Nurse With Wound List掲載候補だったであろうバンド
The New Blockadersのルペナス兄弟は、TNBとしてレコードを出す前にBladder Flaskの名を使っていた。この時期の音源を2021年のNurse With Woundがリワークした『BACKSIDE』は、ペイントされたカンヴァスの破片が貼りつけられたハンドメイドスリーヴ盤として100枚ほど売りに出されただけだったが、このたびCD化が実現した。
CDにはNWWことスティーヴン・ステイプルトンのコメントが添えられており、そこで彼はBladde Flaskと出会った当時=79年~80年ごろのロンドン自主制作シーンを短く懐かしんでいる。そこに例として名の挙がったバンドはL.VoagとAnne Bean & Paul Burwell。前者は南ロンドンを拠点にしていたジム・ウェルトンのレコードで、ティム・ホジキンソンらが結成したThe Workのメンバーとして来日したこともある。L.Voagはウェルトンと同シーンに属していたFamily Fodderともども、NWWの1stに封入されているエレクトロニック・エクスペリメンタル・ミュージック目録、通称NWWリストに掲載されている。
Anne Bean & Paul BurwellはNWWリストには掲載されていないバンドであり、今回のコメントでその存在を知った。youtubeにアップされている音源が正しいならば、ほぼノイズとパーカッションのみ、叫びまたはそれに近い歌が乗るというLemon Kittensあたりに似た音楽性だった。Lemon Kittensのダニエル・ダックスやThe Slits、後のステイプルトンのパートナーとなるダイアナ・ロジャーソンなど、意識的に獣のように発声する(≒アートの世界のマチズモへカウンターする意もあるだろう)女性パフォーマーはポストパンク時代に顕著で、オノ・ヨーコ『Fly』の系譜ともいえる。60年代の再訪が音楽的または思想的に試みられた時代の一風景だ。
Paul Burwellはスティーブ・ベレスフォードやデヴィット・トゥープらLondon Musicians Collective周りの人物と録音しており、Anne Beanはヘルミーネとも縁があったようだ(スリーヴ内に二人のイベントのフライやーが入っている)。レコードを注文したはいいがまだ届いてないのでネットにある情報から引用すると、自主制作らしくスリーヴは1部ずつ手貼りである。案外ここも重要かもしれない。
今回のようにステイプルトンが言及することで、NWWリスト入りを逃した「当時の」バンドというものが浮かび上がってくる。リストが作られた後に登場したバンドではなく、過去の発言からステイプルトン本人が意識していたバンドをいくつか挙げた。リストは1980年8月発売の『To The Quiet Men From A Tiny Girl』封入のものが最新版なので、同年同月以前にリリースされた音楽を対象とした。
・Monty Python
モンティ・パイソンのアニメーション、特にコラージュを多用したもの(テリー・ギリアム)はステイプルトンの美的インスピレーションの一つであり、グループが番組や映画で示していた諧謔精神も然り。会話劇も挿入されたサウンドドラマな性格は、のちの名曲「The Duelling Banjos」やアルバム『Sylvie And Babs Hi-Fi Companion』で踏襲される。ステイプルトンが仕事である録音スタジオの塗装していたところ、たまたま道を歩いていたジョン・クリーズを見かけたことがスタジオ内のスタッフと会話するきっかけとなり、NWWの初録音へと繋がったエピソードも忘れてはいけない。
B面に二つの溝があり、それぞれ異なる音楽が再生される『The Monty Python Matching Tie And Handkerchief』(1973)のアイデアはどう思ってたんだろうか。レコードそのものに仕掛けを施すアンタイ・レコードはインダストリアル・ミュージックの領域で一つのトレンドにもなったが、NWWはフィジカルとしてのレコードに着目した機会はほぼない(『Alien』EPはループ溝だったが)。
細野晴臣&横尾忠則『COCHIN MOON』(1978)
2018年にステイプルトン邸を訪れたときにコレクションルームから引っ張り出してくれた1枚。クラスター風のシンセサイザー音楽がエソテリックでお気に入りだそうだ。YMOは嫌いという彼(イギリス)と日本の接続点がインドになったということで。もしリスト入りしていたら、表記は細野さん単独になるんだろうか。
・Hapshash and the Coloured Coat
『WIRE』誌のインタビュー(2006)で言及していたデザインチーム。60年代前半に美術を学び、ポップアートの分野に可能性を見出したマイケル・イングリッシュとナイジェル・ウェイマスが中心となって、60年代のアイコンをヴィジュアル面から支えた。『International Times』のようなヒッピー雑誌から、ジミ・ヘンドリックスのライヴのポスター、そして伝説のUFOクラブのオープン記念ギグの広告まで手がけた。
2枚のアルバムを残しており、67年に出た1枚目はセッションの録音から抜粋した当時らしいジャムの記録。Amon Düülの元ネタとステイプルトンは分析している。
・Jon the Postman
The Fallのメンバーと仲が良かったマンチェスターの郵便局員(2015年没)。たくさんのギグに通っては、ステージに上がって「Louie Louie」を歌っていた逸話がある。このエピソードはマイケル・ウィンターボトム監督『24hour Party People』でも(ほぼ説明なしで)再現されている。
ステイプルトンは個人間で依頼されたのか、ジョンが「John the Postman's Psychedelic Rock 'N' Roll 5 Skinners」名義で出すレコード用にコラージュを1枚手がけている。公に出ることはなかったが、数年前にあるコレクターが同コラージュの写真をアップしていたので、実際に流通していたのかもしれない・・・。その写真は2018年12月にFUKUGAN GALLERYにて開いたトークイベントのフライヤーに使わせていただいた。
ステイプルトンは筆者に「アルバムを出す前のThe DamnedとKilling Jokeのライヴがかっこよかった」と教えてくれたが、こうしたバンドたちがアルバムを再演するために練習する過程で失われる野放図さを残した存在がJon the Postmanだった、と音源だけ聴いてたら思ってしまう。
・Nancy Sesay and the Melodaires (1980)
ジム・ウェルトンやFamily Fodder周辺のプロジェクトで、Milk From Cheltenham (United Dairiesレーベルの名前の由来)やGus Coma、 Die Trip Computer Dieとして現在も活動を続けているレプケ・ブッフヴァルターが参加しているのも大きい。唯一のシングルである『C'est Fab』は、Lemon KittensやAnne Bean & Paul Burwell的なアヴァン・ファンクにも聞こえるが、より宅録志向が強い。Discogsでは1982年リリースになっているが、1980年の時点で作られていた。このようにウェルトンらがいた南ロンドンのカセットシーンはレコード化する以前にも音源が作られており、限られた人間だけに流通するファンジンのような性格を持っていた。
本来ならばこの音楽がUnited Dairies初の外部アーティストとしてリリースとなるはずだったが(実際に出たのはLemon Kittens)、その割にはNWWリストに名前がない。そういえばMilk From Cheltenhamも同じだった。