【三】障害者雇用のキャリア論【三十三歳の日乗】
今日はクリスマス。彼女はいない。(トホホ)
障害者になってから七年が経とうとしている。思えば、隔離病棟にぶち込まれた頃から、遠くへ来たものだ。
直近三年で、A型事業所→職業訓練→障害者雇用(公的機関)を経験している。今は無職だが。
今が三十三歳だから、七年前は二十六歳、一番仕事をする上で大事な二十代後半から三十代前半までを無駄にした計算だ。
これからも、障害者年金を受給しながら、月収入十六万ほどで生きていくことが確定している未来。年金も破綻しそうだから、死ぬまで働く計算になるこの人生。どう生きていこうか。
障害者にとって、キャリアとはないも同じである。キャリアになるくらいの実務経験が積めるのは、障害になる前にキャリアを積めていた人間か、フルタイムで毎日働けるほど安定した体調を誇っている人間くらいである。(つまり身体障害者)
自分のような、統合失調症になる前は派遣の作業員で、引きこもりで、なんていう人間は、これからキャリアを積めるかというよりは、ただ「あってもなくてもいいような」退屈な仕事に耐え抜くだけである。たとえ資格を取っても、任される仕事はそれと無縁な仕事ばかりなのであろう、と私は絶望していた。
だから、八月末に仕事を辞めてから、十一月末までは、趣味に打ち込んでいただけだった。
それでも、公務員の障害者区分採用試験を受けた際、「何か勉強している仕事はありますか」と聞かれて、「何もしていません。」と答えた自分が、最終面接に進めずに不採用になってから、簿記二級の勉強を始めた。
これまで労務職をしていた自分が、「いくらか専門的な仕事をしたい」と、行政事務職を希望し、就職活動することにおいて、「資格の勉強」は「どんなものであれアピールになる」ということに気がついたのだ。
今は、一般企業での経理職を志望したいが、最近、心変わりもするようになった。
「なぜ自分は、そこまで社会や会社にこだわるのだろう」と思い始めてからだった。
お金に不安であっても、お金は自分の意思では寄ってこない。常に、人が運んでくるものであるし。
会社も、その仕事内容も縁なのだから、結局、自分なりに考えたキャリアや、それに向かう努力が大事なのだろう。
低収入ならば、お金を節約する術を磨けばいい。副業で、月五万円稼げるようになれば、障害者雇用・年金との合わせ技で、結婚まで進めることも可能だし。
キャリア、というものが、ずっと「社会・会社ありき」で思っていたものが、実はそうではなくて、この一人生に対する「自分なりに決めた生き方そのもの」がキャリアなのだと思えるようになった。
だから、社会や会社に媚びるように資格を取るのは間違いで、「自分が取りたいから」、もっと詳かに言えば「社会が無駄だと言っていても、自分の生き方にはこれが必要だから」という理由で、人生の選択肢を取捨選択していけばいい。
では、生き方の基準は何なのかと言えば、「自分がやりたいことをやる」ということなのだろうと思う。
もちろん、犯罪行為はNGだし。人に迷惑かけ続けるのもNGだ。だから、そこに条件をつける、「真・善・美」という全人類の憧れをね。
逆に言えば、「真・善・美」✖️「自分のやりたいこと」が、法を犯すことがあるかもしれない。それでも、その人は、取り返しのつかない過ちではない限りは、人生をやり直すことができる。少なくとも、そういう社会を作ろうという流れになってきている。
西村賢太という作家がいる。中卒で、前科もあり、恋人を殴り、といったどうしようもない人間だった。
だけれど、作家として、その人生を綴ることで、西村賢太は「どうしようもない人生」という負を、価値逆転させてお金を稼ぎ、何より多くの人の人生を肯定させることができていた。
会社や社会に、自分のキャリアを求めていないか、軸が自分にあるか、ということは、障害者にとってはとても大事なことだ。なぜなら、障害者雇用で積めるキャリア・スキル、というものはほとんど無いに等しく、やりがいもない場合がほとんどだからである。
正社員との差も感じることもあるだろう、気になる異性がいても声を掛ける自信すらないこともあるだろう、クリスマスをこれからもずっと一人で過ごすこともあるだろう、正直いって気が狂いそうではある。
それでも、人生には必ず抜け道は存在する。それは価値観の変化、考え方のアップデートである。そのためには、ただ探し求めること。探すことはイコール「やりたいことをやること」である。
やりたいことをやっていれば、思わぬ時にチャンスが巡ってくることがある。それをモノにすべく、障害者としての生を投げ出すことなく、少しずつ、耐えられるだけ耐えていきたい、と私は思う。