【二十】病気になったら本気出す【33歳の日乗】
病気を未然に防げたらどんなにいいことか…
今日は、甲状腺の病院に行った。
私は、統合失調症の他にも、甲状腺機能亢進症(いわゆるパセドウ病)も患っていて、こちらも三ヶ月間隔で通院している。
とはいっても、パセドウ病の方は症状が落ち着いていて、動かないでいても異常な脈拍を記録していた10年以上前に比べれば、屁でもない。
血液検査ついでに脂肪肝と診断
甲状腺の数値を確かめるための血液検査で、つい先ほど、「脂肪肝」と診断されました。
腎臓に負担がかかっているそうで、原因は過食や運動不足らしい。
ずっと前、もう6年以上前から、「痩せたい痩せよう」と思いながらも、行動に移せておらず、無職になって半年間も、食べては運動不足の繰り返しで、不摂生がついに祟ったのだと思う。
わかっていても改善できない人間の性
「これは直した方がいい」というものがわかっていても、改善へはなかなか進まないのが人間の性で、愚かさでもある。
これは病気に限らず、自分の性格もそうで、変えようにも年単位で掛かるし、良くない癖なんかも、実際に損するまでは変えるに至らないのが、人間の常みたいだ。
忍耐ばかりは辛い
結局、習慣を変えようと思うのならば、「慣れるまで耐える」ことが一番なのだが、そうスパッと一回で耐えられるほど、少なくとも私は強くない…
だから、これまで習慣を変えようと意識してきたのは、チクチクと、針で刺激を与えるかのごとく小さく、小さく、行動を変えていくことだ。
大きな挫折は、しないに越したことはない
お金の使い方についても、いきなり浪費癖を治すことは難しい。
だけど、小さく小さく、たとえ浪費をしても自分の心に、罪悪感を抱かせるごとく「チクリ」と反省する。
責め過ぎない、本当にチクリとだけだ。
要は、浪費癖ならば、節約する改善策を少し頭で考える。そうした思考を、事あるごとに少しずつ積んでいくことで、数ヶ月単位で見れば不思議なことに、浪費癖がいくらかマシになっている。
借金をして、借金取りに追いかけ回されて、その時に浪費を悔いたとしても遅い。大きな挫折をしても、普段から習慣を変えようとしない人間にとっては、結局また同じ過ちを繰り返してしまう。
その行く末は言わずもがな。
思考を積み重ねるための、忍耐力の根源とは…
忍耐力というのは、続ける力のことである。
続けるには、心底「納得している」ことが必要である。
納得していれば、「耐える」という感覚はなく、ごく当たり前に行動することができる。
だから、忍耐は別に苦行ではない。
「納得している」状態へ行くまでに、あるいは納得してから、自分の歩みが遅い、という感覚が、一番苦しいことは苦しいが、これも所詮慣れの問題である。
だって、生きること自体が、自分の歩みの遅さをどう受け入れるか、ってことだから。これに慣れれば、人生しめたものである。
人間、変わるのは遅いけれど
統合失調症になって、年金受給しながらも独り立ちするまで、6年はかかった。
その間、何度も絶望したし、諦めようとしたことだってある。
けど、それに耐えられたのは、「自分を変える」という目標を、心から納得して、追い求めていたから。
毎日noteを読んでいるが、記事を書いている皆さんはいつも、何かに挑戦しようとしたり、現状の閉塞感の中にも価値を見出そうと活動されている。
私も、そうした勢いに乗っかって、まだまだエッセイを綴っていき、日乗の中に気付きを一つでも増やして行けたらいいな、と願望を抱いている。(おわり)