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酒屋巷談 Narrative集(4)

2002.09.08 by 猛牛
中洲川端・櫛田神社境内にある飾り山の前に立つ、goida隊員

【粕取無いけど、博多たい!】

■goida隊員から、誘惑の至急電が・・・。

8月17日、8月24日、そして8月31日。3週連続に渡った肥前+筑前西部+筑前東部の粕取調査行によって、ひとまずリサーチの一段階を終えた・・・つもりだった。

「久しぶりにのんびりすっか、あまり行きすぎると家人も怖いしぃ~~(^_^;)」と、わが賃貸偏奇館でボケーーッとしていた9月7日の土曜、朝10時過ぎ。突然わての携帯が鳴り始めたのである。ディスプレイを見るとgoida隊員ではないか!

猛牛「・・・ああ、goiちゃん、ども・・・ん?・・・何! いま、箱崎にいるぅ? 酒屋で『霧島』と『おはら』のお湯割りコップが1個10円であったぁ!? 5軒も近場で酒屋を回った?? 今から粕取焼酎『博多っ子』の萩尾酒造場さんに行くつもりぃぃ???? おぃおぃおぃおぃ」

家人はもう仕事に行っていたから、今なら極秘に立ち回れる。goidaさんも当日の夕方から宮崎に慶事で向かうという。午後4時までに戻れば、たとえ出土品があったとしても、秘匿したまま何食わぬ顔で「お帰りぃぃ~~(*^^*)」と家人に言える絶好のチャンスだ。むふ。

粕取調査行に出動であるっ!(-"-)

◇   ◇   ◇

goidaさんが一旦家に戻って宮崎行きの荷造りをし、賃貸偏奇館にやって来たのがちょうど昼の12時。聞けばまだ昼飯を食っていないといふので、冷凍ミリタリアン・フード『よこすか海軍ドライカレー』を振る舞ふ。しかし、それが命取りとなった。

電子レンジが未だ回転を終えない12時15分、家人が昼休みに戻ってきたのだっ! さっそく、調査行でまたしても一升瓶の山を築くのではないかという家人の猜疑と殺気が室内に充満する。goidaさんも空気を察知したか、そそくさとドライカレーをかき込む。さて、なんとか穏便に館を抜け出そうと思案していたら・・・、

goida「で、牛さん。何時頃に萩尾さんところに行きますか?」

萩尾さんが蔵元とは知らなくても、そこは“●●さん”と聞けばピンとくる家人である。ううううううううう、バレてもうた。今回のミニ調査行、先週とはまた違った波乱のスタートとなったのである。

さて、地理的関係についてはこちらをご覧いただきたい。

■隔年生産ながらも、銘柄現存の『博多っ子』。

今回の調査行、まずは大濠公園のすぐ北側、中央区荒戸にある『萩尾酒造場』さんに向かった。粕取焼酎『博多っ子』の蔵元さんである。今回はアポを取っていないので、出たとこ勝負だ。とにかく行ってみることに・・・。

前に立つと、蔵は閉まっているが、隣にある販売所は営業中だった。萩尾さんは製造と酒販兼業である。とにかく、車がせわしなく行き交う通りを渡って、向こう側へ。

上記画像などでも分かるが、大濠公園周辺は中心地・天神に近く、それを当て込んだマンションが林立する、“再開発”地帯だ。

回りを高層マンションに囲まれながらも、昔ながらの町のムードが蔵とともにそこだけ残っているかのような、そんな一角。 ここが蔵元さんではなかったら、見逃してしまったかもしれない。いまどんどん失われていく昭和の匂いのする風景がそこにあった。

店にいた女将さんと思しき女性に話を聞いた。

猛牛「粕取はよー出よるですか?」
女性「いいや。独得の臭いが有っとでしょうが? それが合わんみたいで、今はあんまり出んねぇ・・・」
猛牛「昔は、どげんやったですか?」
女性「そりゃ、粕取ばっかりやったけど、今ではもう、うちでも麦ばっかりですたい。あとは米やね」
猛牛「粕取は1ヶ月でどれくらい出ます?」

女性「ん・・・・。わからぁん・・・」
猛牛「この『博多っ子』ば、毎年作りよっとですか?」
女性「いいや、何年かに1回やねぇ。そげん出るもんやないけんねぇ」
猛牛「終売するとか、止めるとか考えられちょるとですかい?」
女性「それは考えてなかばい。お年寄りの人とかはやっぱりこれが良いちゅー人も居らっしゃるけんね」

ふと棚を見やると、25度と35度の同品があった。買うのはどちらにしようか迷っていると、goidaさんが35度をまじまじと見る。

goida「牛さん、これ、米ですよ。もろみ取り」
女性「うん。もう粕取は25度しか造っちょらんと・・・」

ひとまず終売の予定は無かったので、ほっとした。しかし、回転があまり良くない状態では、将来に不安は残る。 さて、わては購入することとしたが、goida隊員は給料日前のため、悩みに悩んでいた。

goida「すみません、5合瓶は無いですか?」
猛牛「よかったら、わてが建て替えても、よかばい? あとでよかけん」

ややしばらくして・・・

goida「すいません、一升瓶下さい!」
猛牛「goidaさん、大丈夫な? また彼女から怒られるばい(^_^;)」
goida「また来ようと思ったけど、やっぱりいま買います。見つからないように隠さないと・・・(*^^*)」

まさに粕取探偵道(粕取だけに限らないが)は厳しく、かつgoidaさんのような情熱が無ければ務まらないのだ。わてはその心意気に目頭が熱くなった。

帰り際、わてが「ほんと粕取ば、いまは少のうなったですけんね・・・」とつぶやくと、女性が応えた。わてが思っていたことが、そのまま返ってきた。

「ほんとうに“幻”になったんよ、粕取は・・・」

■いまは亡き『喊聲』の跡地を詣でる。

次ぎに向かったのは、「博多」という地名の大本・中洲川端である。博多山笠の聖地である『櫛田神社』が鎮座する川端商店街を歩いた。

川端商店街の真ん中あたりにあった酒屋さん。正調粕取はまったく無く、吟醸物を一種類置いていた。店にいたおばさんに『喊聲』や蔵元の柴田酒造さんについて聞くが、まったく知らないという。困ったにゃ~、場所がわからんじょ。

とにかく店を出て、キャナルシティの方向へと商店街を南下する。出口にあるのが、櫛田神社。山笠・追い山の最大の見せ場として有名な所である。

櫛田神社の鳥居前。その右手にあるこれまた有名な焼き餅屋さんで、買って食べる。甘い物が嫌いなgoidaさんも果敢に挑戦(^_^;)。所在地について同店の大将に聞いてみた。

猛牛「すんまっしぇんばってん、この近くに造り酒屋さんがあったと思うとですが、どこか知らんですか?」
大将「あーあ、柴田さんやろ? 柴田さんは、隣りのダイエーの横にある、セブンイレブンが1階に入っとるビルに有ったったい。辞めて大きなビルば建てられんしゃったと」

場所は判った。しかし跡地に詣でる前に、櫛田神社に詣でる。

山笠に関わる博多んもんにとっては、まさに聖地だ。あの山笠については、追い山馴らしをカブリ付きで見た横浜焼酎委員会のいでさんが、感動していた。

北九州生まれのわてでは、縁故もなく桟敷では見れない。しかしテレビで見ても熱くなれる祭りである。

『喊聲』を醸造していた柴田酒造さんがあった場所は、キャナルシティの隣りにあるダイエーの、そのまた隣り。これまた有名なうどん屋『かろのうろん』の対面だ。

見上げるとけっこう大きなビルである。外壁に年期を重ねたであろう色が染み込んでいる。 ビルの周辺をぐるりと回ってみるが、かつて蔵元だった痕跡はほとんど無い。ただ、三角屋根の蔵風の建物が敷地の横に残っていた。

1階のセブンイレブンを覗く。酒売場を見ると、同社の清酒が少し並んでいる。蔵としての誇りから、やはり残していたのだろうか。それとも桶買いなのか? 

謎は謎として、先を急ぐことにした。

■西公園周辺は、ああ~、粕取全滅の並木道。

goidaさんの希望で、中洲から西に戻り、西公園参道周辺の酒屋さんを回る。

大濠公園から西公園へと向かう参道沿いの酒屋さん3軒に飛び込む。

しかし、粕取焼酎は影も形も見えず。かつてはあったらしいが、もう仕入れなくなって久しいという店ばかりだった。

粕取が無かったとは言え、店構えは大きいがフツーの品揃えだったり、逆に狭い店ながらも特化しようとしていたり、隣接した競合三店の三様のあり方が見えて興味深かった。

■西新周辺にも、粕取の匂いはせず・・・。

西公園からさらに西へ。今川橋というところにある『酒屋りゅう』さんに顔を出してみた。goida隊員は初見参のお店である。

この店も有名で、蔵元さんたちの信頼も厚いと聞いている。前回わてが伺った時は、粕取好きの大将からいろんな情報を得たが、当日は大将が不在。残念!

次は西新の郵便局に近いある酒販店さん。「ここも気になって一度覗いてみたいとは思っていたんですよ。でも・・・・、この外観のムードだと、粕取は無いでしょうね」とgoidaさん。店に入ってみるとなかなかの品揃えだが、粕取は無し!

それにしても、goidaさんも色んな場所に目星を付けているもんだと、感心した。

■「いいから持って行け」、と酒屋の大将は言った。

次ぎに向かったのは早良区にある某酒屋さん。ここはgoidaさんが以前『武家屋敷』のデッドストックを見つけた場所だ。一度覗いてみませんかと、わてを案内してくれた。

中に入るが、取り立てて品揃えは豊富ではない。いや、それどころか店頭在庫も少なく、店全体がスカスカな印象で、プライスカードさえもほとんど無い。まるで商売のやる気が消えているという感。

goida「大将、どうも^^」
大将「おお。久しぶりだねぇ。いらっしゃい」

goida「ところで大将、粕取は置いてますか?」
大将「いや、もともと置いてないんだよね。あまり飲まれなくなったし・・・。それよりも、もう商売を徐々に辞めていくつもりでねぇ」
goida「え・・・、辞められるとですか」
大将「今度の9月には酒販も自由になるやろう? その時になったら大手のディスカウンターなんかには敵わんからねぇ。いまの内に仕入れを少なくして、在庫を売り切ろうと思うちょると。回りからは変わりもんとか、もう一回精出してみればって言われるけど。もうキリの良いところで止めんと、投資しても後が大変やけんな」
goida「そうですか・・・」

大将「僕ももう70歳やし」
二人「え??ほんとに?!(実際に大将はお若く見える)」
大将「うん。もう引き時かなぁとね。そうそう、小学生の孫が遊びに来たときに言われるったいねぇ、『おじいちゃんの店、誰も来ない』って。ははは。とにかくある分を売り切っていって辞めようかと思うと。だいたい酒屋の仕入値よりディスカウンターの売値の方が安いんだよ。もう、入れる数量が違うからねぇ。太刀打ちできんったい。後ろにワインセラーがあるやろ? いままで色々頑張ってみたけど、これ以上はもう止めた方がいいかなとね」
猛牛「確かに、コンビニになるか、焼酎とか品揃えに特化するか、どっちかけんねぇ」
大将「焼酎頑張ってる店は、それまでずっと努力してるんよね。蔵とかと長い付き合いして・・・。後から追っかけようったって、もう間に合わんったい(^_^)」

店の奧の棚に『奧高千穂』などの古い徳利物が並んでいるのを、goidaさんが目に留めて、

goida「これって、相当古いですよね?」
大将「ああ。昔は凝ってね。飲まずにいろいろと並べとったと。でも、辞めるって踏ん切りが付いた時に全部飲んでしもうた(^_^;)」

粕取焼酎にすこし話を転じて、

猛牛「この辺りでも、粕取はよー飲まれよったんでしょ?」
大将「ああ。昔は“早苗饗(さなぶり)”て言うて、農家では田植えの後に砂糖を入れて飲みよったよ。僕は早良区の奧の出身やけど、あの頃は農家の女の人達が10人くらいで組んで、周りの農家を回るったい。田植えのアルバイトやな。それでそれぞれの行き先で田植えが終わったら、さなぶりがありよったなぁ」
猛牛「それって、いつ頃の話ですか?」
大将「僕が旧制中学、旧制たい。ははは。その頃やな」

さて、わては、以前goidaさんが買ったデッドストックの『武家屋敷』に目を向けた。その横に球磨焼酎の『福の神』(房の露製・麦)があった。二つを持ち上げて、大将に「これ、なんぼですか?(幾らですか?)」と問うと・・・、

大将「持って行け」
猛牛「はあ??」
大将「いいから、持って行け。2本ともやる!」
猛牛「そ、そげん言われても、タダちゅーわけにはいかんですばい!」
大将「よかとよ。もう店は辞めるつもりやけん。気にせんで持っていけばいい」
猛牛「じゃぁ、2本で、1本分は出しますけん、幾らですか?」
大将「じゃぁ、100円でいい!」
猛牛「いやぁ、100円ちゅーわけには・・・。じゃあ、1000円でどげんですか?」
大将「じゃぁ、1本100円で、200円たい!」
猛牛「それは、困りますばい・・・」

goidaさんと店を後にする。車の後部座席には、2本の『武家屋敷』と1本の『福の神』が載っていた。飲兵衛としての面はゆさと、それとは裏腹な淋しくかつ悲しい感情が混ざり合って、揺れていた。

猛牛「goidaさん。2本目の『武家屋敷』ば買うて、どげんして部屋に隠すとな?(爆)」
goida「どうしようかなぁ・・・。帰ってから考えますぅ!(^◇^;)」

■姪浜エリアも、沈黙の粕取。しかし、最後の最後に・・・。

最後に、goidaさんが以前から目星を付けていた姪浜駅北側、旧唐津街道沿いの古い商店街の中を探索する。江戸時代に唐津街道として栄えた宿場であり、昔の土蔵づくりの家並みも少し残っている。しかし、地下鉄姪浜駅から南側での商業開発が急速に進んだため、現在ではすこし寂れた旧繁華街となってしまった。

というわけで、最初の店で聞いてみるも、粕取は無し。昔はどんな銘柄を置いていたか伺うと『香露』と『マルゼン(?)』ということだった。

今回の調査行、最後は姪浜駅北口のすぐ側にある『エスポア・フカマチ』さん。goidaさんが『銀嶺』の量り売りを目撃した店である。

粕取の量り売りだなんて珍しいにゃ~と、覗いてみることにした。前にもこの店にはお邪魔したことがあったが、気づいていなかった。

この店も品揃えには注力している。駅近くでも2軒、すこし足を伸ばせば計4軒のディスカウンターが競合している激戦区である。ディスプレイにしても気を遣っているのがわかる。

おっと!あった!『銀嶺』の甕が!

さっそくわては、300mlの瓶に詰めもらう。一升瓶は前々回の調査行で入手していたが、さすがに封が切れない。試飲にはちょうどいい。やっぱり誘惑に負けてgoidaさんも同じ瓶を頼んだ(爆)

店の女性の方(女将さん?)に、なぜ『銀嶺』を置いているのか、珍しいですねと聞いてみた、ところが。

女性「実は、1年ちょっと前ですけど、福岡で粕取焼酎ブームがあったんですよ。粕取というとお年寄りが飲まれることが多いでしょ? でも、若い人達が新しいものとしてよく買って行かれたんです。“かすとりしょうちゅう”て言葉をまず知らないじゃないですか、若い方って。それでなんか新鮮だったみたいですね。でも、すぐに終わったみたいですねぇ」

わてはまったく知らなかった。一体どういう経路でその人達は粕取を知ったのだろう。先駆者が居たとは・・・う~~む。その件にとても関心が湧いたが、ま、それにしてもすぐに終わったとはね・・・ふぁ~(~Q~;)。

そう。まだまだ、道は長いのであ~~る(爆笑)

◇   ◇   ◇

goidaさん個人で、東区箱崎周辺で5軒と西区姪浜周辺で2軒。両名で当日追加で回った11軒を加えて、計18軒の酒販店さんを探索した。

その結果、2店の店頭化店が判明したのだった。
探索店でのトータルな店頭化率は、約11%である。

(了)


■2022年追記:この時は、もう酒屋を廃業すると決めた大将のことに尽きますね。一升瓶をタダで持ってけってんですから。ハイそーですかと貰っていくわけにはいかない。その諦観に気圧されて、ねえ。なんとも言えませんでした。結局200円を払ったんですけど。
大店法のことといい、個人商店潰しが国策として推し進められ、巨大商業資本に生活の生命線を握られることになった・・・なんて、いま某異音なる巨大量販チェーンに和音で身を委ねて糊口を凌ぐ私が、偉そうには言えませんな(嗤

それと、西区姪浜で現在も営業している「フカマチ」さんで買った『銀嶺』、いまも保存してるんです。買った時点からでも20年貯蔵。ただ、量り売りの徳利にコルク栓のまま押し入れの奥に入れていたので、天使が酒精を全部chuと吸ったかも知れない。たぶんこの地上に遺った最後の『銀嶺』田と思う。

さあ、佐賀、福岡市都市圏と巡った酒屋さん、20年後のいまどれだけ残っているのか。福岡市内の多くは、コンビニに化けたかマンション開発で消えたでしょうね。


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