挫折したり引き返したとしてもその経験は無駄じゃない、ってそういうことも含めてかぁ〜!
今朝の一コマ。整骨院さんで、動きの悪い左肩を診てもらいながら他愛のないおしゃべり。先生と患者さんというより、個人事業主同士、これからの展開や挑戦したいことなどをつらつらと…。ここの先生は、オリジナリティをどう打ち出していくか熱心に研究されてたり運営していく上での経営戦略(?)を勉強されてて、話してるととても興味深い。ジャンルは違えど、我が身に置き換えられることがたくさんあるのです。
今日もまたそんなやりとりをする中で、私が今、やってみたいことを次々思いついてしまって、しかもそれが結構本格的にやらないと物にならなくて本業は何?ってなりかねないことばかりで…、もはや集中力がガタ落ちだし、やってみてはやっぱり違ったということが多過ぎるー!という話を聞いてもらってました。
「たとえやめたとしても、やってみたという経験は役にたつのでは?」と言われて、でも!と反論しようとした私。いろいろ調べたり、資料を入手してお金も労力も多少なりとも使って、あーあーいつものやってみたい病だったよーと喉まで出かかって、でも思い浮かんだのは違う映像。そして口から出たのも違う言葉。
「そう言えば一年前からクラシックギターを習ってるんだけど」と話し始めてました。10年前からウクレレを始めて、何年かしてギターもやってみたいなと思い始め、当時流行った映画をモチーフにしたリメンバーミーのミニギターを中古で入手。だけれど、ウクレレと違ってハードルが高く挫折…ミニギターはお嫁に行きました…。そしてギターへの野望は封印しました、が、第二波が来たんですよね〜。
今度は慎重です。適当に入手するんではなく、私の好きな藤原さくらちゃんや青葉市子さんはどんなギターをどんなふうに弾いてるかチェックして。たまたま、少し前にポイント的にウクレレを習った先生はクラシックギターが専門だったことを思い出して、再度、今度はギターで教えを乞うようになりました。
という話を整骨院の先生に聞いてもらって、「ほら、やっぱり無駄になってない!」と言われて合点!ガッテン!モノにならなかった経験も役に立つというのは、精神を強くするとか、そこで出会えた人に価値がある、とかそんな風に理解してたんですよね。
どっちかというと“全ては繋がっている”とか“経験はその時に何かを生み出さなくてもいつか流れの一部になるかもしれない”ってことなんだ!と気づいたのでした。
そして全然モノにならないこと承知でヒントを探るための最近の焼き上がり品たちも、いつかなにかに繋がっていくことを願っています。
お付き合い頂きありがとうございます(๑・̑◡・̑๑)
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