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憑在論と幻想文学 永井荷風からあがた森魚まで(ラフ)

『FEECO』Vol.5 (2月発売予定)には昨年の研究の進捗を報告するページがあり、そこではパストラル憑在論の日本版について思索している。単に思いついたことを書いているだけといえばそうなのだが、先出し的にこちらにも書いておく。一つの文章としてはまだ完成させていないので、あらかじめそのつもりで。「パストラル憑在論」などの語はこちらの記事を事前に読んでいただければ。

パストラル憑在論の源泉の一つが幻想文学(ghost story)ならば、日本におけるそれも同ジャンルから見つけ出すことができるのではないか。ならばアーサー・マッケンやMRジェイムスを翻訳し、わが国に幻想文学の地平あるいはマーケットの開拓に貢献した人々は好例だろう。なんといっても平井呈一の存在は大きく、ホレス・ウォルポール『オトラント城奇譚』からアーサー・マッケンを訳した業績はもちろん、単行本化までには至らない作家たちについても『牧神』(この雑誌名は平井が大量に送ってきた案から選ばれたものである)といった雑誌内で紹介している。

平井が師事していた永井荷風こそは、日本版パストラル憑在論を考えるうえで目印となる人物である。紀田順一郎が荷風の生涯を追った『永井荷風 その反抗と復讐』(1990 リブロポート)は、この視点において特に示唆を与えてくれる一冊だ。港区にある木造洋館を偏奇館と名付け、東京大空襲にて焼失するまで同館に根を張っていた荷風は、偏奇ならざる雑踏の中を歩いては孤独を感じる自分に一種のダンディズムを覚えていた。とかく歩き回ることが日課であった荷風は、自らが歩いた道(これこそがBelbury Poly『Path』と彼を繋ぐ糸でもある)、通過した場所や建物、街並みを事細かに描写した。紀田は『その反抗と復讐』の中で、荷風が水路(『放水路』という随筆も残している)、とりわけ海へと繋がる堤防に興味を抱いていたことを取り上げ、「堤防の突端が彼にとって”懐かしい風景”であるがゆえに、その荒涼たる光景に内心の虚無感を投影することにより、自己表現の可能性を認識したのであろう」と鋭く指摘している。

  エドワード朝の空気を想像し、音楽やヴィジュアルとして再創造(トールキン風に言えば準創造)するMoon Wiring Clubのような音楽家は日本にもいるだろうか。ヨーロッパ的なデカダンスをなぞるということではない。湿っぽさに美学をおぼえ、落魄から普遍的な理のようなものを見つけだす者である。言い換えれば現代の虚無と不条理のようなものに押しつぶされた末に過去と対話し、その感情を音楽で表した者である。そして、わたしはあがた森魚のことを考えた。
偶然にも荷風から名前を取った東京名所ガイド本『荷風!』(日本文芸社刊)で、あがたは短期間にわたって連載をもっていた。同雑誌第4号掲載の回では、失われた大正時代の空気を昭和から探求していた青年あがたの葛藤とその結晶が出来上がる過程について綴られていた。デビューアルバム『乙女の儚夢』(1972)である。貧乏のために鶏ガラを盗んだ少女の悲哀から始まるこのアルバムは、Fairport Convention『Full House』を音楽的モデルにしている点含めて、哀しみで生気を得るブリティッシュ・フォークへの回答だ。同時にあがたにとってのヒロイン、それはリビドーに類するものではなく、より人間的な引力をもたらすという意味でのそれである伊藤野枝への声かけでもある。荷風がイデオロギーを捨象し、個人的に理不尽に対して怒り、死者を憐れみ、過去と対話したことと同じといえはしないか。

 あがたがパストラル憑在論と親和性を持つ理由は他にもある。荷風もシンボルとして小説に登場させるラジオやレコード(『墨東奇譚』では外を歩くためにラジオがやかましいと動機付けるという少しひねくれたこだわり方がされている)、すなわち戦前戦後直後の一般大衆に浸透していたテクノロジーへの憧憬ことノスタルジーだ。テクノロジーの進歩目覚ましかった80年代のあがたは、それを利用しつつも逆進的にレトロへ飛び込み、過去が抱いていた未来への希望を解釈し続けた。ヴァニティからリリースしたポストパンクとフォークの邂逅たる『乗物図鑑』(テレックスとジョイ・ディヴィジョンが創造のヒントとなった)では、あがたにとっての理論の神々の一人・稲垣足穂がヘリコプターの音を模した肉声(アルバムに参加していた藤本由紀夫が録音していた、瀬戸内晴美のラジオ出演時のもの)が使用されている。この楽曲「エア・プレイン」やジョイ・ディヴィジョンのベースラインをなぞった「サブマリン」では、のちにサイモン・レイノルズが指摘したサンプリングという行為の特性、既存の音を新たな音に転化させる創造面と、死者に話させるという交霊術めいた面の両方が果たされている。もちろん、この采配がプロデューサー阿木譲の卓越したセンスと直感によるものであったことも忘れてはならない。
 これらの曲名が示す乗り物への、つまりはテクノロジーへの朴訥とした希望は『乗物図鑑』ジャケットにも表れている。この写真については昨年6月に大阪environment 0gにて開かれた『あがた森魚 Talk&Live 乗物図鑑44年目の邂逅』でも話題になり、その意図があがた本人から説明された。半年以上前の記憶なので鮮明には思い出せないのだが、この写真が敗戦後にソヴィエト連邦によって封鎖されたベルリンへ食料を運ぶ連合国側の飛行機にガレキの上から手を振る子供たちを捉えたものであること。廃墟に立つ希望としての子どもたちに「今日から」を夢見るエネルギーを感じるということ。足穂の少年愛(これは単純なリビドー云々の次元ではない)、成長するにつれて去勢されていく宇宙的郷愁のポジティヴな力学の現れと要約できる内容だった。これは戦後の傷を癒そうと邁進した時代が持ち得た楽観的な理想主義、レトロ・アクティヴィティを支えていたものの一つではないだろうか。英国のGhost Box Recordsらが戦後の福祉国家的ヴィジョンを抱いていた時代の英国社会から見出すものと離れていないはずだ。

『タルホロジー』 2006
『あがた森魚の世界史B』シリーズ

 あがたが自らの美学をタルホロジーと銘打ったことは特筆に値する。憑在論(Hauntology)の推進力を生むペシミスティックな性格とは反対の位置にあるもので、その建設的な懐古の念を、あがたは荷風がごとく個人レベルで確立させていた。この名を冠するベストアルバム『タルホロジー』がチョコレートの包装を、編集盤シリーズ『あがた森魚の世界史B』が学校の教科書をそれぞれ模していることは、ゴースト・ボックスがペンギンブックスのペーパーバックについての記憶をヴィジュアルとして再創造したことと繋がっている。そして、繰り返しになるが、それは政治的なファナティックを目指したものではない、一人の少年による宇宙的郷愁からはじまっている。

※他にもいろいろ書いているが、残りは雑誌を買ってもらうということにしたい。もうそろそろ出ます。

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