或る「糸島の醤油蔵」伝 カノオ醤油(7) 稗田社長、生存圏と『糀しょうゆ』について語る
■広範囲に及んでいた販売エリア。
私:1909年の調査資料によると、醤油の自家醸造について全国の中でも九州、特に鹿児島・熊本・福岡の順に多く、全体の4割、多いところで6割の世帯で行われていたといいます。ところで私は福岡市早良区にある元は兼業農家だった家内の実家に住んでます。実は今日家を出発するときに、80歳を過ぎた義理の母がちょうど庭に出てきたので尋ねてみたんですね、味噌を作っていたことは以前聞きましたが醤油も造っていたんですか?、と。そしたら義母が「私が嫁に来た(1963年)以前は醤油も造っていた。温度管理が難しかったと聞いた」と言うんです。福岡の自家醸造の多さを改めて思い知らされたんですが、そういった時代にカノオ醤油さんはどういったところで販売されていたのか、販売先とかですね、それについて伝聞やご記憶はございますか?
社長:「あの・・・ほとんど、なんですかね、要するに各所に取り次ぎ店みたいなところを作ってですね、そこに樽で運んでですね、その取り次ぎ店にその周囲の人たちが買いに来るという感じですね」
二人:はい。
社長:「だから当時はスーパーとかじゃなくて、普通の米屋さんとかね、そういうところに」
二人:なるほど。
社長:「そうそう、浜崎にそういうとこが2軒あって、それは私が配達に行きよったなあ。取り次ぎ店にまとめて卸して、そのお店から地元のお客さんに販売してもらう、配達してもらうという流れ。うちが直接、たとえば個人のとこに持っていくというのは無かったです」
私:取り次ぎ店のエリアといいますか、所在地はどんなところが?
社長:「えーとですね、鳥栖とか、佐賀県がけっこう多かったね。遠いところでいくと、北九州市の折尾とか。折尾は私も配達に行ってましたもんね」
私:折尾ですか・・・佐賀県でいくと、佐賀市内とか、北の唐津とかは?
社長:「そうそう、佐賀でいえば、唐津も多かったね」
私:販売エリアは実に広かったんですね。
社長:「北九州市周辺でいけば、直方もありました。昔はね、取り次ぎがいっぱいあった」
私:チャネルといえば、加布里港からの積み出しみたいなことは、社長のご記憶に何かございますか?
社長:「いやぁ、その辺は私はあんまり聞いてないねえ」
◇ ◇ ◇
特約店制度を採用して、東は北九州市折尾や直方市、西は唐津、南は鳥栖まで、販売エリアが広域に渡っていたことがわかった。私は北九州市八幡の生まれなのだが、折尾でもカノオ醤油が販売されていたとは驚いた。
社長のお話を伺って、前述した『福岡県史 通史編 近代産業経済・一』の一節が思い出される。
■『まろやか糀しょうゆ』に謳う「追仕込」ついて。
ここからは本題とはズレるが、カノオ醤油の商品に『まろやか糀しょうゆ(追仕込)』というものがあって、これについて聞いてみたいと思っていた。本醸造、しかも福岡県産の丸大豆・小麦で仕込んだ諸味に福岡県産米麹をさらに追仕込したという贅沢な造りなのだが、この”追仕込”という言葉が気になっていたのだ。
『福岡県史 通史編・近代産業経済・一』の「第三節 醤油醸造業」に下記の様な記述がある。
北部九州の特徴的な醤油とされる「再仕込醤油」と「追仕込」の『まろやか糀しょうゆ』はどう違うのか?
◇ ◇ ◇
私:先日、カノオ醤油さんの『まろやか糀しょうゆ』を伊都菜彩で買ったんですが、”追仕込”とあります。サイトを拝見すると「全国で初めての高級甘口本醸造丸大豆醤油」という言葉がありました。それで今回調べた醤油関係の資料の中に北部九州の特徴的な醤油として「再仕込醤油」というのがあると知ったんです。この”追仕込”と”再仕込”は同じものなんでしょうか、それとも違いがあるんでしょうか?
社長:「まあ、一緒と言えば一緒なんですけど。えーとですね、再仕込醤油というのはご存じの通り、1回その、諸味が出来て搾りますよね、諸味を搾って醤油の元が出来るんですけど、それにもう1回醤油麹(蒸大豆+破砕させた炒り小麦+麹菌)を投げ込む、だから、再仕込みと言うんです。」
二人:はい。
社長:「うちの場合は、”米麹”を投げ込むんですね。だから、まあ、再仕込といえば再仕込なんですけど、厳密に言うと古くからの再仕込の定義には合わない、それで組合の方からアドバイスいただいて、”追仕込”としたらどうかと。だから追仕込と言うとるわけです」
私:そういう意味で、全国で初めての取り組みと言えるわけですね。
カネさん:ちなみに再仕込の場合は醤油麹を入れるわけですよね。それで「追仕込」の場合は米麹を入れるので、その分糖分が高くなりますよね。
社長:「そうです。米麹を入れることで甘味を引き立てるということです。ただ甘酒みたいには甘くならないんですよ。なんでかと言うと、塩分があるから。塩分がやっぱり酵素の力を押さえつけるんです。私のイメージとしては、米麹の糖分で甘酒みたいに甘くなるっちゃないかいなと思って、自分のイメージの中では甘くなると思ったんだけど、やっぱりね、塩の作用があるもんやから・・・」
二人:はい。
社長:「そして、やってみれば良かったとやけど、1回70度くらいに温度上げてみると違うらしいんですよね。甘酒も60度くらい上げるでしょ。甘酒は12時間60度で保存するんですよ、そうせんと甘くならないでしょ。追仕込醤油も60度に上げるとまだ甘くなるかもしれないと思ってます」
私:あのぉ、私、実は一昨日”利き醤油”をやってみたんですよ。家内の実家で使っている『ヤマタカ木星』とカノオさんの『うまくち』『うすくち』、それと『糀しょうゆ』の4本でですね。
カネさん:(笑)
私:それで、試してみると、4銘柄での相対評価ではありますけど、意外と『糀しょうゆ』はドライな感じがしたんです。
社長:「んーん、確かにあっさりはしてるものね」
私:『糀しょうゆ』は、ラベルに書いてますけど、刺身にぴったり合いますね、白身なんかに合う印象です。
社長:「だから、農大出たうちの息子の代になったら、1回そうしてみたらどうかという風には言うてます。絞る前に1回ね。ただ、温度掛けは結構難しいからね。やってみると、米麹の酵素が働いて、もう少し甘みが出るかも知れん、とは思ってます」
私:醤油の世界では「一麹、二櫂、三火入れ」と言われますが、今のお話は火入れのことですね。
社長:「そうです。60度から70度くらいに上げて、1時間か2時間くらい置いとく。それでやってみたらどうやろかねと思うとる。だから私が、これを何回か造り始めた当時はですね、桶にね、ホカホカカーペットば巻いてやったことがあるんですよ。」
二人:ほぉ〜。
社長:「そうすると若干違うけど、まあ、いろいろあって、やっぱり止めとこうとなってます。中は温まるけど、上空の空気まで温もるからカビが生えたりしたんでね。やっぱり止めようと。だけん、焚いたが良いごたあるですね、焚いた方が良いみたい、どうも」
◇ ◇ ◇
私は社長の話を伺いながら、現在”香り焼酎”で業界を席巻する鹿児島は国分酒造さんの焼酎『いも麹芋』のことを思い出していた。
確かに、私も『いも麹芋』を初めて飲んだとき、より芋臭いだろうという先入観があったが、意外にもスッキリとシャープな風味だったので驚いた想い出がある。
しかし、『いも麹芋』は国分酒造さんのイノベーターとしての原点となった。『まろやか糀しょうゆ』が東京農業大学を卒業されたご子息の代となって革新の起点になるのではないか、とそんな気がしている。
■2022年7月16日追記:国立国会図書館デジタルコレクションで資料を調べていたら、1927年(昭和2)に福岡県が出版した『福岡県名勝人物誌』なる一冊に加布里港のことが記載されていた。
加布里港が九州西回りの廻船の寄港地だったことは間違いないようだ。東屋政右衛門は加布里港という地の利を得て、港から製品を出荷して財を為したことはまず間違い無いと思われる。
(8)に続く。
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