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女の恋は上書き保存、男の恋は名前を付けて保存 26


 急に優弥に後ろから抱きしめられたとき、理佐は少し驚いて贖おうと思った、そんなつもりはないのよとか、大人をからかうものじゃないわとか、いろんな言い訳が頭の中で逡巡したけど、なぜかしら一言も発することはできなかった。彼にこんな大胆な勇気があるのも驚きだった、優弥はそんな理佐の気持ちを無視するかのように、ゆっくりと理佐を包みこむように抱きしめていった、さっき急に優弥の頬を愛撫した、仕返しだとも思った。けれども彼の腕が徐々に自分を包んでいくのが、理佐にはすごく快かった。優弥のたくましい腕と海からの心地よい風が、まるでゆりかごの中にいるようなそんな安らかな気持ちにさせた。
彼の吐息が自分の顔で感じられるくらいになっても、理佐は言葉を一言も出さなかった、何も言わずに軽く目を閉じて波の音だけ聞いていた。優弥は自分の頬を理佐の頬に合わせると小さく短く吐息を吐いた、閉じた目の瞼の裏にはあの「青色」そして、波の音、それだけが今の理佐を支配するすべてのものだった。
何か言うのも大人げないような気がして、彼が自分をこうして抱きしめていたいのなら、そのまま身を任しているのが、さっきの優弥の質問の答えに、なるかもしれないとも思った、同時にそれが永遠に続いてもいいとさえも感じた、しばらくして、ゆっくりと彼の腕が理佐の体から離れていくとき、すうとあの「青色」が瞼から消えていくようなきがした、波の音だけがそこに残った。
気が付くと、優弥は理佐の少し先で背中を見せて、ズボンのポッケトに手を入れて海の方を見ていた、陽光で彼の白いシャツが眩しい。
初めて出会ってから、まだほんの数か月なのに、優弥の背中が随分大人びて見えた。
白い麻のシャツが、海からの風になびいて、船の帆のように膨らんでいる、シャツの袖から見えているあの日焼けした腕がさっきまで自分を包んでいたのかと思うと、少し不思議な気がした。どのくらい時間がたっただろうか、理佐はいつも海を見るたび、時間の概念は頭の中ら消え去ってしまう。
小さく、もう帰るわよ、と理佐が言って、戻りかけると、優弥は走ってついてきた、砂に足をとられながら、二人は道路わきのスロープまで戻ると、理佐はパンプスを脱いで素足に着いた砂を払おうとした、理佐が少しよろけると、優弥が黙って、理佐の体を支えるように理佐の腕をつかんだ、理佐も黙って彼の腕にすがり、足の砂をはらう、いつもならありがとうの一言を添えるのだけれども、何かしら少しそれも憚れるような気がして、理佐は優弥の方を向いて少し微笑んだ。優弥も微笑むだけで何も言わなかった。
車に戻り、エンジンをかける、日が眩しくなって、理佐は再びサングラスをかけた、二人ともかわす言葉が見つからなくて、低く静かに響くようなエンジンの音だけがふたりを包んだ、高速道路に乗って、理佐は時々、優弥の横顔をちらっと眺めた、優弥も日差しが眩しいのか、目をつむっているように見えた、それでも何か嬉しそうに外の景色を見ている。理佐にとって、そこはなにか柔らかいものに包まれているようなそんな空間に思えた。
帰る途中ハンドルを左に来る切るとき、理佐はふと今日は左指に指輪をしてこなかったことに気づいた。

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今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。

話はまだまだ、続きます・・・・・

長い物語で、恐縮ですが、コメントを残していただければ励みになります。



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