この世界は悪夢か現実か?★新国立劇場オペラ「アルマゲドンの夢」
電車に揺られるうちに眠ってしまい、ハッと目覚めた瞬間、この世界が現実でよかったと思うのか、まだ夢の続きであってほしいと思うのか――。そもそも21世紀のこの世界は、かつて人々が思い描いたユートピア(理想郷)なのか、ディストピア(暗黒世界)なのか。そんな問い掛けを発するオペラが、今日の世界の社会状況を見渡したとき、より一層シリアスに響いた。
チラシから
イギリスのSF作家H.G.ウェルズが1901年に書いたSF短編小説『世界最終戦争の夢』を題材として、藤倉大(ふじくら・だい)が作曲を手掛けた新作オペラ「アルマゲドンの夢」が、新国立劇場オペラパレス(東京・初台)で上演された(世界初演、2020年11月15日~23日)。新国立劇場オペラ部門の芸術監督・大野和士(おおの・かずし)が「日本人作曲家への創作委嘱(いしょく)シリーズ」第2弾として、イギリスを拠点に活躍する作曲家・藤倉大に創作を委嘱した。
20世紀の戦争を予見したSFを脚色
H.G.ウェルズ(1866~1946)は、1890年代から1910年代にかけて、『タイム・マシン』『透明人間』『宇宙戦争』などのSF小説を発表したSF作家。『宇宙戦争』では地球に来襲するも細菌にやられる火星人を登場させ、『解放された世界』では核爆弾の開発を予見した。さらにウェルズの思い描いたユートピアは、日本国憲法の平和主義にも影響を与えた。作家のたくましい想像力は、遠からず未来の世界を見通していた。
1901年に書かれた『世界最終戦争の夢(原題:A Dream of Armageddon)』では、その後の第二次世界大戦までも予見するかのように、全体主義に傾いていく社会風潮や、科学技術の発展がもたらす大量殺戮(さつりく)兵器への不安が描かれている。
チラシから
このSF小説をもとに、作曲家・藤倉大は、イギリス人台本作家ハリー・ロスに原作を脚色した台本(英語)を書いてもらい、自らは音楽を作曲。物語を、21世紀の現代社会における脅威に読み替えるような大胆な発想でオペラ化した。アメリカの女性演出家リディア・シュタイアーが演出し、驚異の舞台を創出した。大野和士が指揮、東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団。
https://www.youtube.com/watch?v=uw80ELOTErY
新国立劇場オペラ『アルマゲドンの夢』より(2020年11月)A Dream of Armageddon- New National Theatre Tokyo, 2020
新国立劇場 New National Theatre Tokyo
大都市に向かう電車の中、クーパー(ピーター・タンジッツ:テノール歌手)という男が、同じ車両に乗っていた若い税理士(セス・カリコ:バリトン)に話し掛け、”自分は夢の中で別の人生を生きていて、そして死んだ”と語り始める。
夢の中でクーパーは、美しい妻ベラ(ジェシカ・アゾーディ:ソプラノ)と、幸せな新婚生活を送っていたという。だが、人々の恐怖心や憎悪を煽(あお)る政治家ジョンソン(セス・カリコ/一人二役)の一派が現れ、次第に大衆を取り込んで独裁者のように君臨し、軍備を増強して戦争の準備を始める。クーパーは、そんな政治状況からは目をそらすかのように、妻ベラと愛の生活にふけっていた。
妻ベラは、戦争を阻止するために立ち上がろうと呼び掛けるが、なだめるクーパー。そのうちに戦争は始まり、戦火に巻き込まれた妻ベラは命を落とす。
現実から逃げないヒロイン
原作と大きく異なるのは、妻ベラが危機的な状況に対して敢然と立ち向かう、ヒロインだということ(原作では無名の女性)。戦争へと突き進む社会の空気にいち早く危険性を察知し、自由を求めて戦おうとする。
オペラ作品の多くは根底に「愛」というテーマがあるが、ベラは、戦争が始まって自由が失われれば、愛を語ることすらできないことに気づいている。自由あっての愛なのだ。ソプラノの歌声は優しくも力強い。
一方、クーパーは、現実から目をそむけ、ベラとの愛の生活がいつまでも続くことを夢見ている。クーパーにとってのベラは、夢の中の美しい女性だが、ベラのほうが現実と向き合い、クーパーが夢の住人であるかのよう。
貝と泡の中にヴィーナスとともに閉じこもるように愛の世界に逃げ込むクーパーに対し、人間愛とも呼ぶべき広い愛のために立ち上がるベラの好対照であることが、今回のオペラ化において最も優れた台本・演出だと思った。
無関心を装う大衆
クーパーは、社会のよからぬ動きに脅威を感じつつも、自らに害が及ばない限り、無関心を装う。対岸の火事のように決め込み、やがて火の手が迫ってくるであろう”小さな幸福”にしがみつく。そんなクーパーこそが、大衆のほとんどの姿なのかもしれない。
そうした無関心が、ナチス・ドイツの台頭を許したことは、歴史の教訓である。経済的に豊かな暮らしが続く夢を見ていたドイツ市民は、日常に忍び寄る全体主義に気づかないか、知らぬふりをした。その身に危険が及んで初めて自由を叫ぼうとしても、もはや手遅れであった。
大衆迎合とメディア
ナチス・ドイツは、映画、新聞、ラジオといったメディアを巧みに利用し、都合のよい嘘を流したことでも知られる。ヒトラーは、カメラや大衆に向かって、大げさな手振り身振りで演説し、さも味方であるといったふりをして国民感情に訴えかけた。国民が不満を持つ社会問題に対して少数者の責任としてなすりつけ、分断と対立を煽ることで、国民の結束力を弱めさせてコントロールした。
今回の舞台では、テレビカメラの前で演説するジョンソンの背後に大型モニターがあり、その顔が大きく映し出される。大きな手振り身振りで、カメラの先の国民に向かって甘い言葉をかたる姿は、今日よくみられるポピュリズム(大衆迎合主義)の政治家をイメージさせる。
ジョンソンの脇には、ナチス・ドイツの宣伝相を思わせるインスペクター(加納悦子:メゾソプラノ)がついている。ダンスホールで歌手/裏切り者(望月哲也:テノール)が歌っている日常の光景が、感染したかのように全体主義に染まっていく。
ダンスホールに集う人たちは、ウサギの耳をつけたり、「不思議の国のアリス」を思わせる格子のカラフルな衣裳を着たり、初音ミクのような髪色だったりで、近未来か現代のコスプレイヤーのようで、どこかマンガっぽい。
本当の主役は一般市民?
そんな舞台が一変して、スターウォーズに登場する全身白づくめの歩兵のような姿の群集に席巻される。その手に銃を持った大勢の人々が、クーパーとベラが立ちすくむ舞台を埋め尽くしていく光景は、ぞっとさせる。それらの人々は、熱狂し、戦争へと駆り立てられる人々の姿であろう。
その顔には同じ仮面をかぶり、現代のインターネット社会の匿名性を象徴するかのよう。しかも、天使のような仮面で、普段は善良な市民が、集団になると暴力的になることへの皮肉か。見た目と同様にマンガのような展開が、いとも簡単にそそのかされる大衆の愚かな部分を印象付ける。
逆に言えば、大衆の一人一人が賢明な行動を取れば、愚かな政治指導者の台頭を防げるということである。そうした意味において、大衆を象徴する、コロスならぬ合唱団こそ、この舞台の本当の主役といえる。
だが、今回の舞台では、コーラス(合唱)が、冒頭の電車の場面で、電車が走る音を「diedie…」と繰り返す声で表現する。それはアウシュヴィッツ強制収容所行きの片道電車のように、死に向かう線路を暗示する。同じ電車に乗り合わせるというのは、同じ国家に所属することを意味し、降りることを許されない運命共同体である。
未来は一人一人に委ねられている
これは悪夢だったのか、列車の中で目を覚ましたクーパーの周りでは、乗客が倒れている。広島の原爆投下後の光景も想起させるが、それが夢か現実かは語られないまま、終幕を迎える。
「アルマゲドン(ハルマゲドン)」とは、「ヨハネ黙示録」に書かれた終末戦争が行われる場所である。終末思想を背景に、20世紀の終わりには人類の終焉のような予言が騒がれたが、そもそも西洋暦に基づくもので、19世紀末も世紀末だと騒がれていた。運命に囚われるのではなく、ベラのように声をあげる行動こそが未来を変えていくのだろう。
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