なんとなくで繋がっているもの
すごく、と言っていいほど仲は良くない。
お互いがお互いを干渉しようとはしない。
なんなら、Instagramのフォローリクエストを一生解除してくれない。
久しぶりに実家に帰るための電車に乗っている。
少しお金を払ったら上野駅から一駅で行ける特急に乗って変な感じになってて、
東京はあんなに沢山降りたり乗り換えたりしなきゃいけないのに、案外簡単に帰れるのかとよくわからない感じになっている。
私は今特急電車の中であと5分で水戸駅に着くという時間にこのnoteを書いています。
上京した奴らみんなの憧れみたいな隅田川を見送ってそこをすぎてからは安心して寝ていました。
そんなことより文章の句読点をつける位置って合ってるんだっけと考えるくらいには文字を読んでいなかったし文字を書いてもいなかった。
だけど少し話したいことがあるので書きます。まず一旦特急電車を降りますね。
すぐ書き始めようとしたら
おうちですき焼き食べて、ビールのまされて
おこげさんと遊んでたら2時間経ってた
それより時は私が生まれた時に戻ります
私が生まれた時にはもう3年も先に生まれている兄がいました
本当にくっつき虫だった私は
保育園の時も小学生の時もお兄ちゃんにべったりでした、お兄ちゃんが持ってるの物は全部欲しかったし、お兄ちゃんの友達も全部全部羨ましくてずっとずっと跡をつけていました。
私の世界の中心には兄がいて、なんでも羨ましかったのを覚えています。
平山家に生まれてすくすく育った私たちは土日はおばあちゃんちで過ごし、ルールもろくにわからない遊戯王とベイブレードで遊び私は兄一回も勝てた事はなかった。
私はパパが迎えにきてくれる保育園の帰り道ローソンでお菓子を買ってもらっていたんだけどずっとお兄ちゃんの分も!って多めに買ってもらっていた。
保育園ではずっとくっついて遊んで、土日も一緒に遊んでいたのに兄はいつからかランドセルを背負って小学校に通い始めていた。
一緒に過ごす時間が減って
多分私が小学校に入ったくらいで全く喋らなくなった。学校という場所で兄を見つけて喋れるのが楽しみだったけど多分兄はすごく恥ずかしかったんだと思う。
なんかそこから6年くらい、ろくに喋らず兄が東京の大学に進学し、私が高校生になった。
私が反抗期すぎて「ぱぱとままを困らせるなよ」って一回まじの喧嘩になりそうだったけどほんと、私高校を卒業するくらいまでは「あー、うん」くらいしか喋らなかった。
でも喋らなくなった期間も
私の憧れは兄で、私にはないぱっちりした目と高い鼻と高い身長、頭もいいし、料理もできて、なんて言ったっていい子。本当に私よりいい子。
私が自我が芽生えてちゃんと自分のことがどういう奴か理解し始めて、コンプレックスにだんだんなってきてしまっていたから喋れなかったんだと思う。
だけど一つ、私の音楽のルーツになったところは勝手に兄のCDをipodに入れたところから始まる
UNISON SQUARE GARDEN
サカナクション
amazarashi
あと勝手に本棚から取って読んでいた漫画や本たち
確実に今の私の音楽人生で生きている
バレたらめちゃめちゃ怒られるあのスリルの中で聴いていた音楽も言葉も絵もちゃんと私の一部
勝手に取ってごめん。
でもあたしは覚えている
保育園の誕生日のインタビューボードに
好きな遊びの欄、妹と遊ぶ事って書いてあった事。いろんな事を我慢していろんな事を教えてくれた事。
今はもうフラフラしてるバカな妹なのかもしれないと思っていたけど、音楽頑張ってる妹ですって恥ずかしがらずに紹介してくれた事。
結婚するんだって言われた時に泣いた私を見てちょっと嬉しそうな顔してた事。
あたしは出来の悪い妹なことを何度も後悔していましたが、お兄ちゃんからしたらそうでもなかったんだね。
明日はお兄ちゃんの結婚式です。
私が人生で唯一勝てない相手!
私が先にするとおもってたのにな!!!
おめでとう!!!!
やっぱり腑に落ちないので1発殴っておきます。
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