
AOR -Addressing Oriented Retro- サンプル的に抜粋
90年代中心にビデオゲームを再読する『AOR -Addressing Oriented Retro-』発売中です。現時点では自家通販と中野タコシェさまにて委託中ですが、今後の委託店舗の追加や、内容の訂正などは以下リンク先にてご確認ください。
各チャプターから少しだけ抜粋。各引用内の『Nostalgia』は『Nostalgia and Videogame Music』(2022)を指します。
■オフ・モダンとしてのビデオゲーム
ナターシャ・ホワイトマンはできるだけ過去と同じ素材を用いて、対象となる時間=過去を復元させる類のノスタルジアをシンクロニック(共時的)と呼んだ。それは原初の体験(同じ音楽でもゲームボーイのスピーカー越しなど、条件が変わることで別の音楽体験となってしまう)が絶対であり、再現が不可能であるという認識に繋がっている。取り戻せない時間への距離ゆえに、ゲーム音楽を耳にしたときに喚起される過去への想像喚起力が重要視される、というわけだ。『Nostalgia』はこの説の条件を「ゲームを遊んでいる時以外の」時間にもあてはめる。その実践例が、本の中で複数の作家が共有している「パラルディカル」というゲーム音楽の受容および消費形態の提唱だった。簡潔に書くと、ゲームそのものとは切り離された場所で起こる事象、ゲームを遊んでいるとき以外にゲーム音楽を耳にした時に起こる反応=ノスタルジアの発生である。
本の中では、パラルディカルな消費とは、ゲーム音楽が個人的、集団的、市場経済的の三通りの消費がなされる時に発生すると定義されている。それぞれ個人的な思い出の想起、同世代やファンダムといった集団内(共同体内)での経験の共有、そしてゲーム音楽のコンサートホールでの演奏が例示され、曖昧だが確実に去来するノスタルジアの相互作用を分析している。
『MOTHER2』と『真・女神転生』の両方にカルト宗教団体が登場しているのは偶然ではないだろう。『女神転生』および1992年のリメイク版『真・女神転生』の設定には、悪魔を召還するプログラムが登場する。この機械を通して人智を越えた世界とアクセスするという発想は、パソコン通信とオウム真理教(ゲームに登場する悪魔は、東洋の神々に由来するものが多いところにも奇妙な縁が感じられる)が並行していた時代の断片である。『MOTHER2』では、旅の道中で「自分だけの場所」と呼ばれるパワースポットを巡礼するが、自分の内奥にある銀河的なものとチャネリングするというニューエイジ的瞬間を有する点で、『女神転生』との共通性が浮き上がる。
『女神転生』は舞台となる日本の都市部(井の頭公園など)やパソコン通信といった環境が、現在との共時性を表した。対して『MOTHER2』と現在の結びつきとは、個人的なノスタルジアを介して生まれてくるものである。ネスがパワースポットを訪れるたびに幻視する幼少期の思い出は、音やにおいといった、抽象的なものが多い。漠然とした情景だからこそ、ネス(プレイヤー)は、灰色の記憶を自分の郷愁で色づけられるのだった。
主人公が時をまたいで別の可能性を示唆することで、新たな可能性、選択肢があることを提示する。そんな楽観的な瞬間も見せてくれる『クロス』だが、ゲーム中盤では否定された可能性が殺された未来(これはゲームのキャッチコピーにも使われている)として滞留することが明かされ、主人公が荒廃した未来のきっかけになったと宣告される。失われた未来の集積がガレキの都市として表現された「死海」中心部では、『トリガー』の主人公たちが滅んだ過去の残響として現れ、彼らが救ったはずの未来が滅んでしまったことを宣告する。その一人であるルッカは、歴史が無限に分岐したことで正しい時間線というものはなくなったと指摘する。
この『トリガー』で描かれた軌跡(そしてウェルズ的な時間の枠組み)を否定するかのような発言は、同作に登場したリーネ広場の鐘が、死海の中心で朽ち果てた姿となって現れる演出とも繋がっている。
『グランディア』や『FFⅨ』のように細部まで練られた物語からメッセージを読み解くことはある意味容易い。しかし、部分的に欠けたアンティークの器や、色あせて人物の顔が隠れてしまった写真のように、そこにある空白を埋めることで対話できる古文書のような物語もある。コモドール64やファミコン時代のRPGまたはアドベンチャーゲームは、容量の制限ありきで書かれた、独特の言葉足らずなテキストを持っている。それが詩的で美しくなる条件なわけはないが、レトロゲームが評価されるときは、それらメッセージの欠損を「想像力を喚起する」といった語で称える場面をよく目にする。特定の人物やアイテムを探してマップを歩き回る、所謂おつかいのシークエンスを「その手間をかける時間がよかった」と無邪気に懐古することと同じパターンである。ここで意識されているのはゲーム自体の魅力ではなく、当時の体験を想像で補完し、自らの手で記憶として完成させる喜びとしてのノスタルジアなのである。
ノスタルジックRPGを自称する『倫敦精霊探偵団』は、ゲームの完成度そのもののほつれが、幼少時の淡い記憶の再創造というテーマにアンビバレンスともいえる説得力を与えている….(以下略)
『ゼノギアス』のポストモダン的接合に使われていたのは、古きロボットアニメやSF映画だった。巨大ロボット「ギア」(ここも『MGS』とのささやかな共通点である)が登場し、精神世界がキャラクターの描写に密接な関わりを見せるなどの外観的理由から、『ゼノギアス』は『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)と比較されてきた。作劇部分への影響は高橋自身も認めるところであるが、むしろ『エヴァ』と同じ作られ方をしていたというべきだろう。あちらが『ウルトラマン』や『宇宙戦艦ヤマト』などの原体験をアレンジして接続したように、『ゼノギアス』では特撮やロボットアニメ(主に高橋良輔と今川泰宏作品)、小説では千葉暁『聖刻1092』、神林長平『あなたの魂に安らぎあれ』、オーソン・スコット・カード『エンダーのゲーム』、グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』などが、物語中のあちこちで参照されている。だが、これらはあくまで細胞でいう接着分子、プラモデルでいうパテにすぎない。『ゼノギアス』の本体は、高橋が通過してきたフィクションや哲学のテクストに対する疑問である。そして疑問は答えよりも重要だ、と誰かのいった言葉を思い出す。
「そしてホームシック/笑いながら人々は迷う/ 行き先はスピードを上げて/この先もまだ続くなら」。杉本清隆がORANGENOISESHORTCUT名義で書いた「HomesickPt.2&3」(ジャンル名はソフトロック)のリリックは、2000年の時点でサイモン・レイノルズの主張に辿り着いているかのようである。南雲玲生(『beatmania』の生みの親)が初代『pop’n music』のために書いた曲に作詞と歌で参加した杉本は、その後コナミに入社し、ヴィンテージ感あるポップスから、特撮の主題歌、クラブで流れるミドルテンポなディスコまで、経験してきた音楽をゲームに放り込んだ。南雲と二人でモデルになったキャラクター、それぞれスギくん(その趣味はレコード屋の袋集めであった)とレオくんは、在りし日の作り手と受け手を一度に出力していた。この二人はフリッパーズ・ギターや、彼らのファッションを眺めていた当時のティーンたちの混合にしか見えないのである。
杉本のレトロマニアぶりは『beatmania』でも発揮された。20世紀最後の年に稼働した『club mix』は、ソニー・ミュージックとのコラボレーションが実現し、従来のアンダーグラウンド臭を抜くことで、クラブとテレビそれぞれの音楽の現場を接近させた。目を見張るべきはクラブ発の和モノ再評価(洋楽に混ぜて流しても受け入れられる楽曲としての再検討)へのレスポンスも送っていたことだろう。「恋のブギウギトレイン」やザ・スパイダース「バンバンバン」、沢田研二「TOKIO」といった選曲は、90年代DJカルチャーが生んだ現象への恩返しとも受け止められる。和モノを推す傾向は2001年にプレイステーションで発表された『SOUND OF TOKYO』(プロデュースは小西康晴)にまで発展した。
前述したようにビデオゲームとはきわめて商業的なパッケージングがなされているものであり、この采配も海外まで根付いている日本産の文化(あるいは製品)という理由が大きいのだろう。いまやゲーム音楽は、ゲームの外でも消費されるゲームとなる。思い出されるのはサイモン・レイノルズの「レトロとは市場に巻き込まれた大衆の創造性」という見解だ。ハントたちはパラルディカルな消費をゲームの外に適用しているが、ゲームから他のゲームへ繋ぐ例も存在する。ノスタルジアを喚起する意味でのレトロとは、過去の作品への誘導が役割だといってもいい。任天堂による『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』(1999)や、エニックス『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』(1998)といったシリーズは、過去の自社IPへの廊下にもなっているのだ。
『スマッシュブラザーズ』は多数の任天堂キャラクター(近年では他社作品が関わってくるのも当たり前になっている)、ステージとなる美術、BGMが集結される巨大な箱庭である。音楽に関してはアレンジされたものから原曲そのものまで、膨大な数の音源がゲーム内でストックされ、好きな時に再生できる。前章で例えに出したジュークボックスとしてのゲームという側面に加え、このゲームにおいては各作品へのノスタルジアそのものが報酬となっている。わたしにとっても、このシリーズではじめて知ったキャラクターや音楽は数知れない。ゲームキューブで発表された『スマッシュブラザーズDX』(2001)は、ゲーム内でおまけとして手に入るフィギュア(任天堂作品から出展されたキャラクターの3Dモデル)やサウンドテストが過去への足がかりとなった。
その他寄稿もあります。
和田信一郎 『ファイナルファンタジー』の音楽が持つプログレ性と独特のループ感覚、 それが世界に及ぼしただろう影響について
Repetitive, Progressive, Expressive: Final Fantasy's Soundtrack
ジャスティン・アイシス 聖剣伝説2 : エデンの獣たちの時代 Seiken Densetsu II: Secret of Mana: Time and the Beasts of Eden
captainhowdie RPGをそうたらしめるものについて The discussion of what makes RPG
にょぴりすと GAMYANK (漫画)
yoresucker イントロ:ドキュメント・シカクドケイ (漫画)





よろしくお願いします!!