【四】フラグの気配がない【三十三歳の日乗】
十八の時も、二十一の時も、好きになってもらえた女はいて、それでも進学を理由に、単位が取れていないのを理由に、相手を遠ざけてしまった過去。
恋愛をエッセイにするなんて珍しいものではないが故、人によっては食傷気味で、ましてや実ってもいない恋なんてのは、需要がないと思われ。
好きな女に出会うのは、出会えるだけの理由があって、例えば十八の時なんかは、もし付き合うことを最優先にしていれば、偏差値六十以上の大学の学歴を手に入れることだってできた。
部活を引退して、半年しか勉強していなかった僕は、文系三科目のセンター試験で八割を取りながら、東京へ行くのはダメだ・私立は金が無い、という親の意見のもと、地方国公立大学へ進学することとなる。
それでも、僕には勉強の才能があったのか、早稲田や慶應に合格した同級生からは、「もっと上目指せるやろ」「本読んでみ」と声を掛けられることが、センター試験後から増えていった。
しかし、そこに素直になれないのが自分で、当時は親への恨み、同級生への僻みの気持ちが強かった。修学旅行では余りモノグループで、野球部なのにインキャだの言われ、そのくせ一人でいたら調子乗っていると扱われて。クラス会にも誘われることもない僕は、さっさと縁を切りたかった。
でも好きな女はいたし、何なら二年間片思いしていたし。その子が、僕がセンターで高得点取ったことを知って、卒業式前の数日間で、急に距離を詰めようとしてきた。
けど、それを知ってか、または女がお願いしたのか、関わりたくもないクラスメートが、卒業式へ向けて二人の間をくっつけようとしてきたんだ。
今思えば、その思惑を利用してやったらいいのだけれど、無駄に不器用な僕は、結局、自分の気持ちを強引に引き剥がして、女と付き合うことも、もちろん浪人することも辞めてしまった。
人間に対して潔癖すぎて、自分の気持ちに対して不器用すぎた。
それから、二十一の時には、大学のゼミで好意を持たれた女がいて。ちょうど、同じゼミの友達は、ゼミ内の別の女と付き合おうとしていた矢先だったので、「お前も付き合えよ」と言われたが。結局ダメだった。
何がダメって、大学入学してから学歴コンプで、ろくに単位も取らず2ちゃんねるばかりして、挙げ句の果て甲状腺の病気にかかっていて。本当自分、ロクでもねえ奴だな、と自嘲していた。
その好意を持たれた女は、成績が優秀だったし、僕に好意を持ったのに気づいてからは「こいつ大丈夫か」と思っていたけど。今思えば、僕の状況も全て見透かしていたのかもしれない。その上で、好きになっていたのなら、それは紛れもなくいい女だったはずだ。
それでも、好意を持った女に飛び込んでいくことはなかった。
自己肯定感とか、自信とか、女と付き合う中で育んでいくものなのかなと思っていたけど、違うのな。
自分が毎日少しずつ、自分の力で育んでいくものらしい。
女と付き合うまでの距離が果てしなく遠い。何万光年あるのだろうね。
女に対する徳があるとするなら、もう僕は使い果たしたのかもしれない。
結局、その二つのフラグ以降にも、好きになった女はいたが、いずれも付き合えず。もちろん、友達にもなれず。
上がっていく年齢と反比例して、恋愛適齢期の女との年齢差は開いていく一方。
と、ここら辺りで書くのを止めることにする。
女と付き合うの向いてないからもういいや。
付き合えたとしても、やることやったら捨ててやるんだ。モンスターですよ。
クリスマスに思ったのは、これからの身の振り方くらいで、女なんてクソほどどうでもいいや。
ああ、それでもやっぱ、若い女抱きてー。⚪︎ね、性欲。