“サバイバー”になりました(上)
ご無沙汰しています、辟音歩(ひらとあゆむ)です。
突然ですが、わたくし "サバイバー" になりました。
え、サバイバーって何のこと?
という方に簡単に説明しますと、昨今の家族間DVから、逃れた人・生存し続けた人のことをそう呼ぶそうで、
最近の子どもを取り巻く問題 "ヤングケアラー" などと相まって、この "サバイバー" も新聞などメディアで使われ始めた言葉です。
しかしながら、ひと・ふた昔前までは「しつけ」と称して、親が子どもを殴る・蹴る何ぞ当たり前だった訳で、
かくいう自分も、父親から「しつけ」と称してそういう日々を送っていたのですが、歳を重ねるごとに、手を挙げられる回数というのは、減っていくものです。
自分も学習の成果か何か、図らずも「しつけ」を受ける回数は中学生になる頃には、ほぼ皆無になっておりました。
が、ここからが "サバイバー" のお話になります。
うちの母親、私が小学校高学年に上がる頃には、実は酒浸りでした……。外ではいつもの愛想のいい奥様です。周りの人も気づきません。
ご近所さんも先生も、パート仲間も、まさかこの人が家に帰って早々、プルタブを開け、酒を煽って居間で寝こけているなんて思ってもいません。
酒に酔ったまま風呂に入り、額を切ったり・ストーブで火傷したり……最初はその程度でした。
自分が最初に、そんな母親に蹴られたのが、中学3年生の晩秋。
父の目の前で起こりました。
しかし殴り返そうとした自分に父はこう言いました。
「親にむかって何だそれは!」
愕然としたのを、今でも覚えています。
自分は自分の意思があり、親の持ち物ではありません。子どもにも、「人間の尊厳」というものがあります。
しかし、翌日、もっと絶望したことがありました。
朝、母親はケロッとしていて微笑んでいます……とても怖かったです。
そのことを、たまたま廊下で話す機会のあったS先生にそれとなく言ったところ、
「お母さんも、そういう気分の時もあるわよ」
と、返ってきたのです。
一緒にいた仲のいい同級生が息をのんだのを、感じました。どちらに対してだったのかは分かりませんが。
自分が中学生・高校生になる頃には、「虐待」とい言葉も、親子間 ・家族間・学校内の問題として扱われるようになりました。
というのも、その前に随分、育児放棄・ゴミとして遺棄・生まれてすぐの子どもを……というのが全国で相次ぎ、多摩地区の端ですらさえ、黒いゴミ袋が廃止されるほどでした。
そういう時代でした。
酔っぱらった母からの暴力というのは、実質家を出るまで続きました。
父にも散々「母を病院に」と促しましたし
母の姉-伯母にも相談しましたが、誰も助けてくれませんでしたし、
むしろ「どうしてあの子(母)がそんなになってしまったの」と母の心配をしていました。
自分は家からの圧力もあって、外で母の話をするのは止めました。
地方の大学を第一志望にしたものの、兄弟との関係や金銭的な事情から、家から通える大学に変えざるを得ず、
高校・大学生と ”なるべく家に長時間いない" という方法を取ってやり過ごしました。
それでも、年に数回、散々殴られたり罵られたり掴まれたり……悪夢でした。
就活のスーツに、母が投げ飛ばした食品の油がべっとり着いた時は、泣きながらクリーニング屋さんに持っていきました。
今でも色々されたことを思い出すと、鼻がつんとします。
2021年8月末、
自分はパトカーの中で泣いていました。
独り暮らしを随分していましたが、母の骨折の介護で、週に何日か実家に戻ることにしていた時でした。
介護をしていたにも拘らず、掴まれ・殴られ、顔に引っかき傷を負い、タバコの火を向けられたことでパニックになり、とうとう警察を呼んだのです。
裸足で駆け出して、玄関ドアを叫びながら押さえていたことで、ご近所さんからも、通報が行ったようでした。
平静を装う母と、急きょ今までの経緯を説明しに呼ばれた、近所に住む兄弟が、玄関と外とで、それぞれ警察と話しをしています。
自分も可能な限り説明をしました。
警察から返ってきた返事はこう、でした。
「生活安全課って知ってる?虐待防止法って知ってる?」
にも拘わらず、被害届が受理されないどころか、告訴もさせてもらえませんでした。
後日診断書を持って行ってもダメでした。
理由は分かりません。
自分は色々調べて『住民基本台帳における支援措置』を受けることにしました。
【下に続く】