詩小説『引越物語』㉑俺も手伝うき
目の前に落ちているのは、手のひらサイズの剥がれた木目のカケラ。
見上げれば無惨な姿のドアがあった。ご丁寧に観音開きのクローゼットのドアは、両方とも剥げていた。
心の中で凪は叫んだ。
どうすればこんな風になるのか誰か教えてください!!
「なっちゃんに、俺のお幼稚の時のアルバムを見せたかったきよ、あっこから出したがね。ほしたら…。」
かつて義妹の菜摘が暮らしていた部屋は、今では引越し準備のための段ボール部屋と化している。
少し発達障がいのある菜摘だが、部屋はとても綺麗に使ってくれていた。リフォーム費用を稼がなくても現状売却できると思っていたのだが…。
菜摘はコロナ禍ということもあり結婚式を挙げずに入籍し、義理家族との同居をスタートさせていた。
兄夫婦に長年養われていた菜摘。時々癇癪は起こしたが、部屋や家具を壊すようなことはなかった。
正雄の仕事は忙しい。休日であっても会社でトラブルがあれば電話がかかってくるし、パートさんが急にお休みをとることになれば子どものいる家庭人には代理出勤させずに、自らシフトを組み直し出勤することにしていた。
凪は、家で編集者やライターさんを手伝う下請けのようなことをしながら、義理の関係である菜摘と10年間暮らしてきた。
最初の頃こそ喧嘩もしたが、3年目位からは互いのパーソナルスペースを尊重することもできるようになった。
よく歌いよく笑う明るい菜摘に、常に曇天を背負っているような夫婦はどれだけ救われてきたことだろう。
時に凪は実家の妹より可愛いとさえ思った。年々よく会話するようになっていく義理姉妹を見て、正雄は安心して仕事に打ち込んできたのだった。
正雄はあと2年で60歳。そのタイミングで早期退職し、退職金を平屋の家を建てる費用に充てるつもりだ。
最近やっと仕事が増え忙しくしている凪一人に引越し準備をさせては悪い。そう考えて行動した夫・正雄は優しい人だ。
自分の持ち物くらいはと段ボールに詰め込み、結果、クローゼットのドアは壊れた。
あとで、凪に「いつの間に?こんなにたくさん荷造りしてくれてありがとう!」と言われることを想像しながら、5箱もダンボールに詰め込んでくれたのか…。有り難いと思いながらも、ドアの剥げてしまった些細なことで腹を立ててしまう自分自身に凪は涙が出そうになった。
正雄の説明では、ドアが勝手に壊れたかのような話だったが、力の加減ができない時は決まって仕事でのイライラがピークに達して余裕がない時だ。人手不足で疲れているうえ年齢も重なって、無理がきかなくなっているのだろう。
「このドア湿気でよ、なんかなっとったがやないろうか。それか、建て付けがわるうなったとか。なかなか開かんかったき。」
正雄の言い訳は本当に下手っぴいで、それを柔らかく受けとめることができない凪も成長するのを諦めた夏の朝顔のようだ。
「昨日わたしは普通に開けれたけどね。」
つい嫌味が出てしまい険悪になったが、慌てて凪は付け加えた。
「毎日めちゃくちゃ忙しいのに、こんなに荷造りしてくれてありがとう。」
平常心平常心と頭の中で唱えながら、にこやかな顔を作った。
ほんの少し、凪の中で朝顔の蔓が伸びていく。もっと葉が沢山ついて大きくなれば、引越のしんどさだって、なんとかなるはずだ。
悲しそうな正雄の顔を見て、10年前の引越しが思い出された。
あの時は、わたしがこんな顔してたっけ……。
続きのお話です。
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