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国保問題は社会保障全体から考えよう
国民健康保険(国保)は健康保険と違い事業者との折半が無いこともあり保険料負担が重く、さらに扶養という考え方が無い為、子供が増えると負担がかさんでいくという特性があります。
このため国保の負担を軽減すべきだという主張がなされることは少なくありません。
しかしながら、この問題を国保だけで考えると、主張できる対策は限られ、公平性などの理由でそれが却下されるということを繰り返すことになります。
これを避けるためには、国保の問題を国保だけで考えるのではなく、社会保障全体で俯瞰して見ることが必要になると思います。
というわけで、今回は国保の問題をあげつつ、それを社会保障全体の中で考えてみようという内容になっています。
1.国保の負担はどれくらい重いのか?
国保の負担についてイメージしてもらうため、大企業などがつくる組合健保の保険料負担の平均、中小企業などが加入している協会けんぽの神奈川での保険料負担、平塚の国保の保険料負担を年収と家族構成別に比較してみます。
なお、家族構成については子供は未就学児を含まず、保護者の片方は働いてはいるものの扶養に入っているという設定とします。また、加入者は介護保険料徴収の対象外年齢とし、ボーナスは計算から除外します。
国保には、一定年収以下は一部保険料を軽減する仕組み(法定軽減)があるので、それも適用して計算すると以下のようになります。(実際は端数処理などを行うので、この通りにはならない)
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国保は同じ年収(サラリーマンの場合は額面、国保対象者は所得)と比較すると、2倍以上の保険料を負担していることが分かります。
国保は10回払い(6月~翌年3月)なので、1回の支払額が健康保険の月額より多少大きくなっていますが、年額に直しても高いのは変わりません。
国保は未就学児に関しては、均等割・平等割と呼ばれるものを半額にする措置が取られていますが、焼け石に水くらいの減額にしかなりません。
また、国保は定額保険料部分があるため逆進性も持っています。例えば、上記図の国保4人世帯で年額保険料が所得のうちの何%になるかを比較すると、
年収100万 14.70%
年収200万 14.98%
年収300万 14.46%
年収400万 13.29%
年収500万 12.59%
年収600万 12.12%
年収700万 11.56%
となります。年収100万と200万は軽減により逆転していますが、以降は年収が高くなるほど保険料負担が軽くなっています。
また、高齢者の増加や医療の発展による医療費増加が進んでおり、保険料負担は国保、健康保険ともに増加の一途をたどっています。
しかし、すでの相当の負担をしている現役世代、特に年収が高くない世帯にこれ以上の負担が可能なのかというと、厳しいのは間違いありません。
したがって、保険料負担を上げるのはやめてほしいというのが一般的な感覚になるでしょう。
2.対策は限られている
ところがです。保険料負担をあげずに、かつ保険財政を維持するための対策というのは非常に限られています。
よく主張されるのは、法定外繰り入れです。
法律では、国保財政が赤字だからと言って、法律で決められている金額以上の出費を市がする義務はないのですが、それをあえてやるということです。
以前は平塚でもやっていました。が、近年国の方針として法定外繰り入れをやめるように言ってきているため、平塚は現在赤字補填目的の法定外繰り入れをしていません。
これの再開は、政治判断としては可能ですが、市議会での議論を聞いていると、現状では再開困難なように思います。
ほかには、応能:応益割合を変えることがあります。応能は要するに所得比例、応益は定額です。国はこれを50:50にしろと言ってきていますが、平塚は52:48くらいにしています。しかし、国保の逆進性の原因は定額部分にあるので、応能をより重くし、応益を減らすことで、低所得者の保険料負担を軽減することが可能です。
あるいは、子供の均等割(加入者1人1人にかかる定額保険料)を免除することで、特に子育て世帯の負担を減らすという考え方もあります。実際、国の方針で、未就学児は均等割が半額になりました。
しかし、すでに法定軽減があり、均等割が年額保険料に占める割合はさほど多くないので、無いよりはましだけども、保険料負担の重さは相変わらずだという考え方もできます。
保険料負担を軽くしながら、保険財政を維持する手法はこれくらいしかありません。税金投入を増やせば、健康保険者からは不公平だという声が上がる可能性もあり、そうすると国保はより不安定になってしまうかもしれません。
また、今後医療費が増えることを考えれば、保険財政はよりひっ迫していくと思われ、保険料率を下げるという選択肢はほぼとれません。
では、どうすればいいのか。
ここは一度、国保にとらわれず、社会保障全体でものを見てみる必要がありそうです。
3.そもそも社会保障制度とは何のためにあるのか
社会保障とは、生活における色々なリスクを想定して、それに対する給付などを行うことで、リスクを気にせずに生活できるようにすることを目的にしています。
もう少し言うと、「最低限度の生活の保障(生存権)」、「生活の安定」、「所得の再分配」が主な目的になっています。(参考:コトバンク)
しかし、日本の多くの人は、社会保障を「社会的弱者を救うもの」だと考えており、社会保障を受けること自体を恥のように感じる文化があるように思います。また、その裏返しとして、社会保障に対する嫌悪感やそれを受ける人たちへの侮蔑という感情が見受けられるようにも思います。
社会保障自体は徐々に拡充されていますが、これがため、日本では税金による社会保障が相対的に少なく、その多くを保険料でまかなう社会保険に頼っている実情があります。社会保険であれば、給付と負担が一対一対応しており、「社会的弱者を救う」という部分が薄らぎ、抵抗が少ないためです。最近、子育て支援策を国が発表しましたが、それも増税ではなく、社会保険料への上乗せ(支援金)で対応しようとしているのは、まさにこの発想です。
ですが、社会保険は少子高齢化社会には対応できません。負担が多い年代と給付を受ける年代の人数に大きなギャップが生じるためです。国保の保険料値上げ傾向はまさにこのような状態で起こっています。高齢者の負担を増やそうという話もよく聞きますが、それを始めると社会保障はどんどん弱っていきます。
では、税金で賄えば良いというのが普通の考えですが、日本では歴史学者の安丸良夫が提唱した「通俗道徳」があるため、これも容易ではありません。「通俗道徳」とは、簡単に言ってしまえば自己責任論のことであり、生活苦はすべて自分で解決するのが美徳であり、社会から支援を受けるのは不道徳であるという感覚のことです。
したがって、社会的弱者を税金で救済することへのハードルが日本では高いのです。通俗道徳を抱える人々が大衆で、彼らが政治に影響力を発揮しますから。
ハラスメントや差別がなかなか減らないのも、この感覚が作用していると私は考えていますが、話が脱線するので、これはそのうち論じようと思います。
とにかく、社会保障=社会的弱者の救済という方向性では、日本社会の中で社会保障が真の意味で拡充される可能性は低いわけです。
ではどうするべきか。
私は社会保障の目的を定め直すべきだと思います。
私個人が掲げたいのは「すべての人が自分が思う幸福な人生を歩める環境を整える」ということです。何が幸福かというのは、人によって異なりますが、どんなライフスタイルも”選べる”ようにするということです。これが政治全体のミッションであってほしいとも思います。
この目的を達成するために重要なのは、可処分所得を増やすことです。可処分所得が増えれば選択肢が増え、自分なりの幸福を追求しやすくなるからです。貧困ラインでは選択の自由など無いに等しいものになってしまいます。そして、その可処分所得を増やす手段として社会保障を考え直したらどうだろうかと思います。
国保などの公的医療保険というのは、このうちの「医療分野」に限ったものでしかありません。
国保の保険料が仮に今後も上がっても、その他の社会保障が充実していけば、問題にならないわけですから、国保の保険料にだけフォーカスしない方がいいのではないかと最近は考えています。
では、具体的に何が考えられるのか。以下でそれを並べてみようと思います。
4.社会保障充実へのアイディア
社会保障は大きく4つに分けることが可能です。「雇用」「社会手当」「社会保険」「公的扶助」です。これらは、それぞれ目的が異なります。
「雇用」は適切な労働対価、適切な労働環境、雇用促進などが主な内容で、ワーキングプアや過重労働による生活の質低下を防ぐことを目的としています。
「社会手当」は、厳しい所得制限をもうけずに、条件に当てはまる人へ税金で金銭やサービスの給付を行うものです。生活を安定させることを目的としています。
「社会保険」は、生活上のリスクを少額の保険料をあらかじめ払っておくことでケアするもので、病気やケガ、失業などで貧困に陥らないようにすることを目的としています。
「公的扶助」は、生存権の保障を目的としており、資産調査はありますが、税金で人々の最低限度の生活を維持することができます。
日本では、このうち社会手当が少ないと言われています。主な社会手当は児童手当系のものぐらいで、ほかに目立ったものがありません。
また、雇用部門も実質賃金が上がっていないなど、問題含みです。
結果、生活の安定を担うべき「雇用」と「社会手当」が弱いため、防貧を目的とする「社会保険」や最後の砦である「公的扶助」(生活保護)に依存する率が高いのが日本の社会保障の特徴となっています。
したがって、「雇用」と「社会手当」を充実させる必要がありそうです。
4-1:雇用に関するアイディア
職務給型給与体系への変更促進
→市で目安となる職務給ガイドラインを策定し、企業間の差異を減らす
→非正規労働者の給与増につなげやすい
→導入企業は一定年数賃金上昇分の補助、入札時優遇、補助金審査優遇
※既存正社員への不利益は認めない(強制適用禁止)労働時間選択制(フレックス・短時間正社員制度)の促進
→入札時優遇、補助金審査優遇
★オランダが参考になる市役所職員採用を18歳以上、学歴不問に(現在は大卒が基本で、高卒は年齢下限により対象外)
4-2:社会手当に関するアイディア
児童手当を独自上乗せ(年齢が高いほど上乗せ増額)
家賃補助政策の導入(現在の住宅確保給付金等とは別)
→世帯人数と世帯所得に応じて、家賃及びローン返済額のうち一部を補助する。(持ち家の場合は、固定資産税の減税で相殺し、事務コストを下げる)社会住宅の新設
→一定の条件(面積と部屋数)を備えた空き家を市で買い取るか借り、不動産会社に管理を委託して市民に貸し出す。家賃は総費用を30年程度で回収することを前提に、年間10%程度分の利益が出るように設定するが、家賃相場よりは低く設定する。回収終了後も同水準を維持する。民業圧迫を避けるため、高所得者の入居は認めないが、中所得者層(世帯年収300万円程度)までは入居可能とする。期間中に所得制限を超えた場合は、更新しないか、家賃増額(市の相場が上限)で対応する。消費税還付
→国の家計調査などから、所得階層別に軽減税率対象(特に食品)の消費税支払い金額を一律で算出し、その金額を年に1度還付する。所得が高くなると還付金額が減っていく仕組みとするが、一定所得までは還付金額を所得比例で増やすようにし、勤労意欲を損なわないようにする。場合によっては、住民税や国保保険料との相殺も可とするが、相殺しきれない分は還付金とする。これによって所得の再分配を行い、消費税の逆進性を緩和する。
★カナダ及びオランダが参考になるが、市単独では負担が重すぎるので、市税の軽減税率分に限定すべきだと思いますが、そうすると1人あたりでは大した額にならないのがネックです
5.財源をめぐる問題
このような給付を増やす方向の話に付きまとうのが、財源をめぐる問題です。
もちろん無駄な歳出はカットしていく必要がありますが、何をもってそれを無駄とするのかは非常に難しい部分もあります。
しかし、忘れてはならないのは、社会保障に関する公的機関の支出は、家計に対しては可処分所得の増加をもたらすということです。可処分所得はすなわち購買力になるので、消費を増やし、経済をプラスに回すエンジンになります。
消費が活発になれば、事業者の売り上げは増加し、賃金の上昇も見込まれるので、税収も増えます。経済を活性化させるには、可処分所得の増加が絶対に必要です。
たまに行われる給付金が貯蓄に回ってしまうことがあるのは、それが1度だけのことだからです。継続的な収入になることが分かっていれば、そのうちのいくらかは必ず消費に向かいます。
また、増えた可処分所得を消費に回す割合(限界消費性向)は低所得者層ほど高いことが知られています。(参考)つまり、低所得者層ほど支出したおお金を、多く消費してくれるということです。
日本は消費性向が低い国だとされていますが(参考)、これの要因としては、社会保障制度に選択と集中が働きすぎており、貧困ラインとまでは言わないが、生活が楽ではない所得層には社会的給付がほとんどないことや年金への不安などがあると思われます。
将来の生活が不安なので、消費より貯蓄に回してしまうということです。
逆に言えば、社会保障の見直しにより、将来の生活不安を減らすことができれば、消費性向も上昇すると考えることができます。
そのためには、「本当に困っている人への救済」というメンタリティを変え、すべての人にとって利益のある社会保障に変えていく必要があるように思います。高所得層は直接の給付を受け取る機会は限られますが、経済の活性化により、利益を受け取りやすくなります。これは高所得者層ほど資本を持っており、資本が生み出すお金のほうが、労働で得られるお金が増えるよりも多いためです。(トマ・ピケティ 『21世紀の資本』より)
経済学の基本としては、経済が冷え込んでいるときは減税をするわけですが、少子高齢社会で社会保障制度が確立している現代では、歳出の削減が困難であるため、減税は取りづらい選択肢となっています。また、公共事業も社会全体の可処分所得の増加につながるような公共事業は、インフラがほとんど完備されている今、すでに困難です。
となれば、家計に直接給付するのが最も効率的ではないかと感じます。
また、経済学では乗数効果と呼ばれるものもあります。これは公的機関が行う投資は何倍かになって国民所得の増加になるというものです。つまり、社会的支出はその支出以上の所得増加につながる『投資』という側面もあるということです。日本では乗数効果が海外より低いという話もありますが、継続していくことで所得が増えれば、税収としてそれを回収できますし、給付対象者も減っていきます。
そう考えると、財源がないから諦めるだけではなく、社会保障(特に社会手当)を投資ととらえて、長期的シミュレーションをしっかり行ったうえで市債などである程度対応するということを考えても良いのではないでしょうか。もちろん、むやみやたらに市債を出すことはできないので、シミュレーションは不可欠ですが。(いずれ回収できないとだめ)
そして、社会保障をしっかり行い、所得が増えれば、保険料額も上げることができ、国保を含む公的医療機関の財政にとっての好影響を生むこともできるのです。
6.おわりに
社会保障全体の目的を考え直すことで、国保にだけフォーカスした議論よりも、幅広く、ある意味では大胆な議論が可能になるように思います。
私は経済学を専門的に勉強してきたわけではないので、荒唐無稽な部分もあるかもしれませんが、可処分所得が増えれば購買力が上がり、経済成長につながるという図式自体はおそらく正しいんだろうと思っています。
もちろん、購買力があがるためには、物価上昇に可処分所得の増加が追いつく必要がありますので、もっと細かい計算が必要なんだろうとも思いますが。
日本がなかなか経済成長できていないのは、購買力が上がっていないからで、供給サイドに対する成長戦略を施しても、低購買力であるがためにそれを買う人や客単価が増えないから、なかなか成果が上がらないということになっているのではと思います。
供給サイドではなく、需要サイドにもっと支援をしないと、経済は上手く回らないのではないかという気がします。
日本は貿易立国だと言われてきましたが、実際は内需中心の国です。内需がしぼめば経済もしぼんでしまいます。
内需が見込めないからこそ、官製需要に頼ってしまい、贈収賄が起きたり、一般市民からすると無駄な利権に政治がこだわるという状態になってしまっているのではないでしょうか。マイナンバーカードをめぐる騒動なども、もとをただせば、結局そういうことなんじゃないのと考えざるを得ません。
内需を喚起するために社会保障を整備するという視点は、持っていても損にはならないのではないでしょうか。
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