同じ人なのに〜インタビュー記事の不思議
こんにちは。
富田梨恵さんの興味深い記事を拝読し、内藤剛志さんのエッセイを読んだ時のことを思い出しました。
富田さんの記事はこちらです。とても学びのある記事です✨✨
よっこらしょっと。
話を内藤さんに戻します。
内藤剛志さんは「つよし」ではなく「たかし」です。←ここ大事!
科捜研の女シリーズでご存知の方も多いかと思いますが、かつて『家なき子』で主人公の安達祐実さんの毒親アル中を演じたことで一躍有名になった役者さんです。
お話もお上手ですしファンサービスも手厚い方ですが、エッセイも楽しい。かれこれ20年前かと思うのですが、内藤さんがエッセイの中で、インタビュー記事の不思議な点について語っておられました。
どのエッセイだったのか定かではありません。この3冊のうちの1冊だったように思います。
絶版になった本は中古でしか入手できないため、価格破壊が起きておりますが、それぞれ送料もかかるようですし古い本だから傷みもあるかと思います。ご購入される際は、注意書きをよくお読みになってご納得の上でお買い求めください。
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内藤さんは大阪生まれで、役に入っていない時はあっさりめの関西弁なのですが、何故かインタビュー記事だと東京弁のダンディな男性のような書かれ方をされたり、かと思えば、ご本人が話す以上のコテコテの関西弁でインタビュー記事が書かれてあって陽気なおっちゃん像が出来上がっていることがある、といったお話をエッセイの中で明かしておられました。
内藤さんは怒っているわけではなく、面白いよねーといった軽妙な語り口で話されていたように記憶しています。
内藤さんの、戸惑いながらもおおらかに受け止める懐の深さに、亡き母も「こういう人、すっきやわー」とファン熱が増していたのでした。
昨今は、インターネットのおかげでWEBメディアが発達し、ライターさんの個性をより感じるインタビュー記事を目にする機会が増え続けています。
インタビューする人と文章にして記事を仕上げる人が同じである場合と、それぞれ別である場合とで、私達読者が読む文章は大きく変わるのだろうと想像します。
紙媒体だと、そこに編集長の方の視点も入りますから、ご本人が思う人物像と微妙なズレが生じることもあるでしょう。しかしながら、それがかえって、ご本人の魅力を引きだすことに繋がって、更にファン層が厚くなるインタビューも多々あるのだとも思うのです。
一方で、一般人の大多数は芸能人や著名人と直接お話する機会はそう多くありません。そのため、他人の手による映像や文章に触れ、その結果として嫌悪感を持ってしまうことも残念ながら増えてきています。
そんな中、ご本人が執筆による連載を持っていたりラジオ番組を持っていたりすると、その後の読者の受け止め方はおおいに変わるのです。
ご本人発信であることから、人によってはいくばくか不器用でありながらも、その人特有の明確な意思や想いがよりクリアに感じられます。結果、他者の展開するメディアイメージとは印象がおおいに変わることもあります。
どんな業種であれ、外に向けて何かを発信する仕事をしている場合、キャリアを積み重ねていく過程で責任を持って発言が出来る人が成長している人なのだろうと感じます。言動が伴わない著名人の発信は、かえって市井の人に失望を大量生産してしまうものです。
たとえ文章が稚拙であっても、話す技量が不十分でも、自身のその時々に考えうる精一杯の言葉で責任を持って伝えることを続けている人は、今はまだ社会的に評価されていないとしても、立派にキャリアを重ねている人だと言えるはず。
時には他者に委ね、自らも発信しながら、長く時間がかかっても結果につなげていく。そうすれば、文章にした日々が報われるのではないか。
そう感じる毎日です。