わちこ(仮)
コ口ナは私から(推しの)仕事を奪い、友人達と遊ぶ機会を奪い、長年憧れていた「星のや竹富島」での宿泊機会を奪い、そして最後に自宅勤務を与えた。
自宅勤務もまた、長年の憧れであった。私は自宅とお昼寝が好きなので、ずっと家で仕事がしたかった。しかし、そのためには会社を辞め、独立する必要があったのだが、私には確定申告がわからぬ。企業に所属しても健康診断を受けるのはいつも最後で、精算も毎度つつかれてようやく思い出す始末。その他、なんか……税金とか保険とかもわからぬ。”昼寝ができない今”と“フリーランスになることの手間“を天秤にかけて、私は現状維持を選んだ(と言いながら弊社には仮眠室があったので眠くなったら普通に昼寝はしていた)。
それでも通勤は私にとって本当に苦痛だったので(なぜなら電車って人間社会の嫌な部分を煮凝りにしたような空間なので)、家で仕事していいよ!と言われたのはここ数年で一番嬉しいことだった。
今まで、始業開始は一応10時なのだが、家が遠いことを言い訳に11時に出勤していた。それが朝起きて仕事ができる効率の良さ。もちろん10時にメールのチェックもできる。眠くなったら横になれる。ウェブ会議がはじまる時間に起きても、何食わぬ顔で参加もできた。理想郷は、自宅にあったのかもしれないと思った。
しかし、自宅という環境は同時に油断を呼んだ。元々舐めやすい人間でありますので、おやつを食べすぎて1年で5,6キロ私が増えたし、独り言もひどくなった。仕事は自宅になったところで相変わらず辛く、無茶苦茶な注文が飛んできたときはあまり酷くされたくないという気持ちから、心が赤ちゃんになることを覚えた。「おぎゃあ!」と喚くと、家族が「どうしたの」と心配してくれる。私は図に乗った。家族が心配してくれたところで仕事は減らないし、注文を改めてもらえることもないのだが、構ってもらえたことが嬉しく、辛いことがあると幾度となく泣いた。
そんな生活が続いて3日程たつと、私が泣いても家族は反応してくれなくなってしまった。”慣れ”である。彼らにとっては私の口から出る「おぎゃあ」は単なる生活音となってしまったのだ。私はまだ赤ちゃんで居たかった。考えた私はターゲットを変えることにした。
さて、コ口ナ禍において、急激に距離が縮まったひとりの人間を紹介したい。仮に彼女を「わちこ」と呼ぶ。
彼女はある漫画を通じて知り合ったオタク友達兼相互フォロワーで、何度か遊びに行ったり、旅行に行ったりした経験があった。彼女がどう思っていたかはわからないが、元々「ウマが合うなぁ」と思っていた。もっと仲良くしたかったが、彼女も友人と遊んだり、舞台へ通ったり、新大久保や原宿に通ったりと忙しく、断られることが苦手な私はなかなか声をかけることができなかったのだ。
しかし、このご時世はチャンスだった。
早速「今何していますか」と声をかけると「家にいます」と返ってくる。「通話しませんか」と誘うと「いいですよ」と返ってきた。時間さえあえば、彼女は基本断らないことを私は知っていたのだ……。
私は毎週わちこさんを通話に誘い、好きなコンテンツの話をはじめ、己の妄想、作品の解釈、仕事の悪口、行きたい場所の話などを語り合った。本当に毎週なので、驚くほど彼女の解像度があがった。何より、私たちの性癖は「生き別れの姉妹じゃろうか……」と頭をひねるほど合致していた。
「アラジンの……」と私が言えば、わちこさんは「あー、王女が砂時計に閉じ込められるシーンですよね」と言い、「メンインブラック2で……」とわちこさんが言えば「わかる!!エイリアンが女に擬態して男を襲うシーン、子どもながらにドキドキした……」と答えた。
1言うだけで100理解してもらえることの心地良さ。それはまるで競技かるた、または連歌で遊んでいるような優雅さだったが、ちょっと言い過ぎかもしれない。
わちこさんの生態を理解しはじめたある日、仕事をしながら私は「バブー!」と喚いた。休日なのに仕事をしていることの辛さが、思わず口から出たのだ。
その時、私たちは声でしか繋がっていなかったのに、彼女のぎょっとした顔が目に浮かんだ。わちこさんは「なんですか!?今の……」と呟いた。
「すみません、仕事がつらくて思わず……」
「え、わかんない……どういうことですか……」
あんなに分かり合っていたと思ったのに、何も理解されなかった。私は一から「赤ちゃんの気持ちになりきることで心を……」と説明した。
わちこさんは黙って最後まで聞いてくれた後、「なるほど……可哀想に」と言った。私は図に乗った。今思えば、彼女が何に対して可哀想だと言ったのか、私はきちんと聞き取りをしておくべきだったのかもしれない。
それからは仕事に関わらずことあるごとに、「おぎゃあ!」「バブー!」と泣いて彼女に不満を訴えた。その度にわちこさんは「よしよし」「どしたのひらやちゃん」「かわいそうにね~」と相槌を打った。
そういうの楽しいんですか?と思われる方もいるかもしれない。楽しくはないが、確かな満足感があった。
私たちの通話は平均で一回8時間に及んだ。話せない日もあるが基本週2回、それが2年くらい続いている。今や私の家族は“わちこさん“を認識し、話題にも出すようになった。一人家を出た兄だけが彼女を知らない。両親や妹が”ワチコさん”たる存在について盛り上がっているのを見て、彼は何を思うのだろう。客観的にみると宗教の香りもするし、洒落怖のような不気味さもあり、面白いので兄には存在を隠し通そうと考えている。
その一方で、近頃さすがに無言になる時間が増えてきた。一通りのことは話してしまったし、外出をしないせいで新しいネタもない。また、実はすでにわちこさんは別のジャンルに生息しているため、語りの頻度も減っているのだった。お互い何かを作業しているので気まずい気持ちにはならないのだが、私が「おぎゃあ」と言うと、「泣くな」「黙れ」という相槌が返ってくるようになった。
「……なんだかこの頃冷たくないですか?」
「そうですか?そんなことないと思います」
「そうかなぁ……」
「ちゃんと返事してるじゃないですか。あ、ところで静岡行きませんか。行ってみたいところがあって……」
わちこさんはいい意味で他人にドライであり、メンヘラのあしらいがうまい。私は思った。あしらわれている。
これが他の人間であれば私たちの関係はほぼ崩壊していると言われても仕方がないかもしれない。しかし、繰り返すがわちこさんはいい意味で他人にドライなのだ。私のメンヘラ度があがっても、彼女は決して縁を切ったりはしないはずだ。……慢心だろうか。
前の夏、仲がいいと思っていた人と連絡がつかなくなってしまい、心に大ダメージを受けた経験のある私は、やはり少し不安に襲われていた。あの時も終日「おぎゃあ!」を繰り返していた私に丁寧に相槌をうってくれていたわちこさん。スピーカーの向こうからはiPadとペンが擦れる音が絶えず聞こえていたが、決して突き放すようなことは言わなかった(私ならさすがにキレてたと思う)。
友情と性癖に胡坐をかいてはならぬ。
私はわちこさんの提案に「行きます」と即答した。この旅行で、彼女との信頼関係を、友情を修復するつもりだった。
そう。長々と書いたが、これは静岡旅行のレポート(プロローグ)です。
何故こんなにも余計な話を書いたのか。懲罰房から逃れるために思いつくまま、がむしゃらに書いた結果ととも言えるが、実は過去にも私たちは静岡旅行(日帰り)に出かけているのだ。
まだわちこさんのことを「ウマが合うなぁ」と思っていたときのことだ。当時の彼女はとても優しく、そしてよく考えてみると今の片鱗もしっかり見せていた。
当時のレポートもあるので、ぜひ読んでみてほしい。そして感じてほしい。3年という月日と、私たちの関係の変化を──。
静岡旅①
https://koshikundaisuki.tumblr.com/post/183845897777/
静岡旅②https://onl.la/Fnerznx
静岡旅③
静岡旅④