或る「早良の醤油蔵」伝 ヤマタカ醬油(3) -山髙宇宙の創成、Big Bangの原点を識る-
(文中敬称略)
1.ヤマタカ宇宙観を形作った、東入部の環境を歩く。
ヤマタカ醤油のブランドといえば、大定番『木星』をはじめとした『火星』『水星』の惑星に、『月星』という衛星で構成された”醬油太陽系=Soylar System"であることは、つとに醬油天文家に知られている。
なぜ太陽系の星たちをブランドネームとしたのか?、については詳細を伺ったので、それは後刻詳しくご紹介したい。何はともあれ、まずはヤマタカ宇宙創成の原点、”Big Bang”の現場を実見せねばなるまい。
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ということで、少しだけ暑さが和らいだ某日、カネさんとK君ともども福岡市早良区東入部にある蔵元を訪ねた。
ご案内いただいたのは髙田晃太郎専務である。お見受けしたところ、20歳代後半か30歳代前半か、お若い上になかなかのイケメンでらっしゃる。
髙田専務の前を走る道が、かつてメインストリートであった旧道。現在は新母屋を挟んだ反対の西側に国道263号線が走って、佐賀県三瀬や那珂川市へと繋がっている。この旧道、なかなか風情があってイイ。下記画像の右側に側溝(クリーク?)が流れているのだが、かつては蛍が舞っていたという。
私は知らなかったのだが、この旧道沿いには色々と旧蹟が存在していた。南に向かって歩く途中に、『松ヶ根の井』という湧水がある。学問の神「菅原道真」が大宰府に左遷された折りに、その途上で手を洗い清めた苔清水という言い伝えが遺っている。
髙田専務(以下専務):「この湧き水も昔は綺麗だったそうで、酒の仕込みにも使われていたそうなんです」
カネ:「水が良い場所だから、清酒や醬油などの蔵元があるんですね。なるほどなあ」
私:「ヤマタカさんは、どんな水をお使いなんですか?」
専務:「うちは、井戸があります。結構深いところから汲んでますね。水質検査は当然やってますが、とてもキレイな水ですよ」
それから先に進むと、既に記録編でご紹介した清酒『松鷹』の蔵元・飛松産業さんのお屋敷が見えた。白壁の、いかにも蔵元らしい豪邸が往時を偲ばせる。現在は酒造はされておらず、特別養護老人ホームを経営されているとのこと。
蔵の前に戻る。旧母屋の左側、レンガ造りの部分が120年以上前に建てられたままで、中に麹室(こうじむろ)が置かれているという。ずいぶん前に、国道に面した新母屋・事務所に立ち寄って醬油を買ったことがあるのだが、この旧母屋には気付かないままだった。ここだったのか・・・。
さっそくBig Bangの原点、旧母屋の中に入らせていただいた。
2.ヤマタカ宇宙、そのBig Bangの原点を実見する。
玄関から入って、ふと旧母屋の天井を見ると、箱がぶら下げられている。何かと思ったら、燕の巣だった。心配りである。
まずご案内いただいたのは、創業当時からの麹室。下記画像、ちょうど髙田専務が立っている奥が煉瓦の壁になっていて、先の旧道側に面している。棚にはズラリと麹蓋(もろぶた)が積み重ねられている。
専務:「いまはもう倉庫代わりになってますけど。ここの中は、夏涼しく、冬は暖かいんですよ」
たしかに、夏の陽射しが厳しい外とは違って、少々涼しく過ごしやすい室内だ。通路の奥に見える煉瓦の素肌は、表と違って年季を感じさせる。
それにしても、麹蓋がやけに新しい。手麹をやっている(いた)蔵元さんでは、麹蓋がけっこう使い込まれている場合が多いのだが、ここまで新しいものは初めて見たと思う。気になったので理由を訊ねてみた。
私:「麹蓋がえらく新しいんですが、どうしてなんですか?」
専務:「社長が『五代目当主の道楽醬油』を造った時に、製麹のために新調したんですよ。道楽醬油は造りが結構大変だったので今は休止しています。それで、まだ麹蓋も新しいんです」
私はこの『五代目当主の道楽醬油』を2度購入していた。木樽仕込みで2年醸成というので気になる商品だったのだ。しかし後に「ヤマタカ食堂」で食事した際、店員の方に本品について訊ねたら、もう製造していないとのお話であった。
とても残念だったのだが、今回の面談で髙田市郎社長よりいろいろと伺って、終売に納得。その件も後で詳しく。
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続いて、火入用のタンクを拝見した。
「火入」はこれまでも触れてきたが、醬油造りの三大要諦である「一麹、二櫂、三火入」と謂われるうちのひとつ。この言葉は国道から見た蔵正面の建屋にも大きく書かれている。
発酵中の醬油を「失活」(熱を加えて発酵を止める)させることに加え、殺菌し、醬油に鮮やかな色味と香気を与える大事な工程だ。醬油の出来映えを決める最終段階、故に細心の注意が必要となる。
専務:「火入の間は付きっきりですよ。ちょっと目を離した隙にたいへんなことになりかねないので」
カネ:「温度はどの程度まで上げるんですか?」
専務:「そこは・・・ちょっと、企業秘密なんです(笑)」
これまで訪問した二蔵さんでも感じたのだが、火入の温度と掛ける時間の見極めは微妙であり、そこに各蔵元の経験とノウハウが発揮される、それは蔵元の創意工夫が活きる最終局面ともなっているのだ、と。
火入タンクの中には、酒蔵でもお馴染みの蛇管が仕込まれていた。ボイラーで水を熱して、その蒸気を蛇管に送り込むことで醬油を加熱する仕組み。
専務:「重油の価格がとんでもなく上がってるので、ほんと大変なんですよ。原料の小麦や大豆の価格も上がってますしね」
火入の後は、醬油の温度が室温に下がるまでそのまま置く。温度が下がった後に濾過の工程となる。濾過では、珪藻土の濾過材を10段ほど重ねた多段急速濾過器が活躍する。
専務:「これは細菌や微細な埃、おりなども除去します。万が一混じった髪の毛などがあってもすべてをキレイに濾過してくれますね。おりが残ると、瓶詰めの後で”黒点”というのが出たりするんです」
おりや黒点については、古い資料だが『しょうゆの製成』(梅田勇雄/日本醤油研究所、1961年(昭和36))という一篇がネット上にあった。
おりを除去することは、この黒班物質、”黒点”の発生を防ぐことに繋がるという。またおりがカビの発生源にもなるので、完全な除去が望ましいとされている。
そういえば、醬油差しの中に”醬油の上面に蓋を浮かせる”商品があるが、酸化を可能な限り抑えるという点で理に適っているということなのだろう。
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濾過を終えて、いよいよ瓶詰めの工程だ。お邪魔した日は『月星』1.8Lペットの充填が行われていた。蔵での作業は午後3時くらいに終了するとのことで、当日はギリギリの2時にお邪魔して瓶詰めの作業を拝見できた。
手前の充填機が回転してペットに醬油が注がれる。規定量になるとキャップを口にはめて密閉、ラベラーを通して製品の完成だ。
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一通り拝見して、蔵の規模としてはとてもこぢんまりとした印象を受けた。
しかしながら、ここから送り出されるヤマタカ醬油の惑星・衛星群が福岡市西部域をはじめ周辺地域の数多の店舗をPlanetariumと為している状況がある。そういうところに、福岡県における醤油蔵と地場市場との歴史性と特殊性が如実に顕れている、という想いがするのだ。
3.珈琲に最適!?知る人ぞ知る”ヤマタカの名水”
旧母屋を後にして、新母屋の事務所に移動することになった。
ちょうど玄関を出たところで、正面から見て右側に地下水を汲み上げるポンプがあるという。せっかくなので覆いを上げて拝見させてもらった。
さらに井戸の対面、新母屋の裏手に「水汲み場」まであるとおっしゃる。この”ヤマタカの名水”の存在、まったく知らなかった。
専務:「取引先の料飲店さんが、和らぎ水(日本酒を飲みながら飲む水。所謂チェイサー)に良いとおっしゃって汲みにいらっしゃるんですよ。それと、どこで聞き及ばれたのか、一般のお客様も汲みに来られてるんですね。このことは何も告知していないんですけれど」
私:「水を汲むのは有料なんですか?それとも、事務所にひと言断ってから汲ませていただくとか?」
専務:「いいえ。何もおっしゃらなくてもいいですよ。好きに汲んで下さって結構です」
カネ:「(蛇口から飲んで)良い水ですねえ。これで珈琲を点てたいです!汲みにお邪魔しようかなあ」
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菅公・菅原道真が手を洗い清めたという東入部名水伝説、それは今もしかと現実として此処に生きているかのようだ。
The legend lives on.
(4)に続く