ミニコミ『COD』 からL.A.Y.L.A.H Antirecordsや阿木譲を読み解こうとする
10/21は阿木譲氏の命日である・・・と数年前に手に入れた『COD』2002号をパラパラと読んでたら気付いた。これは西野浩二と田村豪一郎なる人物によるCOD organisation(Whitehouseの自主レーベルCome Organisationにちなんでいると思われる)から発行されたミニコミで、1985年8月に発行されている。前後のバックナンバーの存在は不明だが、2002というナンバリングから2冊目だと推測できる。奥付には次号のテーマがヒューマニズムであるとも書いてあった。
編者たちは絵に描いたような『ロック・マガジン』誌読者だったらしく、ポストパンク(当時のメディアでは使われていなかった語だが)~ニューウェイヴ内でもインダストリアル・ミュージックに強く傾倒している。冒頭の文章にSordide Sentimental創設者のジャン・ピエール・ターメルのことばを引用しているのは自己紹介として申し分ない。
本号の特集は阿木譲インタビューおよびL.A.Y.L.A.H. Antirecordsとその周辺のディスコグラフィ。L.A.Y.L.A.H. Antirecordsとは1983年にベルギーのLes Disques Du Crépuscule傘下で設立されたレーベルで、当時のCrépusculeスタッフであったマーク・モーニンとデヴィット・チベット(Current 93)が舵をとっていた。いわゆるUKインダストリアル・ミュージックの第2波を代表するラインナップが一堂に会したレーベルで、Nurse With Wound、Current 93、COIL、23 Skidoo、1枚だけとはいえLaibachもリリースしている。日本では新星堂がCrépusculeと提携していたため、どさくさに紛れたといわんばかりにL.A.Y.L.A.H.のカタログも多く輸入されていたと推測できる。とはいえこれだけのリリースを当時の日本で揃えただけでなく、チベットが簡易的に用意していたカセットリリース専用の屋号「mi-mort」のリリースや、NWWらとの混成パフォーマンスである「Gyllensköld, Geijerstam」名義のLPまでレヴューしているのだから驚きだ。後者は一部ずつ異なる図版が手貼りされたスリーヴで、本誌には2パターンのジャケットがわざわざ掲載してあるほどの凝りようである。その他ではNWWのレーベルUnited Dairies、Sema(ロバート・ヘイ)、FoetusやLustmordまでも掲載している。
L.A.Y.L.A.H.という名前や所属アーティストたちの傾向からもわかるように、当時人気であったアレイスター・クロウリーに準ずる神秘思想と、日本で花開いていたニューアカデミズムへの拘泥がブレンドされた文章は、80年代ならではという感じだ。エホバの証人信者の輸血拒否事件や豊田商事会長刺殺事件(この二件の間は8日しかない)を例示し、乱れた時代、あるいはそこに生きる自分に捧ぐ音楽としてL.A.Y.L.A.H.を取り上げている。ここに東西冷戦といった世界規模の懸念がないのは、日本という地勢ゆえか。
阿木のインタビューでは1985年8月1日から刊行される『EGO』とおぼしき雑誌の構想が話されるくだりがあり、『ロック・マガジン』の停止や著書『イコノシタシス』とのミッシングリンクとして興味深い。『ロック・マガジン』スタッフであった田中浩一の文章や、氏が84年に創刊した『REV』へ冷ややかな態度をとったり、Vanity Records時代の手応えもEP-4を除いてあまり好意的でなかったところは、過去を断絶した勢いで先端へと飛び込む阿木のパンク、いやロック感が出ている。これは後述するクラブ時代が到来したからこそ言えることだが。
阿木はL.A.Y.L.A.H.所属のアーティストたちについて「自然を怖がっている」と称し、それこそがロックだと話している。
これらのレコードを観念的に支えていたのが死の概念であるという話運びは、いかにも阿木が主導していた頃の『ロック・マガジン』を思わせる。過激で残酷な意匠は、反ヒューマニズムのようでいて、その実死を怖がる純粋な感覚を讃えるものだというのが阿木と『COD』編集部の合流点のようだ(だからこそ次号のテーマがヒューマニズムになると宣言されたのだろう)。余談だが、インタビュー内で阿木はL.A.Y.L.A.H.の音楽を「浪花節って言ったら浪花節だろ」と珍しくユーモラスに形容した。ヒューマニズム=浪花節という式が頭の中にあったらしい。
音楽性の話になるが、L.A.Y.L.A.H.など当時のUKインダストリアル・ミュージックはエスノ化を実践していた側面があり、Talking Heads『Remain In Light』を筆頭としたアフロへの傾倒とワールド・ミュージックの隆盛のアンダーグラウンド版ともいえた。実際に23 SkidooはWOOMAD第一回に出演し、デヴィット・チベットもステージ上に立っている。COILはゴングやうなり板を導入して原始宗教儀式をエミュレートし、男性の性的エネルギーを主題にした『How To Destroy Angels』を作った。近代から逆行したアイデアを見つけ出し、都市内で新しい音楽として吐き出すインダストリアル・ミュージック第2波の精神性は、都市生活者でありながら自然を畏れる阿木の感覚になじんだのだろうか。
もう一つ興味深かったのは、ノスタルジアが議題となった時の阿木の認識であった。幼年時代を越えた、観念的ですらない存在だったころを想像し、そこを懐かしく思うと阿木はいう。くわえて、未来もそのようなイメージだと話しており、そこには理論による補足がない。
この後にも神秘主義は嘘であると切り出して、ニューアカデミズムへ矛先が向くが、ここには阿木の持ち味とさえいえる東京への対抗心もたぶんに含まれているだろう。『Fool's Mate』や『REV』について、「音楽を自分の文学にしてしまっている」という物言いは、阿木自身にも該当しているのは明らかだが、ここで重要なのは(いったんとはいえ)、阿木が評論はじめとした言葉での表現に否定的なことである。言語や理屈を越えた直感的な体験をもたらす音楽への興味は、やがてハウス・ミュージックに触発されることで実現したM2やCafe BLUEといったヴェニュー、すなわち現場へと着地した。クラブ時代になっても東京のメディアに対しては依然として対抗的であったとされるが、だからこそ阿木のスタンスが瑞々しいままであったのは間違いない。