レトロくん(『スーパーロボット大戦』の場合)
文筆が捗らない時はレトロゲームに逃げがちである。が、現在書いている『ビデ再』の主題が主題なので、現実逃避としてのレトロゲームが現実のことばかり考えさせるから本末転倒。間をとって、他人がYouTubeに上げてるプレー動画をBGM的に再生している。サイモン・レイノルズはコレクションから引っ張り出すのが面倒だから所持してる音源もデータで聴くこともあると『Retromania』に書いていた。ゲームだって遊ぶのがそもそも面倒なもんだし仕方なかろう…。ファスト映画みたいな消費の仕方は、もともとストリーマー(昔でいう動画勢)という層があったビデオゲームの方が早くに定着したと感じる。
最近見た動画はPS時代までの『スーパーロボット大戦』(バンプレスト)シリーズである。このゲームは筆者にとって重要で、無数の過去(昔の作品)を並列し、接続するレトロマニア的資質を磨いてくれた。限られた層にアピールするゲームゆえ、ビデオゲームのジャーナリズムに引っかかることはまずない。こんなところで、レトロマニアの温床たる90年代に産み落とされたスパロボを語る人がいてもいいのではないか。
『スパロボ』は90年代後半から常態化するオールスターもの、無数の作品が垣根を越えて一堂に会するタイプのアレである。キャラクター単位でコンテンツになるところは昨今のガチャにも通じているかもしれない。
はじまりはバンプレストの「コンパチヒーローズ」第一弾として1990年に発売された『SDバトル大相撲 平成ヒーロー場所』だが、その露払いには87年の『SDガンダムワールド ガチャポン戦士 スクランブルウォーズ』がある。いずれもカードダスやプラモデルのようなグッズ展開の一環であった。第一作となった『スーパーロボット大戦』(1991 ゲームボーイ)は登場するロボットたちをキャラクターに見立てた(ゲッターロボが勧誘しているセリフだけ有名)内容であったが、同年12月の『第2次スーパーロボット大戦』からは作品単位でのクロスオーバーが実践された。ここでいうクロスオーバーとは、数多の作品を『スパロボ』という場に収束し、個々の設定を関連付けた世界観の提示である。さすがに独立した作品の集まりという前提は忘れてはいけないので、ロボットやキャラクターたちの正式な情報は後のシリーズで図鑑として記録されている。ゲーム自体が脚色をほどこしていることが多いため、うっかり『スパロボ』だけで原作を見た気でいると、いざその作品を好きな人と話した時に痛い目をみる。今は配信サービスなどで簡単に見られる作品も多い。
上にも書いたように、既存のロボットアニメたちが絡み合う世界が『スパロボ』の妙である。マジンガーZとゲッターロボとガンダムが同じ世界に存在し、キャラクターが対等に話し合う。個々の設定が互いを補足し、時にご都合主義のオリジナル設定が自然に盛り込まれ、どこからどこまでが公式でそうでないのかが曖昧なままシナリオが進められていく。作品をまたいだ演出では他作品のキャラがもう一つの作品のシチュエーションをなぞるものもある(『∀ガンダム』のジョゼフによる「やったぜフラン」は、あるシーンで『Vガンダム』のウッソが「カテジナさんっ」と叫ぶ展開に置き換えられている。なんのこっちゃわからん書き方だが、伝わればもういい)。そのシナリオ及び道中の演出はすべて作品たちの版元に打診しており、二次創作をオフィシャルに行なっているといってもよい。
筆者が初めて触れた『EX』(1994 SFC)や、リアルタイムで立ち会った『α』とそのボーナスディスク的出自である『α外伝』などの登場作品は、自分が生まれるよりも前の時代に作られたものがほとんどであった。2000年代前半のアニメはデジタル作画がすでに浸透していたこともあり、それ以前の技術で作られた作品たち、という印象もいつしか抱くようになり、実際にどんな作品かを確かめるためにレンタルビデオ屋へと出向くようになった(旧作扱いなのですべて100円で1週間借りられた)。
さらに『α外伝』では当時放映終了まもない『∀ガンダム』が大きく取り上げられていたのも大きい。『∀』を筆頭に『α外伝』のラインナップは荒廃した未来を舞台にした「ポストアポカリプス」ものが大半で、そこに『∀』以前のガンダムシリーズのキャラクターたちが過去の存在として転移していく。時代をまたいだロボットたちの差異が、そのままシナリオを肉付けしていくのは今見ても秀逸だ。
『∀ガンダム』はガンダムシリーズの歴史を一本の正史と認め、一旦の終わりを宣言したかのような内容だった。『スパロボ』をメタ的に捉えながら『∀』を骨にして物語を紡いだ『α外伝』は、過去を総覧する精神、世紀末最後の年に爆発したレトロマニア的価値観の産物に見える。
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