自分らしく生きること―障がい者として働く・暮らすこと―8
※センシティブな表現を含むため、苦手な方は今回は飛ばしてください。
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『ちぃちゃん、逝くのは順番やで』
高校生の時、祖母が突然両手を握って言いました。
いつもの顔、いつもの調子、なのに自分は、祖母に見透かされたのだと思いました。
自分は、中学生の頃には、
ばく然と "死" について
考えていました。
でも同時に、自分で自分に止めを刺せないことは分かっていて、
ふとした瞬間に掠める "何か" になっていました。
鬱病になって、
死はばく然と掠めるものではなく、実体を持つものに変わりました。
『死にたいけどやり方が分からない』
『何もかも終わりにしてしまいたい』
そういう思考から、自分を救ってくれたのは、
あの時の祖母の言葉でした。
病気になってから、何度も何度も救われました。
季節は移ろい、東京でも秋が感じられるようになると、
自分は事務室で自分を殺すようになりました。
ただ言われたことをやり、何も考えず、意見を述べることを止めました。
自分はただの雑用の人形であると思い、一言もしゃべらず、帰ることもありました。
上司も同僚の正社員さんも、非常勤仲間も、
そうすると何も自分に対して何かをしてくることはなくなり、会議室に連れていかれることもなくなり、
夏に倍に膨れ上がった薬の量は、障害者非常勤になる前の量にまで、戻せることになりました。
自分は諦めることで、平穏を取り戻しました。
ただ、仕事に対してのモチベーションなど皆無ですから、
また欠勤は、増えていきました。
ある日、頭のなかで声が聞こえます。
自分の声のような気もするし、他の人のような気もします。
そうすると、別の誰かがまた何かを話しています。
鬱病になったきっかけの、事務局長の罵倒にも似ています。
また誰かがしゃべっています。
母かも知れません。昔言われた自分を否定する言葉です。
"蟲" がいる、
と思いました。
自分の頭のなかで、蟲達が自分を責めるんです。
どうして、何で、また、いつだって、逃げた、泣いたってムダ、助けて助けて助けて助けて助けて、誰が、いい加減に、どうして、何で、いつ、どこで、誰も…………
そんな日が3日ほど続いたでしょうか。
私は初めて過呼吸を起こして、自宅にしているアパートで倒れました。
『しばらく祖母のいる関西に身をおくことになったため、欠勤します』
辛うじて、それだけ職場から貸与されているPCでメールを打って、
普段の倍の量の薬を飲んで、何も考えず眠りました。
眠って
眠って
眠って
毎日をただ "生きました" 。
趣味の写真のコミュニティで呟くと
知り合いがフリーマーケットの店番をしないかと誘ってくれました。
久々に人と気兼ねなく話して、笑いました。
~~が見頃だから、出掛けるといいよ、
コミュニティで、気分転換のアドバイスが返ってきました。
電車に乗って、行ったことのなかった町で降りました。
久々に喫茶店で、美味しいコーヒーをのんびり飲みました。
"蟲" はいなくなりました。
ずっと感じていた、のどの違和感もなくなりました。
久々に、ちゃんと息をしている
と思いました。
二週間に渡る欠勤の最後、
自分は尊敬している人と、ソバを食べ、長々とアパートでおしゃべりをしました。
前職まで、自分は専門職をしていました。
大学時代にインターンでお世話になったこの人を尊敬して、
第二新卒からずっと、その専門職に就いていました。
自分の本当の "先生" です。
先生は言いました。
「余計なことごちゃごちゃ考えず、仕事よろしく、でいいんだよな。できねぇならできねぇって言うんだからよ。
"障害者" だ"病人だ" ってだけで怖がり過ぎなんだよ」
事務室に出勤した自分に、上司は言いました。
「まぁ欠勤理由はちゃんと書いてね」
自分が『死ぬ前に誰と会いたいですか?』と質問したあとでした。
11月、自分は人事に退職の旨を伝えました。
(9へ続く)