なぜVCを辞め、幼児2人とインド移住、起業したのか
初めてのnote投稿にも関わらず、刺激的な釣りタイトルのようになってしまいました(笑)以前、FBで退職投稿をした際に、退職背景について、またの機会に綴りますということで、お伝えさせていただいた且つ、多方面から「なぜ収入も割と良くて、やりがいのありそうなVCを辞めて、幼児2人も携えてインドで起業するリスクを取るのか?」というご質問を頂く事が多く、折角の機会ですので、ここに書き残させていただきます。
以下の流れでお話しさせていただきます。
1. 生い立ち
私は、昨日7月10日に34歳になったどこにでもいる二児のパパでございます。今から34年前、広島で生を受け、約20年の時を過ごし、新卒で東京のコスメ系D2Cベンチャーに入社しました。
3年程、マーケティングの仕事に従事したのちに退職。それから、暗黒期を抜け、ひょんな流れで、TOEIC300点、インド未経験の状態で、インドで採用コンサルになりました。
その後、HRメガベンチャーに移り、インド事業責任者として、インド小会社の創業、経営後に、帰国。帰国後は、インドのデカコーンOYOの日本創業メンバーとして、事業開発、人事、PM等々に奔走した後、独立系ベンチャーキャピタルで、インドのスタートアップ投資、大企業CVCの立ち上げに従事。
今年3月末に退職と同時に、インド渡航し、現地で法人設立。6月中旬にインドのシリコンバレーと評されるバンガロールに家族で移住。現在は、web3、メタバース領域のスタートアップ様の経営企画、事業開発、資金調達系のお手伝いをさせていただきつつ、web3のプロジェクトを立ち上げるべく、現地のエコシステムに飛び込んでおります。
ご覧の通り、現地人もびっくりのインド色の強いジョブホッパーでございます。
2.病気の発覚
なぜ、これだけキャリアに落ち着きがないのか。急に話は、10年以上前に遡り、重たくなりますが、20歳の際、鼻炎の手術で入院した際に、医師から告げられます。
それから、さほど病気のことは気に留めず、12年の月日が経ち、2021年の2月。定期検診で病院に訪れたところ、突如医師に告げられます。
正直なところ、この病気に関しては、数十年程度の時を経て、徐々に進行するものと伝えられていたこともあり、突然の宣告に、診察後、病院の出口で涙がこぼれたのを覚えてます。急遽、会社に無理を言って、入院させていただくことになりました。
3.入院
治療薬は、サムスカという利尿薬。心不全や肝硬変の患者に対して、水分を排出するお薬として使われており、自身の病気である多発性嚢胞腎の病気の進行を遅らせる効果も期待されています。
利尿薬ということもあり、とにかく小便の頻度が尋常ではないです(笑)元々頻尿だった自身にとっては、中々辛いものであり、小便が大量に出る分、脱水症状を引き起こしやすく、大量の水分摂取が要求されます。
水分摂取量は、1日7リットル程度というモデル顔負けの量で、トイレの回数は日中10-20回程度、夜間2回程度頻度という頻度です。(良く大きなペットボトルで水を持ち歩いたり、頻繁にトイレに立つので驚かれたりしますが、そのような事情でございます笑)入院中は、ひたすら水を飲み、ひたすら小便に行き、問題なく薬が作用しているかを測るという苦行です。
今後の行く末を心配して、医師に相談したところ、追い討ちをかけるように告げられます。
自身にとっては、想像していなかった時間軸であり、今でも病室の天井をぼんやり眺めながら、恐怖と悲しみに暮れていたのを覚えています。
4.闘病生活
退院後からは服薬しながらの職場復帰。おかげさまで職場の方々の深い理解とコロナ禍ということもあり、リモートワークを中心に、病気のある生活と仕事のバランスを取り始めていきます。
ただ、今だから、言えることですが、30分間に1度のペースで押し寄せる尿意と格闘しながら、1時間のミーティングを行うのは、中々辛いものでした。(今なお、苦労しますが笑)
そして、当初予定していたインド駐在の話も、コロナ禍、病気が落ち着くまではということで、当面延期の方向となり、今後の人生、キャリアの方向性に暗雲が立ち込めます。
5. キャリアデザインプログラムへの参加
そんなモヤモヤを抱えている中で、ある投稿を拝見します。人事、キャリアデザインのプロであるユースケさんの投稿。
これは!とビビッとくるものがあり、早速ユースケさんにメッセージ。既に定員オーバーでしたが、ご厚意で滑り込み参加させていただけることに。(ユースケさん、まっさんを筆頭にメンバーの皆様、寛大な心で受け入れてくださり、本当に有難うございます)
プログラムのネタバレにならないように、ざっくりお伝えすると、人生、キャリアにモヤモヤを抱える仲間たちと共に、3ヶ月間を通して、「徹底的に自身と向き合い、本当に描きたい理想的な未来を描き出すという自己探索の旅」
前章でお伝えしたとおり、医師から突如10年後以降の命の保証がないと告げられ、日数にして、3,650日のうちの1日を何に使いたいのかを深く考えるようになりました。
そして、お母さんから旧友、昔の同僚、新興国で活躍する起業家、お坊さんまで、自分の人生形成に多大な影響を与えてくださった方、在りたい姿に近しい方を中心に、20名以上の方にインタビューをさせていただき、根底で大事にしたい価値観、描きたい未来像を明らかにしていきました。
(当時、インタビューにご協力いただいた皆様、ありがとうございます)
色々な方々と対話し、自己対話を重ねる上で、見えてきたもの。それは、悲しみ、孤独、恐怖、もどかしさを感じ暗いところにいる人を明るいところへ転じる、エンパワーするということに心血を注ぎたい。
3ヶ月間の間で、自身のルーツであるインド独立の父であるガンジーの言葉にも背中を押されました。動こう。
そして、具体的に何をしようかと想い巡らせた際に、自然と湧き上がってきたのが、「インドのシリコンバレーと呼ばれるバンガロールで、起業しよう」この想いに至った理由には、以下の3つから来てます。
1.インドスタートアップエコシステムの魅力
2021年に新たにユニコーンとなったインド企業は42社。12社だった20年と比べて3.5倍と一気に伸びており、勢いは止まることを知りません。また、昨年7月、インドスタートアップが、VCから調達した資金額は、約80億ドルで、2013年以来、初めて中国(約50億ドル)を抜いてます。
今回詳述することは割愛しますが、ざっくり以下のような複数の因子が積層しており、今後も成長が期待されております。
① 資金
米中の対立構造によるリスクマネーがインドにシフトしている。インド政府としても、大学へのインキュベーション施設への資金投下、成功した起業家、実業家のエンジェルネットワークの強固さも後押しとなり、潤沢なリスクマネーが用意されています。
②起業家
米国シリコンバレー帰りの実績豊富な起業家、シリアルアントレプレナー、ユニコーン創業期の経験者等、優秀な起業家が増えています。
③市場機会
今までユニコーン企業の領域の大部分を占めていたEC、フィンテックの領域以外でも、建設、物流等の重厚長大産業におけるバーティカルSaaS、都市レベルによる医療、教育の格差等、根深い課題は今尚現存しています。
2.日本人起業家の存在感
シリコンバレーには、Fondの福山さん、Provedの小林Kiyoさんを筆頭に、日本人起業家が挑戦する土台がある程度整備されてます。一方、市場ポテンシャルは、十二分にあるけれど、食事、気候、治安、医療等のライフインフラに対する先天的バイアスもあってか、インドで、急成長を志向するスタートアップモデルで起業する方は、まだ少ないのが現状です。
野茂英雄さん、メルカリがグローバルへの道を拓いたように、ひとつの選択肢として、インドでの起業、事業立ち上げも視野に入れていただきたい。
2015年から現地に渡り、法人創業、エンジニア採用、インドデカコーン企業の日本創業、インドスタートアップ投資等、多種多様なインドの方と多方面でご一緒させていただき、インドという国と約7年間のお付き合いになる自身が、起業家として、道を切り拓くことにより、後世の挑戦ハードルを下げ、成功確度を高めるサンドボックス的存在となりたいという想いが沸々と湧いてきた部分もあります。
3.息子達へのバトン
もしも、仮に、自身が志半ばで倒れたら、自身はこの子達に何を遺せるのだろうか? 残念ながら、今の所、金銭資産は残せそうにないですが(笑)、経験資産だけは遺せるかもしれない。
好奇心の塊で、邪気が無い多感な今の時期だから、吸収できる部分がある。そして、彼らの世代が将来の日本を率いていくことになる。彼らが社会デビューするときに、要求されるマインド、ポータブルスキルは何だろう?という問いに立ち返りました。
少なくとも、『アントレプレナーシップ、異文化適応力、自己内観力』は要求されるのではないか。となると、インドの初等教育、現地の異文化環境に触れることにより、醸成されるマインド、スキルをギフトとして贈りたい。
自らが、26歳位から、英語、異国、異文化ビジネスを学び始めて苦労している部分もあり、同じ想いを次世代に残したくない。そんな想いが湧き上がってきました。
6.退職決意
ベンチャーキャピタリストとして、微力ながら、投資先企業様に対する価値貢献について、自分なりの方向性が見えてきた矢先であり、素晴らしい上司、チームメンバーに恵まれていた為、普段は、直観的に動く自分も、さすがに悩みました。
ただ、仮に残りの人生が10年(3,650日)と考えた際に、ハイリスクハイリターンで、大きく空振り三振するかもしれないが、自分にしか描けない未来を描くべく、バッターボックスに立ちたいという想いに駆られ、退職を決意しました。
7.インド渡航
キャリアデザイン修了後、約9ヶ月の時を経て、紆余曲折ありましたが、無事法人登記、住まいが確定し、6月中旬にインドバンガロールに渡航しました。
マットレスひとつからのスタートでしたが、渡印後、1週間後にオープンしたIKEAのお陰もあり、徐々に生活アイテムをゲットしながら、生活感を増しております。
また、息子達が、言語、食事面、遊びの環境等で、どのように現地適応するのか、不安でしたが、取り越し苦労でした(笑)現地のサマースクールに通いながら、近所のお友達とも日々戯れさせていただき、最短最速で適応しております。
バンガロール市民の皆様には、大変可愛がっていただき、助けられております。未開の地で突っ込んでいく精神は、若干遺伝されていたようで何よりです(笑)
垂直立ち上げ的に、日々の暮らし、仕事に集中できる環境を整備できているのも、3年間現地で暮らし、インドライフの知恵を体得している妻のお陰です。この場を借りて、お礼申し上げます。
8.今後について
自分が挑戦する領域は、巷で噂となっているweb3.0。自分の志、何を成し遂げたいのかと想い返した際、「和製ガンディーとして、一人でも多くの人生を明るく照らしたい、エンパワーしたい」という想いが湧き上がりました。
その志を達成していく手段として、web3.0の中に内含されているブロックチェーン、クリプトは、今まで報われていなかった方々に光を当てる上で、有効打になるのではという背景で捉えております。
今年の3月頃から、学び始めており、まだまだ分からない事だらけですが、少しずつ現地のweb3.0コミュニティにダイブしながら、皆様から学習させていただいております。
web2.0同様、web3.0のインドスタートアップエコシステムも大変な盛り上がりを見せております。何より、コミュニティ参加者は、10代、20代前半のデベロッパーを中心としており、インド特有の開発、エンジニアリング力を活かして、今後も数々のプロジェクトが立ち上がることが想起されます。
自身としては、まずは、現存している課題をベースに、web3プロジェクトとして、やる意義、意味を感じられる領域が出てきたら、エンジニアのパートナーを見つけて、立ち上げようと思案しております。
9.最後に
先週は、ビズリーチの代表の急死、安倍元首相の暗殺等、本当に心が痛む悲しいニュースが出てきました。志高く、日本を盛り上げようとしている方々が、このような形で志半ばで、この世を去られ、悲しくてやりきれないです。
日印関係良好化に尽力された安倍首相の功績は計り知れず、多くのインド人の友人、知人から、悲しみの声をいただいてます。
残された者として、また、偶然にも数奇な病気に見舞われ、死生観を強く感じさせていただける環境に置かれた者の役割として、どう貢献するのか。
今回、10年(3,650日)という有限性を意識させていただくイベントがありましたが、人は本当にいつ死ぬか分からない(0〜3,650日の揺らぎを感じながら、生きている)ことは忘れず、少しでも、日本社会に貢献させていただけるように日々精進します。
最後に、インド(バンガロール)にお越しの際は、ぜひお気軽にDMでお声掛けくださいませ。長文お読みいただき、有難うございました。落ち着きのない人生ですが、今後とも仲良くして頂けると嬉しいです。
追伸:
安倍元首相のスピーチです。大事なことは失敗から立ち上がること。諦めない精神で、愚直、地道に生きて参ります。
追伸2:
PIVOTという動画経済メディアのMEGURUさんに、インド当地で、過去の漆黒歴史から起業に至るまでをインタビュー頂きました。ご笑覧頂けると幸いです🙏🇮🇳