【五】期待しない操らない求めない【三十三歳の日乗】
年末ということで、忘年会や同窓会の影響もあり、普段の夜の街とはまた違った層の人間が多くいる。
みんな気が大きくなっているのだろう、いつも街中を歩く時よりも、何だか道を歩いていても、向かい側から来る人も、前を歩いている人も、意識が自分にしかないというか、道を譲り合うという理性から解放されている。
そのくせ、通る人通る人にいちいち聞こえるように悪口を言ったり、不快にさせる女もいて、どうにも気になって仕方がない。
やはり、独り身で、友達からの誘いもほぼないような私には、年末というシーズンは自宅でのんびり過ごしていた方がいいのだろう。
そんな状況になることがわかりきっているのに、どうして私が街中に出たのかというと、とある資格のテキストを購入するためだ。
行政書士の伊藤塾バージョンで、基本書が発売されて数日、近所の本屋に置いておらず、それでもどうしても手に入れたかったので、都会まで三十分、電車に揺られることにしたのだった。
最近、「お金を稼ぐ」ことを強く意識するようになり、そのためのキャリアを考える上で、どうにも障害者雇用の延長には、望んでいるものがないとわかってきた。
それでも、一日五時間が仕事のできるリミットで、独立するにも心許ない。
なので、一旦は、ネットを通していくらかお金を稼げないかと思ったのが、行政書士の勉強をしようと思ったきっかけだ。
今、読まれているこのエッセイも、お金を払うほどの価値があるのか疑問しかない。そこで、何か専門知識があれば、書く内容にも深みが出てくるだろうと思った。
もちろん、行政書士の資格へは、他の目論見もある。
行政書士の仕事は、一万種類にも及ぶ許認可が主だ。その中で仕事をしていこうとなると、専門分野をいくつか確立せねばならない。
行政書士の実務を行う中で、さらに知識見識を養えれば、さらにエッセイでも、あるいは小説にも活かすことができる。
つまり、私のキャリアは、飛躍的に向上するわけだ。
他にも、今勉強している簿記二級を活かして、記帳代行などもできるし、行政書士の専門分野の一つとして、福祉分野を確立させたい私からしてみれば、少人数ではあるかもしれないが、障害者や困っている人宛に、仕事を供給することだってできるかもしれない。
さて、そんな想像が及んでいく中で、「期待しない操らない求めない」というタイトルにしたのは、理由がある。
行政書士の資格取得を「お金のために」を意識することで目標に設定したのであるが、実際は「お金のこと」なんてそこまで考えてはいない。
お金なんて所詮は数字であり、万も千も円も所詮は単位である。
お金の入ってくる量なんてコントロールできないし、ましてや出ていく量も完全にコントロールすることはできない。必要とあらば、貯蓄したい意志に反していくらでも出ていく。
コントロールできないことに意識を向かわせるなんて愚の骨頂であり、「お金を求めずしてお金を求める」という、禅の問答のような、矛盾しつつも真理であるような、そんな考え方が、お金儲けには必要なのではない、か。(か、としたのは、私にはまだ実績がないから)
よくよく考えてみれば、冒頭での悪口をいう女についても、こちらはコントロールすることはできないのだ。(そういう女の上位捕食者である強者男性には、もしかすると可能かもしれないが)
なので、あまり周りをコントロールしようとするのは良くない。まず不可能。
この前提に立って、「お金儲け」を考えれば、やっと思考が爽快になってくる。お金稼ぎという、欲に塗れていると思われがちな営みが、実は「愛する」という営みそのものであるということ。
こうして考えれば、実はいくらでもビジネスチャンスは転がっていて、たとえ三十三歳で、障害者で、易疲労性で勤務時間が限られている、独身男性、という属性でも、何とかなるのではないか、という気がしてくる。
何もないからこそ前進あるのみ、頭をフル回転して無い知恵絞ろう!(おわり)