事手に入れた、大分県の粕取焼酎『富源』。それを販売されていたお店が、福岡市中央区は今川2丁目のバス停近くにある『酒屋りゅう』さんである。
goidaさんの話だと、「うら若き20代の身空で粕取を指名買いに来るとは、もしかしたら探検隊のgoidaさんでは?」とりゅうの大将・笠太一郎氏から言われたそうな。まさに図星だが、実は大将は探検隊のページをご覧になっており、彼の顔を画像で覚えていたといふ。
大将から粕取について色々と情報を聞くことが出来たというgoidaさんの報告を受けて、再度(というか大将とは何度か店でお会いしたことがある)、わても挨拶がてらお邪魔してお話を伺うことにした。まぁ、探検隊の猛牛としてはお初ということで・・・。
■初体験は小学生! 粕取歴40年以上の達人・笠太一郎氏。
猛牛:以前こちらにお邪魔したときも、少し大分の粕取についてお聞きしたとですが。入手困難とおっしゃっていた『富源』、よく入荷したですねぇ。
笠氏(以下大将):偶然というか、突然入ってきましてねぇ。普段は蔵の近所とかでほとんど売れてしまう商品ですから。本当に偶然でした。
猛牛:年間で500本だけとか?
大将:そうです。昔ながらの味を知ってらっしゃる近所のお年寄りが買いに来るそうです。「これだ!」と。
猛牛:『富源』の話はあとでじっくり伺うとして・・・わては、goidaさんやけんじさんらと北部九州の酒屋さんを回ったとです。が、粕取のことさえ知らないところもあって、淋しい思いがしたとです。大将のような方がいらっしゃって、心強いですばい。
大将:うちは古くから酒屋やってますが昔の店では角打ちやってましてね。
猛牛:ええ。路地の奧の旧店舗ですばいねぇ。車で通りかかって拝見したことあります。
大将:で、僕が小学生の頃から、その角打ちで酒を注ぐ手伝いをさせられてたんですよ。飲みに来た大人の人たちに注いでいくんですが。
猛牛:はい。
大将:その時に注いでいた焼酎が粕取だったんです。というか、当時福岡県で焼酎と言えば“粕取”のことでしたから。米も芋も麦も、その頃は少なかったんです。
猛牛:失礼ですばってん、何年前のお話ですか?
大将:僕がいま50ウン歳ですから、もう40年前以上ですね。
猛牛:なるほど。
大将:で、注いでいて、大人が美味そうに飲むでしょう? そしたらどんな味なのか気になって気になってねぇ。自分も飲みたいと思って・・・。で、親の目を盗んでこっそりと、飲んでみたんです。
猛牛:どうやったですか?
大将:いやぁ~、旨い!と思った(*^^*)
猛牛:大将、凄かですねぇ、小学生ちゅーご幼少のみぎりに粕取開眼とは・・・。まさにわてらの鑑ですばい!!!(爆)
大将:あの香りと味が合うんですよ、自分の好みに。
猛牛:その当時、大将のお店で売られとった銘柄は、なんですか?
大将:『香露』と『常陸山』です。
猛牛:『香露』は壷入りの13年物を飲んだことありますが、凄い香りと味やったです、その時はまだ飲み馴れてなかったんでですねぇ。
大将:確かに『香露』や『常陸山』にしても、今の嗜好で行けばほとんど受け付けられないでしょう。個性が強烈だから。柔な舌だと付いて来れないと思うなぁ。
猛牛:関東に『横浜焼酎委員会』という組織があってですね、先日そのイベントで粕取を出したそうですけんども、やはり“降参”という感じやったそうですばい。
大将:でしょうねぇ・・・。現在の一般的な焼酎の味とは違うから。
猛牛:カルチャーショックち、言うか・・・。
大将:とにかく匂いが凄いわけですよ。角打ちでも、清酒と一緒のコップでは出せないんです。匂いがコップに染みて、普通に洗っても落ちない(爆)。だから粕取用と清酒用にわけて離さないといけない。清酒をそれに入れると、匂い負けするわけです。
猛牛:それは壮絶ですたい(^_^;)。以前回った酒屋の女将さんも、臭いがイヤで一升瓶から顔をのけぞらせながら注いだち言われよんなったですねぇ。
大将:なるほど。僕は好きだったから、そんなことは無かったですけどねぇ。
■正調粕取の滅亡近し・・・で、悲しい見解の一致。
大将:いまの嗜好に合わなくなってるというか、もうひとつ言うと、日本人の食生活も変わったでしょう? 味覚の世界も激変して、それと(正調)粕取焼酎が合わなくなっていると思うんですよね。
猛牛:言われてみると、そうですばいねぇ。
大将:粕取を買いに来られる80歳代のお年寄りが若かった頃の食卓と、現在の若い世代のとでは、全然違うわけですよ。粕取の味が合わない、食事になったっていうかなぁ。
猛牛:はい。
大将:それと後は、粕取を支えていた古いファンの人達が亡くなっていることですね。
猛牛:そうですたい。それはどこに行っても聞く話ですばい。
大将:粕取を買いに来る人は、高齢者くらいで。うちでもほとんど売れないしねぇ。自分は粕取、それも匂いと味に個性の際だった粕取が大好きだけど、でもお客様のニーズとは別問題でしょう? 商売としてはやっていけませんよね。
猛牛:大将ん所では、粕取は年中店頭化しちょるとですか?
大将:いや、年に何回か、ですよ。
猛牛:なるほど・・・。それをオールドファンか。あとは、わてらみたいな酔狂者が買いに来るわけでして。
大将:あと(正調)粕取焼酎は何年、保つかなぁ・・・。
猛牛:はい。わてらもそれを心配しちょるとです。
大将:10年保つかどうか・・・。今でも、ほんと数が少なくなってるでしょう?
猛牛:ええ。昨年から今年にかけて、数銘柄がさらに消滅しちょります。正調については全滅間近なんですたい。
大将:80歳のお年寄りがあと10年生きたとして、平均寿命が伸びたといっても、やはり飲む人がまず少なくなるし、それにつれて蔵も造らなくなるでしょう。ほんとねぇ、粕取造るよりも、奈良漬け造った方が高く売れるんだから(苦笑)。古いファンの方が居なくなったら、もう造る意味が無くなりますからね。
猛牛:バカは承知で、少しでもそれを食い止めたいと思うちょるとですたい。
----北部九州の正調粕取は、まさに、全滅の瀬戸際にある----
■『富源』について、さらに。
猛牛:話が変わりますばってん、『富源』は、なんか庭先で蒸留ばされよるとか?
大将:そうです。ほんとねぇ、旧時代的な蒸留器というか。餅米を蒸すセイロがあるでしょ? あの中に粕と籾殻を入れて、釜の上に乗せて、それから薪で水を焚いて、蒸気を送るんです。
猛牛:カブト釜ですか、上は?
大将:いや。木の容器を載せて、その横腹から竹の筒が、こう突き出ているものでしてね。もう、今では珍しいですよ。
牛:ま、まさに古色蒼然たる正調粕取の世界やないですか!
大将:それを庭でやっていたんです、数年前に訪ねたときにですね。長閑でした。
猛牛:『富源』は、あの油で白濁した色も凄かですねぇ!
大将:ええ。凄いですよね。油が上に厚く浮いてるでしょう? 味もまさに正調というか、骨のある味わいです。かつての『香露』ほどではないかもしれないけど、あの時代のいい味を出してますね。でもね・・・・。
猛牛:と、申しますと?
大将:『富源』の蔵元さんは、日本酒もされているわけです。で最近、観光蔵というか、まぁそんなに大げさなものではないですが、施設を造られているわけですね。
猛牛:ほぉ~。
大将:それでもし、日本酒がさらに評価が高まってきたら、粕取は止められるかもしれない、そんな気がしています。もちろん予測でしかありませんが、飲む方も減っているし、無理して造ることが必要もなくなったら、企業としては止めるのが当然だからですね。
猛牛:そういえば『香露』の社長さんは、それこそ正調粕取に命ば掛けられた人と、一緒にこの企画ばやっている宮崎のけんじさんに聞きましたばってん。
大将:はい。そうですね。
猛牛:実は今日、ある筑後の蔵元の方から伺ったとですが、先日お亡くなりになられたそうで。もう少し粕取企画が早かったら、引き合わせたけどと・・・。実際に九州進醸さんに勤められていた杜氏さんが現在その蔵の仕込みをされているそうで、折があれば話を聞いてみたらと言われました。
大将:そうですか。
猛牛:大将、最後に。これまで飲まれた中で一番の粕取は?
大将:やはり『香露』と『常陸山』です。僕が子どもの頃からずっと馴染んでいた、味ですから。体の中に染みているというか。ヤワな味ではない、そんな感じです。
猛牛:今日はお忙しいところ、貴重なお話、ありがとうございました。
◇ ◇ ◇
さて。閉店間際まで、大将には時間を割いていただいた。そこでお話を伺ったお礼として一本買って帰ることに。目を棚に這わせると・・・
昌子さま ああ昌子さま 昌子さま
あの昌子様がいらっしゃる宮崎は日南市・古澤醸造さんの『一壷春』が網膜に飛び込んで来た。「嗚呼、あの夏の日の大堂津・・・」ちゅーのは、もういいか。てことで、熱愛故に、迷わず購入w。
筑前正調粕取史の貴重な証言が、なぜか最後は“昌子様”に着地したという、ぬぅあんともシュールな一編となってしまったが、大将の笠太一郎氏に感謝申し上げます。ありがとうございました。
(了)
■2022年追記:この時、笠太一郎氏に飲用実態の詳細を伺えたのは大きな収穫だった。取材時でも、かつてユーザーだった高齢者の多くが鬼籍に入られたり身体を壊されていたり、直接飲用実態をヒアリングし難くなっていた。20年経った現在ではもう絶望的ではなかろうか。
笠太一郎氏とは、もう10数年お会い出来ていない。福岡市中央区今川の地下鉄路線に面した通りにあった「酒のりゅう」だが、ググる地図で見ると、店があったビル1階には別の店舗が入っている。もう廃業されたのか。私より年齢は10歳以上でらしたと思う。もうリタイアされたかも知れない。
寂しいけれど、この談話を残していただいたことは、いまもありがたく思っています。